第28話 心の任務に従う
生活の火の消えたノイエングラードに、第666懲罰大隊は迫った。出されている命令は一切合切の区別なく、住民を殲滅させること。もしこの虐殺が明るみに出ても、処刑されるのは既に死人と同じ大隊の兵士である。
上層部としてはこれほどに使い道のよい駒はないだろう。
「火矢用意。合図とともに一斉に撃ち込め。歩兵部隊は家から燻し出された住民を残さず殺れ。容赦はするな」
「た、隊長。本当にやるんですかい? 俺あそこには知り合いがいるんだ」
「お前が殺してやるか、ここで俺に殺されるか好きな方を選べ」
「や、やります。すいません」
鼻息を一つ。レオニード・ドミトレンコは意に介さず所定の位置についた兵士に激を飛ばしている。
誰もがやりたくはない。だが始まってしまえば歯止めは利かなくなる。最初の一歩を踏み出させるのが良い上官と教わったが、ユーリはこの任務を命令通りに行うつもりはない。
「マゼイン卿、拙僧は東門に向かいます。ご武運を」
「神父様も。射撃用の尖塔近くに貯蔵庫があります。二重床になっていますのでくれぐれもよろしくお願いします」
「大地母神のご加護があらんことを」
去っていく大きい背中をユーリは祈りを込めて見送った。
四人。たった四人での反逆だ。
懲罰部隊の残存兵力はおよそ三千二百名。決して太刀を味方に向けてはいけない。表だって攻撃をしかければ容易く踏みつぶされるのは目に見えている。だが情を以て説得すれば見逃してもらえるかもしれない。それには流血を避ける必要がある。
ノイエングラードは四方を壁で囲まれている町だ。
ユーリの知っている町のままであれば、炭鉱拠点と商業地区、住宅部と富裕層区に分かれているはずだ。
ユーリは身分的に話が通じるであろう富裕層地区へ。
グレゴール神父は説法を聞きやすい住宅部へ。
サンタミカエラは力が要るかもしれない炭鉱拠点へ。
ドミニクが残りの商業地区へと向かう手はずになっている。
「放てッ!!」
レオニード隊長の合図で一斉に赤い光線が闇夜の町に吸い込まれていく。やがて逃げ惑う住民の悲鳴と、命を飲み込む赤い舌が乱舞し始めた。
「総員抜刀、慈悲はかけるな、全員殺せ。 出撃っ!!」
威勢のいい突撃の雄叫びは行われない。ヴォルガ人にとって大敵を相手に大声で鼓舞するのは誉れの一つだ。例え相いれない存在だとしても、フリジア=シノン連合教国と戦うとなれば、おのずと戦意を盛り上げる。
だがこの戦いは違う。誰しもがこの場に正義はないと考えている。
先祖からの伝統である雄叫びを使うに値しない戦いであることは、骨身に染みるほど理解していた。
町を守る門を破るのは容易いことであった。切り出しておいた丸太を数度ぶつけただけであっけなく開き、懲罰部隊が鉄剣を手に民衆のもとへとなだれ込んで行った。
恐怖と恐怖のぶつかり合いは、無差別な殺傷行為となる。
「やめろ、同じヴォルガ人じゃないか!」
「うるせえ! お前らが裏切りやがったのが悪いんだろうが!」
「お願いします、この子だけは……ああっ!!」
「この町でガキを産んだことを呪え。くそが……」
これが日中で十分に懲罰部隊の意図を理解していたのであれば、住民側にも勝機はあった。だが夜間の火計と急襲は、戦慣れしていない者にとって致命的な効果となる。家々を一軒一軒丁寧に捜索しては隠れている者を引きずり出していく。
やがて街路にはかつて住民だったものの山が築かれた。
「はあっはあっ」
ユーリは夜陰に乗じて家々に警告して回っていた。
「来るな! 俺たちを放っておいてくれ!」
「駄目です。もうすぐヴォルガの部隊が貴方たちを殺しに来ます。町の貯蔵庫に避難してください!」
「そんなことを言って、一網打尽にするつもりだろう。その手に乗るか!」
「部隊を抜け出してまで伝えには来ません! お願いです、僕を信じてください」
「全員助けるつもりか?」
「それは……不可能です。子供と女性だけは必ず」
