33.存在

私はひたすら走った。コウちゃんに捕まらないように、逃げ切ろうと。


でも、そんな心配なんて必要ないかもしれない。

あれだけ可愛くて巨乳女子が誘ってくれているのだ。ホイホイと付いて行ったかもしれない。

何だかんだ言ったって、デカい胸がいいらしいですからね。


そんな考えが浮かんできた時と、体力が落ちたて来たのがほぼ同時だった。

私は全速力から速度を落とした。その時だ。


「胸焼けしてる奴が全力疾走するなよ! アホか!」


怒りの言葉と共に右手首をギュッと掴まれた。

振り向くと息を切らしているコウちゃんの怒った顔があった。


咄嗟に手を振り払おうとしたが、力強く掴まれて全然離れない。

思わず、コウちゃんに向かい合って、真剣にブンブンと手を大きく振ったり、引張ってみたりしたが、全く離れる気配がない。


コウちゃんは呆れたように溜息を付くと、私の手首をきつく掴んだまま歩き出した。

私は必死に抵抗するが、まったく歯が立たない。


「ちょっと、放してよ!」


「嫌だね!!」


即答で、且つ、はっきりと拒否され、思わず口を噤んだ。

力強い彼の言葉に、どうしてかドキリとする。

私は唇を噛んで俯いた。


恵梨香を振って私を追いかけてくれたこと。

今も私の手を掴んで離さないでくれること。


このことに私の中で安心感が込み上げてくる一方で、切なさで胸が引き裂かれそうになる。


その気も無いくせに・・・、何とも思っていないくせに。

思わせぶりな事ばかりして。

どうしてこんなことをするんだろう。

フリにしたって限度がある。


(ああ、そうか・・・、十八番・・・)


私はふと思い出した。コウちゃんの得意技を。


―――持ち上げておいて、一気に落とす。


ああ、そうか・・・。私は天守閣から突き落とされるのか。

だったら、そうなる前に先に自分から飛び降りよう。





怒りに任せてズンズン歩くコウちゃんの後を、私は文句も言わず、黙ってついて行った。


連れて来られたのは土手だった。

秋のこの時間はもう薄暗いし、風も冷たいせいか、ジョギングしている人もまばらだ。

犬を散歩している人、私たちのような高校生カップルもいることはいるが、それほど多くない。


コウちゃんは土手をどんどん進み、鉄橋の下まで私を連れてきた。

そこで、やっと私に振り向いた。


「どういうつもりだよ!? 何考えてんだよ、唯花は!」


今までの押さえていた怒りをやっと口にすると、私を睨みつけた。


「あの女に捕まらないように今まで上手く逃げ回ってたのに、肝心なお前が引き渡してどうすんだよ!」


私は黙ったまま俯いた。


「もしかして、お前にとって俺はその程度の存在なわけ?」


「・・・」


「黙ってないで何とか言えよ!」


「・・・」


「なあ、唯花!」


コウちゃんは私の手を離すと、今度は私の両肩を掴んだ。

しかし、私の顔を覗いて息をのんだ。


「・・・って、泣いてんの? 唯花? ちょっと、どうした? 何で泣いてんだよ!?」


ボタボタと大粒の涙を流している私を見て、急にオロオロし始めた。


「嘘・・・、この場合、泣きたいのって俺だよね? 売られたのは俺だし・・・。あ! もしかしてマジで胸焼けヤバいとか?!」


コウちゃんは急いでハンカチを取り出すと、ぎこちない手付きで私の涙を拭き始めた。


「コウちゃんのバカぁ~! 私、もう恋人のフリなんてやめる~~!」


「なんでだよ!?」


「どうせ、私は胸なんてないもん~! 悪かったわね~~! 巨乳女なんかこの世から滅びてしまえばいいのよ~~!」


「え? え? お前、何言ってんの?」


コウちゃんは本当に意味が分からないようだ。

困惑した顔のまま、ひたすら私の溢れる涙を拭いている。


「コウちゃんの方こそ、私の存在なんてどうだっていいくせに~」


「は?」


「ただの幼馴染としか思ってないくせに~!」


「あ?」


「私のことなんて、どうせ揶揄って遊んでいるだけなんでしょ~! 最後にはポイって捨てるんだぁ! ゴミみたいに~! クシャクシャって丸めてポイって!」


「・・・んなわけないだろ。どんだけヤバい奴なんだよ、俺は・・・」


コウちゃんは泣き叫ぶ私の頬を片方の手で押さえ、もう片方の手で涙を拭く。


「それなのに~、パパもママも、おじさんもおばさんも信じちゃって、友達も信じちゃって、どうしてくれんのよ~~! 私の立場ない~~」


「だから、責任取るって言っただろ」


コウちゃんは私の涙を拭いていたハンカチをポケットにしまうと、両手で私の頬を包んだ。


「忘れたのかよ?」


そう言って顔を近づけると、ちょっと悪戯っぽく笑った。

私はその時の事を思い出して、顔がカアッと熱くなった。

突然の攻撃に、涙も止まってしまった。


「分かったよ、いいよ。唯花の言う通り、フリは止めよう」


「え・・・?」


「フリじゃなくて、本当の恋人になろう。な? そうすれば何の問題も無いだろ?」


コウちゃんはいつもより優しい笑顔で私の顔を覗き込んでいる。


ああ、とうとう天守閣まで攻め込まれた。

先に飛び降りるつもりだったのに・・・。

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