第27話 心の死 ドミニクとサンタミカエラ

 ドミニク・ヴァクニーナ


 ヴァクニーン家は代々帝国騎士を輩出している、武門の一族だ。爵位は一代限りの騎士爵だが、常に優れた騎士を使えさせていることから、もはや固定爵位ともいえるほどだ。


 ヴァクニーン家の男子は軍人になるべし。これは初代から続いている金科玉条であり、絶対に逃れられない呪いのようなものでもあった。


「貴様、オリアナ! この女腹の出来損ないめっ!」


 鉄の掟が支配するヴァクニーン家の次代は、女児が三人しかいなかった。この事実に当主であるヨアン・ヴァクニーン騎士爵は烈火のごとく怒り狂い、毎日妻のオリアナを殴打し犯した。


 今度こそ男児を。ヴァクニーンの血統をつながなくては先祖に申し訳が立たない。偏執的に妻を責め続けた結果、オリアナは冷たい川に身を投げ自害した。あとに残されたのは幼い三人の娘のみ。次にヨアンの矛先が向くのは誰であるか、火を見るよりも明らかだった。


「私は軍人になります。そして騎士の位を必ずやもたらせてみせます」


 長女であるドミニクは美しい癖のあるレッドローズの髪を切り、ほぼ坊主頭になって宣言した。この時ドミニクは十歳。一生を決定するにはあまりにも早く、国際情勢も熱心な育成を許さない環境にあった。


 それでもドミニクの心には騎士への渇望があった。

『私が女に生まれたばかりに母を殺してしまった』


 この家で誰かが騎士にならないと、お家はとり潰しになる。そうなれば幼い妹たちは路頭に迷うだろう。父のことはどうでもいい。生きていても死んでいても興味がない。少なくともドミニクが修行に励んでいる間は父は満足するだろう。その間だけは妹も殴られずに済む。


 首都ヴォルガグラードの名門の養成機関に入り、ドミニクは恐ろしい吸収力と集中力で同期の中でも不動の一位をキープし続けた。体力も、体術も、剣技も、座学も、同い年の男子には決して負けない。


 そう、第二次性徴期が来るまでは。


 みるみるうちに抜かされていく順位。今までは余裕で勝利していた剣技も、もう男の剛腕には及ばなくなってきている。ならばと技の冴えやスピード、スタミナを生かす方向に舵を切ったのだが、毎月訪れるモノによってその威力は減衰を余儀なくされた。


 モチベーションは下がり、気が付けば落第一歩寸前になった。

 酒を飲み、慣れない煙草を吹かす。決意に満ちた表情は影も形もなくなり、ただ陰鬱な笑顔を浮かべるだけになった。


 だがドミニクはここで一生の友と呼べる人物と出会い、正しき道に戻ることになる。


 マリア・リーエル。ドミニクと同じ性で、同じ境遇を持つ初めての理解者だった。


「ドミニク、次にお酒飲んだらぶっ飛ばすからね!」

 晴れた青空のような叱咤に、ドミニクは意識せず涙をこぼしていた。


 以後お互いに切磋琢磨し技量を高め合う中で、二人は義姉妹の契りを交わした。そこからのドミニクとマリアの挽回は、教官たちも目を丸くするほどの出来事であったという。


 数年後。


「完全勝利は気持ちがいいね。見てるか男子ども」

「調子に乗らないの。これからが私たちのスタートなんだから」


 主席、ドミニク・ヴァクニーナ。次席、マリア・リーエル。


 ヴォルガ帝国で女性の騎士が上位を占めたのは希少なことであった。帝都新聞には心の底から笑いあう二人の記事が書かれ、新しい騎士の門出に多くのお祝いが寄せられたのだった。


「あのねドミニク。私今度前線に行くんだって」


「おい……そんな馬鹿なことはあるか。私たちは近衛騎士に内定が決まっているんだぞ。帝都での勤務はあっても、そんな、前線だなんて……」


「大丈夫だよ、私たちはどんな状況でも帰ってこれるように訓練を受けてる。へへん、先に私が昇進して、ドミニクの上官になっちゃうかもねー」


「ったく、あんまり心配させるなよな。それでどっちだ? フリジアか?」


「ううん、ラーマ大王国の方。ね、心配いらないでしょ? 多分フリジア側に兵士が多く引き抜かれたから、国境警備の穴埋めで呼ばれたんだよ」


 当時はラーマ大王国に動きはなかった。とはいえ互いに大国である以上防備を手薄にするわけにはいかない。


「死ぬなよ、姉者」

「帝都で待っててね、ドミニク。私の素敵な妹」


 ラーマの国境侵犯が帝都に伝えられたのは、マリアが出発してから十日後のことだった。


 帝都新聞にはこう書かれていた。

『ヴォルガの女性騎士、国境を守りて戦死。彼女の英霊に報いよ人民!』と。


 それから自分が何をしていたのかよく覚えていない。規律は乱れ、近衛騎士は直ぐに解雇された。実家に戻ったドミニクを待っていたのは、二人の妹の死と、狂った父親の姿だった。


