第33話 燻る熾火

ヴォルガ帝国歴4月末 冒頭へ

「敵将、ユーリ・マゼインが討ち取った!!」


 丘陵の上にあるフリジアの前線基地を、第666懲罰大隊は陥落させた。本来は後続の本隊を待ってから全面攻勢に出る予定であったのだが、部隊で一番の華奢な少年が大手柄をあげたことで、一気に勝利へと天秤は傾いた。


 ヴォルガ兵は言わずもがな、フリジアの兵士までが跪いて新たなる戦乙女の誕生に祈りを捧げていた。宗教的絵画のように剣を天頂に捧げ、白金の髪を煌々と輝かせているさまに涙を流す者まで現れた。


「ユーリやったね! 今日は美味しいものが食べられるよ!」

「ふっ、この様子を見たまえ。皆一様に天使の到来を歓迎しているようじゃないか」


 気恥ずかしさと物悲しさにユーリは目を伏せる。祝ってくれるのは素直にありがたかったが、本当にこのような戦いを続けていていいのかという疑問が消えない。


――

「殿下、失礼します」

 陥落させた陣地を本拠とし、第666懲罰大隊は野営をしている。ユーリは夕食でにぎわう兵士たちの間を縫って、アーデルハイドの幕舎を訪れていた。

『夜に来てくれ。大切な話がある』


 同行を申し出てくれたグレゴール神父やサン、ドミニクとともに、明かりの漏れる天幕に入っていく。


「よく来てくれた。ああ、ちゃんと呼ぶべき人物を連れてきてくれたのは心強い。まあかけたまえよ」

 指し示された量産品であろう小さな木製の椅子に座り、ユーリは皇女の言葉を待つ。


「私がここに送られてきたことは不思議に思っているだろう。そのあたりの疑念を払拭しておくべきと感じてな。さて、何から話したことやら」


 アーデルハイドは頤に手を当て、眉根を寄せて考え込んでいる。蠟燭の僅かな明かりしかない天幕においても、皇女の威厳は健在であった。


「私は父である皇帝、ミハイル二世を打擲してしまってな。極刑を免れたのが奇跡といってもいいほどの沙汰だったのだ。まあ、陪臣が集うさなかで思いきり張り飛ばしたので、言い逃れもできん」


「ちょ、打擲……またなぜそのような暴挙を?」

「だらだらと締まりのない戦争を、いつまでも続けているからだ。民の疲弊を考えればある程度のところで和平に向けた交渉をするべきとは思わんかね。まあ領土を食われているのだ、こちらもただでは済まさない覚悟を持つのはわかる。だがもうそのような些細なことに構っている場合ではないのだ」


 現在ヴォルガ帝国はフリジアとともに領土を主張していた、最西部のオレンブルグを失陥している。重要な交易都市ポドリスク。炭鉱都市ノイエングラード。そしてヴォルガ絶対防衛線のトゥヴェルツァ川にまで押し込まれている。


 ナサローク要塞が落ちてしまえば、あとはフリジアによって切り取り放題になってしまう。そして失うであろう土地を奪還するだけの兵力は、もはや限界まで抽出しているのだ。


「オレンブルグを諦めろと仰せでしょうか。それではこの先ヴォルガはフリジアからあらゆる政治的な干渉を受けてしまうでしょう。軍事的制裁をちらつかせて、口を封じにくることは火を見るよりも明らかです」


「中期的にはそうだろう。だが今フリジアだけを相手にしているわけではない。隙を見せればラーマによる進行を呼び込む――我々に必要なのは体制の刷新なのだ」


「お言葉ですが、僕が敵であればラーマと組んでヴォルガの土地を二分しないかと持ち掛けます。ここで弱みを見せるわけにはいきません」


 ユーリの指摘は概ね正しかった。三国による均衡を破るには、二国で手を組んで、一国を叩き潰すのが最善の策である。西部方面で兵士をすりつぶしている現在ヴォルガ帝国は、俎板の上の鯉になっているも同然だ。さぞ美味しい獲物に見えるだろう。


「ふむ。では問おう。ユーリ、フリジアが欲しいのはヴォルガとラーマの土地、どちらだと思うかね?」

「両方でしょう……というのは回答ではありませんね。獲得して利益を出せるのはラーマの肥沃な土地です。気候的にも作物が育ちやすく、水害を除けば治めやすい風土をしていますから」


「その通りだ。フリジアの目的はラーマなのだ。考えてもみよ、国境紛争地を取るために全軍を動かす意義がどこにあるのかね。政治的、国際的な権威のためには効果があるだろう。しかし利益よりも負債の方が多すぎる。つまりフリジアにとってヴォルガは攻め取っても価値が無い国なのだ」


