第29話 黒死の囁き

 ユーリ、グレゴール、サンタミカエラ。三名は少ないながらも無辜の住民を救出することに成功した。途中で大隊の兵士に見つかった不幸な住民もいたが、全滅することは避けられたようだ。


「さて、どう突っ切るかな。参ったな、ついてない」

 ドミニク・ヴァクニーナが連れているのは女子供17名。担当している商業地区から脱出先の北門の貯蔵庫に向かうには、懲罰大隊の兵士が固める橋を渡らなくてはならない。下の川を通過するという手もあるが、万が一にでも発見されれば必ず殲滅される。懲罰部隊は普段粗末な扱いを受けているが故、他者に寛容な精神を持つことはない。


「さむいよう、お母さん」

「いい子ねシャラ。もう少しであったかいご飯が食べられるからね」

 折悪しく雪が降ってきた。マイナス二桁を記録しているであろう屋外に、これ以上潜伏し続けるのは不可能だ。


「くそ、どうすればいいんだ。住人を連れ出したからには言い訳が効かない。さりとて仲間を……あのお嬢ちゃんめ、とんだハズレくじを掴ませてくれたもんだよ」

 ドミニクの心の天秤を動かしたのは、橋の上にいる兵士の動きだった。


「なんだ、何か不測の事態でも起きてくれたかな?」

 期待半分、諦め半分。そっとレンガ造りの家の影から顔を出すと、何者かが兵士を襲っていた。懲罰部隊自体の練度は高くはない。なので手練れが敵に紛れ込むと収集に時間がかかる。


「あの動き、ためらいの無さ。かなりの腕……か。最悪だ」

 サンタミカエラと同時に戦えば無理ではなさそうではある。だが今は非武装の女子供しかいない。


「うえええんん、お腹すいたよー--っ!」

「バカ! 早くその子を黙らせろ!」

「お願い、静かに。坊や、いい子だから」

「おかあさあああんん! うええええええん!」


 ここまでか。何の意味もない人生だった。

 ドミニクは剣を片手に迫ってくる敵を前に、走馬灯のように騎士訓練時代のことを思い出していた。ああ、あのころはこんな不名誉な死に方をするなんて考えもしなかったなと。

 