「何があったのですか父上。妹たちは……」



「あ奴らも男児を産めなかった。騎士たるのがヴァクニーンの義務だと言うのに。嘆かわしい。我が種を無駄にするとはとんだ親不孝者だ」



 猛烈な眩暈と、頭を突き刺されたかのような頭痛は覚えている。

 次の瞬間、ドミニクは実父ヨアンの首を刎ねていた。


「こんな……こんなくだらない結末だなんて……私の人生はなんだったんだぁぁぁ!!」


 狂気に支配され、叫ぶドミニクは自殺防止の処置を施された後、すぐに懲罰部隊へと送られることになった。


「私には何もない。何も……いや、違う。マリアの意思を継がなくてはいけない。私は騎士だ。騎士としてしか生きられない」


 ドミニク・ヴァクニーナ。亡き親友の亡霊と共に歩む、悲劇の騎士のなれの果て。

 以後サンタミカエラと出会い、気持ちが少し持ち直すにはまだ時間がかかる話だ。



 サンタミカエラ・クレシェンティヴァ


「今日も木を切る、ほいほいほーい。ブナの木、カシの木、カエデの木~」


 当時十六歳の少女である、サンタミカエラは木こりとして生計を立てていた。父母は彼女よりも先に他界しており、母方の祖父と一緒に質素な生活をしていた。


 彼女は人に話していない、とある秘密があった。それは自身の体に『聖痕』があらわれたことである。


 ヴォルガ帝国では聖痕は女性にのみ出現し、その希少性からもれなく軍に徴用されて特殊な訓練を受ける手はずになっている。だがサンタミカエラは『便利な道具』程度にしか認識していなかったので、特に言いふらす必要性を感じていなかった。


 彼女の聖痕は『熊』。右手で触れている物の重量をなくすもので、軍が知ればよだれを垂らして囲い込むほどの能力を持っている。


 サンタミカエラは自分の体重よりもはるかに重い斧を持って、今日も気をひたすらに切る。毎日毎日たたきつけてるせいか、その体は年頃の娘とは比較にならないほど鍛え上げられていた。


「今日も大量大量。でも運べるのは一本ずつ。あはは、うまくいかないねー!」


 サンタミカエラのような独立木こりの仕事は意外に多岐にわたる。伐採業務、炭焼き、薪づくり、自分や村の人の住宅補修に柵づくり。時には猟師として手伝わされることもある。


「ん、あれあれ?」

 何の変哲もない日。いつも通り過ぎ去るはずの日常。崩れ去るのは一瞬だった。


「村が……燃えてる……」

 火事かな、それとも。予感というものは大抵悪いほうに傾くのが世の常だ。


 サンタミカエラが珍しく息を切らせて戻ってきたとき、村はあらゆる蹂躙のさなかにあった。立ち込める死臭と業火の渦。頭を割られている老人の横では、赤子が無残にも串刺しにされていた。


「お爺ちゃん!」


 一直線に自宅に走る。無事だ、無事でいるはず。こんなことが許されていいわけないよ。サンタミカエラは生まれて初めて真剣に神に祈った。どうかお爺ちゃんを助けてくださいと。


 彼女は期待というものをするのを辞めたのは、この日だった。


 山賊だろうか。それとも馬賊。いずれにせよ敬愛する祖父の首を掲げて笑っているのは、教会が言うところの悪魔に違いないと思った。


「おい、女がいるぜ」

「さんざんぶっ壊したきたからなぁ。まだ足りねぇからこいつもやっちまおうぜ」


 呆然とするサンタミカエラはあっさりと組み敷かれた。

 それから先は痛くて辛くて思い出したくない記憶である。


 気が付いたときは斧を手に、裸のサンタミカエラが賊徒を鏖殺したあとだった。


「おじい……ちゃん……」


 近くの砦から兵士が駆けつけてきたとき、村で生存しているのは彼女一人だった。鮮血に染まるサンタミカエラは、童女のようにほころび笑っていた。


「君……大丈夫か!? 他の皆は?」

「ころさ……なきゃ……全員殺さなきゃ」


 熊の聖痕はこのときに帝国に知られた。斧を片手に応援の兵士をも惨殺し、騎士団が出撃して取り押さえられた彼女は、まるで人の心を持っていないようであった。


 独房に入れられてから十か月後。サンタミカエラは第一子を出産した。


 よだれを垂らしながら望まれない我が子に乳を与える。養育不適と判断されて赤子を取り上げられた時はオオカミのように暴れまわった。


 精神を病んでいても聖痕持ちであることは変わりない。犠牲者が出ることを覚悟し、帝国軍参謀部はサンタミカエラを大666懲罰部隊へと移送することに決定した。


 命を顧みない突撃と、与えられた大戦斧で暴れまわるうちに、サンタミカエラは自我を取り戻した。村での惨劇をすっかり忘れ、出産した子も忘れ、ただ毎日疑問を持たずに敵兵を殺傷するだけの機械になった。


 サンタミカエラはドミニクと出会い、徐々に人の心を取り戻しつつある。誰も触れられない心の傷に気づかぬまま、彼女たちは今日も死線をくぐる。

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