第30話 廃棄皇女

「でね! 案内したお母さんと子供がとっておきのチーズをくれたの! 焼いて食べたら美味しいから、みんなで食べようよ!」

 サンタミカエラはその純朴さからかなりの信頼を、ノイエングラードの住民から得ることができていた。救出した数は50人近く。同じ部隊の仲間たちが来なかったことも幸いし、誰よりも迅速に任務を終えることができていたらしい。


 粗末なテントの中、四人が膝を突きつけ合って『戦果』の報告をしている。体積が大きいグレゴール神父はスペースを取ってしまっていることを。ひたすらに恐縮していた。

「拙僧も問題はありませんでした。その辺のネズミを殴り殺して、メイスに血液をつけておいたのが幸いしたのでしょう。拙僧の見た目は凶悪ですからな、何人も撲殺したと偽装できたかと」

 

 ユーリは、自分の報告を終えた後に暗い面持ちをしているドミニクに気づいた。

「ドミニクさん、その……」

「責めてくれ。私は失敗した」

 軍用の長ズボンの膝を握り締め、ドミニクは淡々と語る。


「貯蔵庫に向かう途中に懲罰大隊の仲間に発見された。私は先行して順路を確認していたときに後ろで悲鳴が上がってね。戻った時はもう手遅れだった」

 自嘲気味に語るドミニクを誰も責めることはできない。


「運が……向いていませんでしたね。ドミニクさんの責任では……」

「私の責任だよ。はっ、これで騎士を自称しているのだからお笑いだ。いや、すまない。せっかくの機会を無駄にしてしまって申し訳ないと思っている。死者にはいずれあの世で詫びることにするよ」


 それだけを伝えると、ドミニクはテントから出て行ってしまった。サンタミカエラは慌てて追おうとしたが、グレゴール神父に止められる。


「彼女は今自分の心のうちと向き合っています。克己しなくてはこれから先の戦いで死に招かれやすくなるでしょう。そっとしておくべきですな」

「でも……ドミニクが悪いんじゃないのに」

「サン、今はやめよう。ドミニクさんはきっと立ち直れるよ。もともとは町の住民は全員死ぬ予定だったんだ。多少なりとも救えただけでも僕たちは運が良かったんだ」


 ここは懲罰部隊。己の心情も、矜持も、道徳も。すべて自らがつかみ取るしかない。もしも心の宝箱に残った希望を捨ててしまうのであれば、すなわちそれは獣になる以外に道はない。