 泣いている子供と目が合う。

 ニコリ、とドミニクは笑った。それはは彼女が見せた最初の慈しむ表情だ。


「そこで止まれ。私はヴォルガ帝国第666懲罰大隊所属、ドミニク・ヴァクニーナだ。ここは通さん」

「…………」

「へへ、情報は何も出さない……か。気に入らないねえ。悪いが私の騎士道と一緒に殉じてもらうぞ!」


 互いに首筋を狙う剣が火花を散らして激突する。迅雷の一撃を返すは烈風の剛撃。

 手首狙いの一撃をいなされ、反撃に放たれた突きを転がって躱す。一進一退の攻防は鎧に積もる雪を熱気で溶かしていく。


「こいつ、この動き……ヴォルガの騎士か!?」

 自他ともに軽装。しかし相手は顔に黒い布仮面をつけており、その正体をうかがい知ることはできない。

 ふと黒布の騎士が手を差し出す。指を一本立て、自分の方に向かってくいくいと揺する。

 かかってこい。安すぎる挑発だが、同じ騎士の動きをする相手を前に、ドミニクの闘争心は燃え上ってしまっていた。


「上等だよ。喰らいなっ!」

 頭部への縦の斬撃、そう見せかけて横からの胴切り。ドミニクの得意とする霞十字だ。今まで実戦でこれを受けきれた者はいない。


「殺った!」

 次の瞬間に、ドミニクは地面に転がされていた。

 黒布の騎士は剣の持ち手でドミニクの武器をはじき、そのまま彼女を抱え上げて地面に叩きつけた。


「ぐふっ……これ……は。ヴォルガのポドク……貴様、裏切り者か!」

「…………。……、……」


「なっ!?」

「全員……して」

「待て、待ってくれ! そんな馬鹿な……おい、待て!」

 黒布の騎士は倒れたドミニクに振り返ることはなかった。そのまま闇の中に悠々と去っていく。残されたドミニクは羞恥と激情のあまりに地を何度も殴りつける。


「馬鹿な。そんなことがあっていいはずがない。これは……悪夢なのか……」


「ドミニクさん、大丈夫ですか?」

 あたりの様子をうかがっていた町の人々が彼女に駆け寄ってくる。泣いていた子供を連れた母親が、涙を流しながら謝罪を何度も述べている。

 しかしドミニクの耳には何も入ってこない。

 心は漣のように逆立っている。それでいて奇妙なほどに安心もしていた。この矛盾した状態をこそ、彼女は恍惚であると結論づけた。


「さあ立ってください。手につかまって」

「ああ、すまない。—―本当にすまない」

 

 風雪が強まってきた。懲罰部隊による強襲もそろそろ終わりの時間が近づいてきている。

「ではご無事で。少なくともあと二日は外に出ないようにしてください」

「ありがとうございます、なんとお礼を申し上げたらいいか」

「これしか救えずに申し訳ありません。ノイエングラードの実情を知れば上層部も理解してくれると信じていたのですが。残念です」


 上蓋に乗せてある樽はそれほど重いものではない。ユーリの細い腕でも十分に抜け出すことができるほどだ。樽の上に拾ってきた動物の死骸を置いておいたのが奏功したのか、貯蔵庫への隠し扉がある一室はそれほど荒らされてはいなかった。


 たった22名。それがユーリが町と鐘楼から連れ出せたすべての人数だ。たたこれだけの同胞を救うのに、どれほどの血が流れたのだろうか。今後ノイエングラードは歴史の汚点として長く名を残すことになるだろう。


 何食わぬ顔で本体と合流を果たすと、ユーリは志を共にした仲間を探す。まさか戦死はしていないだろうが、単独行動での隠密作戦はやはり心配である。

 巌のような巨魁の男がユーリの側に自然に並ぶ。岩石も握りつぶせそうな大きな手には、メイスが握られていた。


「マゼイン卿、任務完了しましたぞ」

「ありがとうございます、神父。詳細は後ほど」

 頷きあうと、視線を前に向ける。隊長のドミトレンコが撤収の命令を出しているので、この場では報告会を開くことはできない。


「よおし殺人鬼ども、ねぐらに帰るお時間だ。俺たちのようなヴァンパイアは日に当たると溶けちまうからな。忘れるなよ、今日の出来事は全員が共犯者だ。びびって泣き言ほざく奴がいたら心臓に杭を打ってやるからな」

 顎でしゃくり、全員を値踏みするようにねめつける。


「総員、撤収! 帰りは進軍してきた道を一歩もたがえずに進め。また地雷と遊びたいのであれば一人でやるんだぞ」


「やれやれ、やっと終わったぜ。なあイグナート、何人殺った? 20か? 30か? もったいぶるなよ」

「うるせえ。かっぱらってきたウォッカをかっ喰らって眠りてえんだ。余計な口聞くとブチ殺すぞ」

「おっかねえな、前衛隊長さんは」


(笑い事じゃねえよ、ボケども。くそ、どうすりゃいいんだ……)

 サンタミカエラを見てしまった。

 彼女に続く住民たちも。

 見逃してしまった。

 きっとそれは最後に残った良心からだ。


「あの四人か。やってくれるぜ」

 伊達男はとっておきの紙巻煙草に火をつけ、ほんの少しだけ起きた奇跡に祝砲を捧げる。きっと自分の判断は間違っていない。でないと生きている意味がない。

 心に鍵をかけ、兵士の隊列を糺す任務に戻っていった。


 夜が明けた。一つの町は消滅し、存在自体が墓標となる。

 多くの躯は埋葬されることなく、母なるヴォルガの大地へと変わっていくことだろう。春の芽吹きは未だ遠い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る