目の前の少女らしき兵士が必死の懇願をしている。襲い来る炎の恐怖も相まって、住民たちはユーリの意見に耳を貸し始めた。
「—―ここに居ても死ぬだけだろうからな。可能性があるのであれば賭けてみよう。おい、女子供を集めろ! このお嬢ちゃんに託して俺たちは戦うぞ」
「いいのか? 信用できるのか? ブルーノ」
「出来る、出来ないじゃない。やるしかないんだよ、マルコ」
「チッ、おいお嬢ちゃん、うちのガキどもをよろしくな……頼むよ、死なないようにせめて見張っていてくれ」
「奮励努力します」
元将校として敬礼をして返す。何も保障はないが、せめて自らの矜持だけは示しておきたかった。
泣き叫ぶ子供たちを誘導するのは非常に骨が折れた。血眼になって探している味方を避けながら進むのだが、どうしても泣き声がネックになる。
母親が慌てて口をふさぐのだが、どうしても見つかってしまう一団はいた。
「やめてください、まだ産まれたばかりなんです!」
「運がなかったと諦めろ。親子ともども大地に帰れ」
赤子に刃を突き立てられた母親は、半狂乱になって兵士に襲い掛かるが、あっさりと転ばされて腹に一撃をもらう。
「ごめん、救えなくて……」
ユーリはこの世で最も不名誉とされる悪徳を目にし、吐き気がこみあげてきた。だがえずく声を上げるわけにはいかない。他の母親たちも声を出したらどうなるかを知り、必死に子供の口を押えている。
その結果窒息死してしまう赤子や子供も出たが、それすらも多くを生かすための犠牲と割り切らねばならなかった。
「ここです、急いで」
「貯蔵庫にこんな秘密があるなんてね。あんたこの町の出身かい?」
「いえ、昔によく遊びに来ただけです。さあ、入って」
厳重に扉を閉め、上に樽を乗せておく。中にいる住民が動かせる程度の重みなので、そのまま餓えて死ぬことはないだろう。
堅牢な意思の建物を出たときに、ユーリは他の兵士とばったり出くわした。
「おい、何やってんだ? なんだ金髪のお嬢ちゃんか。へぇ、貯蔵庫ねえ……」
「美味しかったですよ。白パン」
ユーリは何も入っていない口をもぐもぐと動かし、咀嚼する振りをする。
「なんだと? まだ残ってるか?」
「いえ。他のみんなが持って行ってしまいました。僕は新入りということで一つしかもらえませんでしたよ」
「くそ、折角のまともなメシかと思ったのにな。まあいい、富裕層区の抵抗が激しいらしいから手伝え。抜け駆けしていいもん食ってたぶん、しっかりと盾になれよ」
「死ぬの前提な命令は拒否しますよ……」
「ここで死ななければお前もベテランだ。次からは生き残れる可能性も高くなるさ」
血にまみれた鎧と剣。一体何人の人々が犠牲になったのだろうか。
目の前にいる兵士が自分と同じに虐殺を忌避している心を、奥底に持っていると信じたい。そうでなくてはいけない。
「そうだ新入り、何人殺ったよ。俺は二十人はブチ殺したぜ。まったく楽なもんよ。特にガキはのろくていいな」
「ぐ……僕は……さ、三人です」
「なんだその程度か。まあまだ獲物はたくさんいるから気にすんな。よし、あそこが見えるか? バカな住民が立て籠もってやがる鐘楼だ。俺らが乗り込んで全員ぶっ殺すぞ」
「防備が固いのでは……?」
「ばっか、所詮は素人の守りさ。さあ行くぞ、殺人のお時間だ」
うきうきと肩を回して準備運動をする兵士を、ユーリは絶望の目で見ていた。
(楽しんでる……だと。こんな命令に嬉々として従ってるなんて)
「よーし突撃だ。へっ、弓も撃って来やしねえ。こりゃ楽勝だな」
「そうですね……」
ユーリは鐘楼を確保し、叫び声をあげて勝利を喧伝した。
周囲にいた兵士にこの場所を占領したと知らせるために、大げさな身振りで剣を振る。
鐘楼の下には落下死した懲罰部隊の兵士が一名、雪に埋もれつつあった。
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