 補充兵来たる。

 懲罰部隊ではたまに見聞きすることができる、素敵な娯楽の一つだ。囚人兵の腐りかけの顔を眺め、ヤジを飛ばすのが日頃の鬱憤を晴らす一つの手段になっている。


「へへ、今回の野郎どもはカネ持ってきてるかな。地獄の沙汰も金次第、懲罰部隊ではそのルールが適用されるんだぜ。なあ、イグナート」

「お前もめんどくせえ奴だな。その『自分はいい人です』っていう笑顔やめろ。そのうち誰かに刺されるぞ、リョーシャ」

「治療費として衣服全部はぎ取ってやらぁ。さてカードの用意してこねえとな」

 魔道地雷の道を新兵を盾にすることで生き残った二人は、それぞれの方法で地獄に送られた亡者たちに接していくことになる。


「くそ、あの小娘。余計なモン見せやがって……」

 イグナートは僅かに灯った良心に唾を吐きかけ、汚泥の底に沈めてしまおうと努力していた。


「なんだぁ、あれは氷薔薇いばら騎士団じゃねえか。やべえ。抜き打ちの視察でも始まんのか? おいカードを隠せ! くだらねえことは一切喋んなよ、いいな!」

 リョーシャは黄色人種の混じった人懐っこい薄ら笑いを浮かべ、騎士たちにゴマをする準備を始めた。


 ヴォルガ帝国には三つの騎士団が大きな名誉を得ている。即ち三騎士のいる部隊がそれにあたる。

『竜槍』アルフレッド・クラリエフが在籍する、白竜騎士団。

『双剣』ウルリカ・チェルヴィンスカヤが座す、迅雷騎士団。

『魔狼』ブリジット・フォルターニャ率いる、氷薔薇騎士団だ。


 騎兵・歩兵・魔法兵と得意とする分野が異なり、それぞれが求められる分野で投入される。

『竜槍』の白竜騎士団と、『魔狼』の氷薔薇騎士団の二つが現在フリジア戦線に配置されている。『双剣』の迅雷騎士団は先日ラーマとの国境線へと異動になった。


「上意、上意である。指揮官殿はどちらに!」

「小官が第666懲罰大隊指揮官のレオニード・ドミトレンコだ。上意承る」

 戦場には似つかわしくない、白木で作られた飾り馬車。まるで花嫁が乗っているような場違いな清楚さが異様に映る。

 兵士たちはいつもの糞尿に塗れた新兵のことをまるきり無視し、白馬に引かれた婚礼行列に立ち並んだ。


「下がれ下郎ども! 貴様らが気軽にご尊顔を拝していいお方ではない。指揮官!」

「チッ、聞いての通りだ。卑しい俺たちは邪魔なようだ。おら、散れ! 散れ!」

 レオニードがこれ以上居ると剣で語るぞ、とばかりに怒声を放つ。泥まみれの雪を踏みにじり、懲罰部隊の兵士たちは渋面でその場から引いていく。


「殿下、お手を」

「ありがとう、ブリジット。大丈夫、私は一人で進めます」

「おいたわしや。佞臣の讒言で斯様なことになるとは、我ら憤慨の極みでございます。どうかお気を強くお持ちくださいますよう」


 ユーリの目に入ったのは白銀の長い髪だった。細身で華奢。しかしながら他者を傅かせるに値する堂々とした振る舞い。澄んだアイスブルーの瞳には同じ風雪が映っている。


 間違いない、あの女性は高貴な血筋だ。それも帝室に近い。そこまで推測してありえないとユーリはかぶりを振る。ヴォルガ帝国広しと言えど、皇族に近い人物が立ち入っていいような場所ではないからだ。


「おい、聞いているのかお嬢ちゃん!」

 呼ばれているのに気づいていなかった。ユーリは急いで敬礼をして返す。

「いいからとっととここに来い。お待たせしました、こいつは新兵のユーリ・マゼインというものです。確か部隊に送られる前には子爵とか言ってましたね」

 慌てて駆け寄って、少し息を切らせているユーリに6つの視線が突き刺さっている。値踏みするのを隠そうとしない、むしろ身元は確かなのかと詰問するような態度だ。


「ほう、貴公がマゼイン子爵のごか。うむ、このような場所で朽ちさせるには惜しいほどの華よ。私は決めた。この者がいい。ユーリよ、これからよろしく頼む」

「申し訳ありません、話が飲みこめないのですが。ご命令とあれば従いますが、状況を説明していただけると幸いです」

 ああ、そうだったとレオニードが頬をかく。呼んでおいてこのお嬢さんをヨロシクというのは、流石に隊長として職務怠慢に尽きた。


「お嬢ちゃん、お前さんにこのお方の供回りを命じる。さる高貴な血筋のやんごとない姫君でな。ちょいとウチで預かることになった。お前の仲間と一緒に守ってやってくれ」

「ええと、小官で大丈夫でしょうか? まだ部隊に来て日が浅いのですが」

「何を話しておる。私は貴公が良いと申したはずだ。ふむ、よかろう。レオニードとやら、どこか人の来ない場所はあるか? この者とその仲間とやらを集めるのだ」

 今日到着したばかりの若い女性—―ユーリと同い年ぐらいであろうか。その人物がまるで当然といったかのように場を仕切ってしまっている。


「了解しました、こちらにどーぞ」

 レオニードが副隊長のアーベルを呼び、中央天幕に案内させた。周囲には誰も近づけないように、氷薔薇騎士団が鉄壁の護衛をしている。

 招集を受けたサンタミカエラたちも、あまりの守備に口を開け放していた。


「まずは私の身分を明かそう。ヴォルガ帝国アレクシウス朝・ミハイル二世陛下の第四皇女アーデルハイドだ。つい先日までは、な」

 戦慄が走る。つい反射的に跪いてしまうほどに、すさまじい高位の身分だった。


「大変失礼を致しました。知らぬとはいえ、皇女殿下に数々の無礼、平にご容赦くださいませ」

「そういうのはよい。やめよ。貴公らは知らぬだろうが、今の私は一人の罪人だ。懲罰部隊に送られる程度には重い罪を背負っているらしいぞ」


 くくく、と喉をならして自嘲気味に笑うアーデルハイドがいた。

「まあ不幸自慢をしても何も始まらん。ここで一兵士として戦えと陛下のご命令を受けたのでな。済まぬが貴公らには私と一緒に戦場を駆けてもらいたい。さりとて私も女だ、よってたかって犯されたのではたまらん。そこで貴公らには護衛も頼みたいと思っている」


 ユーリはあまりの出来事に自分の考えがまとまらずにいた。一生に一度お目にかかれるかどうかわからない人物が目の前にいるということに、現実感を喪失してしまっていた。


「ユーリ、というのか。マゼイン卿では堅苦しいしな。よし、私は貴公をこれよりユーリと呼ぶ。私のことはアデルと呼んでくれ」

「むむむ無理ですっ! 皇女殿下のご尊名を呼び捨てなど……万死に値します」

「言ったであろう、私はもう皇女ではない。下らぬ意見を採用した誰かさんのおかげで、このような場所に流された廃棄品だよ。ふふ、だがユーリの反応は新鮮で愛いな。これから少し楽しめそうだ」


 なんていう大役を任せてくれるのだと、ユーリは運命の神に文句を届けたかったが、厚い雲に覆われた天上の世界に伝わるには、まだ非力で無力に過ぎた。

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