 鉱物資源と小麦。それがヴォルガ帝国が他国に輸出できる資源だ。逆に言えばそれ以上に売るものが少ない。内需が盛んといえば聞こえはいいだろうが、食料自給率は毎年低下しているのが実態だ。


「ではなぜフリジアは僕たちの国に侵攻しているのですか? 自ら二国と矛を交えるのは得策ではないと先ほどおっしゃっていましたが」

「陸軍作戦プラン42。フリジアの参謀本部が立てたラーマ撃滅のための戦略だ。今はその第一段階といったところか」


 なぜ、ヴォルガの皇女はフリジアの作戦を知っているのか。まさか、という思いがユーリの頭をよぎる。


「期待を裏切って悪いのだが、私がフリジアに通じているわけではない。そもそも通じていたらこんなことを話すはずもないだろう。軍上層部と隣人とは既にこの事実を知っている。君をここに送り込んだ、アレクサンドル・ボグダーノフもモーゼス・ベルニンスキーも知っているのさ」


 アーデルハイドは次々と驚愕の事実を語る。


「プラン42は時計作戦とも呼ばれていてな、一撃目でヴォルガに痛打を浴びせて有利な条件で講和を持ち込む。ここで大切なのはフリジアはヴォルガをこそ敵視しているのであって、他に構っている余裕はないという姿勢を見せることだ。真の敵となっているのはラーマ大王国だよ」


「しかし、フリジアにそこまで継戦能力があるのでしょうか。相手も兵士は無限ではないはずですが」

「植民地の住民を集めて練兵しているそうだ。うらやましいと言えばいいのか、情けないと罵ればいいのかわからんが、海外に掌握している土地が多い国は強いな」


 フリジアは大航海時代に南大陸に多くの植民地を得ている。国富や資源、人材を吸い上げられるのであれば、ほぼ単一国家で戦っているヴォルガのほうが先に息切れするだろう。


 フリジアの植民地は今はラーマの調略を受けて反乱の危険性を持っている。そこで戦えるものを引き抜いてしまえば、戦線の補強にもなって一石二鳥の効果だ。ヴォルガ帝国が見ている盤面とは別の場所で、フリジアは既に攻撃を受けていたのだ。


「ヴォルガに取る価値はない……時計作戦で封じ込めて、植民地の兵士を投入……じゃあ僕たちはなぜここまでになって必死に! 最初から裏で手を結んでいるようなものではないですか!!」


「都合がよろしいのだろうよ。両国の不良兵士や非国民どもを一気に始末できる、素晴らしき時代と消費場所だ。それなりに本気でぶつかることもあろうが、最終的には多少フリジアが得する程度で終わるさ。そうしたほうがからね」


 だから私のような『国家にとって都合の悪い膿』の始末も容易なのだ、とアーデルハイドは自嘲する。平時であれば決して触れることのできない存在を、国家存亡の危機と謳えば排除のために手を出すことができる。


「だからね、ユーリ。私はひっくり返したいのだ。一部の軍部の人間と、隣人党が跋扈するヴォルガを革命したい。今しかないのだ。フリジアが局所的に勝利し、勢いに乗ってラーマに宣戦布告をするであろう、今この時を逃してしまえば、いずれフリジアの狂信者たちが世界を手中に収める。そうなってからでは遅いのだ」


「かく……めい。殿下が目指される世界とはどのようなものでしょうか。お気持ちは尊重しますし、他言は致しません。ですが理想を示してもらえなければ臣民はついてこないでしょう」


「民衆が自分たちの意思を示し、各地で代表を選んで議会へと送る。議会で決定されたことこそがヴォルガの進む方向となる制度を作る。例え皇帝と言えども法に従い、国政への関与を減少させるのだ」


「帝権を蔑ろになされるおつもりですか? ヴォルガの貴族が賛同するとは思えませんが……」


「一朝一夕で成そうと思っているわけではない。そうだな、私と君の子の代にでも完成されればいいさ。理不尽な死を強要されず、宗教的な弾圧も受けない。人民が傅くのは皇帝ではなく、自らの手によって作成された憲法と法律であるべきだ」


「殿下の目指す制度とは、何というものでしょうか」


「そうだな、君主を戴きながらも万人が憲法を守り生きていく。国がよって立つ基本となるべきもの。そうだな――立憲君主制とでも呼ぼうか」


 アーデルハイドの構想に、剣を捧げる価値があるのだろうか。

 ユーリは国体への反逆を今試されていた。

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