第25話 覚醒
時が来た。当初に予測されていた通り、ユーリは最前列に配置された。
レオニード・ドミトレンコが静かに、だが確実に伝わる声量で発する。
「いいか小僧ども、渡河するまではお散歩だが、そこからは強襲だ。どんなことがあってもまっすぐ進むんだ。いいな」
「りょ、了解!」
「いいお返事だ。さぁて第666懲罰大隊、出陣する」
粗末な剣を腰にさしたまま、ユーリたちは静かに川を渡る。擦り切れた皮鎧に容赦なく水がしみこみ、中の綿入れも倍以上の重さになっている。
「さみぃ……」
誰かが歯をガチガチと噛みながらつぶやいた。トゥヴェルツァ川は長い河川で、ヴォルガ防御の要であるのだが、場所によっては徒歩で渡れるところもある。水位はまちまちで靴が濡れる程度ですむ場合もあれば、胸まで浸かってしまう場所もある。
渡河中に低体温症にかかった兵士が下流へと流されていく。残念だが懲罰大隊には衛生兵という兵科は存在していない。
「よぉし生きてるやつは全員渡ったな。これからは楽しい走り込みの時間だ。いいか、もう一度言うぞ。何があっても前に走るんだ。いいな」
「了解です!」
「進めっ!」
「よぉし、仕事だぞ諸君!」
前衛部隊の猛者、イグナート・オルコフが勇ましい声を上げる。もっとも彼は真っ先に飛び込む程愚かではない。必ず新兵に先に歩かせる。そうやって今まで生き延びてきたからだ。
ガチャガチャと軽鎧を鳴らし、ユーリはひたすらに走る。ドミニクが言ったとおりであれば、きっとアレが埋まってる地帯に違いない。
惨劇はすぐに起こった。ユーリよりもやや左側を走っていた兵士が、突然吹き飛んだ。
「な、敵襲!?」
「怖気づくな! 走れ!」
「違う、地雷だ! 地雷が埋まってるぞ!」
「やかましい、いいから走れ新入りども!」
ユーリは衝撃波を受けて地面に転がってしまった。幸か不幸か、後続の兵士たちは倒れているユーリが戦死したものと思い、そのまま通過していく。
「ユーリ、起きて!」
顔が吹き飛ぶほどの衝撃が走る。ユーリは一気に目覚めることができた。
意識を戻してくれたのは、サンタミカエラの本人曰く優しいビンタだった。
「いつつ……サン、えと……状況は?」
「ここは部隊中央部だよ。割と安全な位置だけど保証はできないかな」
「そうだ、地雷が!」
「うん、そうだね。まあ運が良ければ踏まずに町までいけると思うよ! さ、立って!」
サンタミカエラはまるで遠足にでも行くように、気軽に言ってのける。
こんなことがあっていいのか。ユーリはあたりを見回して愕然とした。
そこかしこで爆音が鳴っては、味方――主に新兵が吹き飛ばされていく。
足を失って泣き叫んでいる兵を、味方が静かに喉をかき斬っていく。理解はできる。それが慈悲というものだと。
愚策だ。こんな命の浪費が正義であっていいはずがない。ヴォルガはフリジアの狂信者と戦う正義の戦をしているはずだ。少なくとも今この時までユーリは信じていた。
自分が懲罰大隊に送られたことも、政治力の不足だと半ば認めてはいた。
「こんな……こんなのは違う。僕が信じた帝国は……こんな……」
「張り手が足りないかい、ユーリ。あんまり見ない方がいいぞ。特に闇を見すぎると引き込まれてしまうからね。そうだよ、これが帝国の正義だ。生き残ったら存分に恨み言を聞いてあげるから、とにかく前進するんだよ」
ドミニクの言葉通り、ユーリは無心で足を速めた。
「ユーリ助けてくれ、俺の中身がでちまってるんだよ」
(すまない、僕にはなにもできない)
「おい、待ってくれ。目に何かが刺さってるんだよ」
(諦めてくれ、僕は無力だ)
「母さん、母さん、母さん……」
(もうやめてくれ。もうこれ以上は……)
すべての嘆きを踏みつぶして、先に行こうとしたユーリの足が止まった。
「マルティン……」
「ううう、ユーリ……僕は……一体……」
芋泥棒の少年兵、マルティン・ガミドフが大地に転がっていた。首だけを起こしてユーリを凝視し続けている。その姿は蛆虫のようだ。
両手両足はすでにない。おそらくは直ぐ隣で地雷が爆ぜたのだろう。粉雪が舞う中、彼は一人で意識を保ちながら凍えていくのか。
ユーリは、その姿に心底打ちのめされた。
「ああ、ああああああああ!」
落涙はしない。ただ哀れであった。
「ユー……リ……」
そしてユーリは己のやるべきことを、この懲罰大隊で見つけた。
「マルティン、君はよく頑張った。残念ながら命は長くない」
「ああ、やっぱり……手足の感覚がないんだ。なぁユーリ聞いてくれ。僕は本当に何も盗んでいないんだよ。無実だ。無実なんだ」
「信じるよマルティン。さあ目を閉じて」
ユーリは愛剣のミセリコルデをそっと引き抜く。今できることは、この無辜の少年を一刻でも早く解放してあげることだ。
「迷惑……かけて……ごめんよ、ユーリ」
「また会おう、マルティン」
そしてそっとマルティンの心臓を貫く。痛みはないようだ。彼は安らかな顔で眠りについた。
「ごめん、マルティン……僕は……なっ!?」
ミセリコルデを引き抜くと同時に、ユーリの右手の甲が強く輝いた。まるで焼き印を押されたかのような痛みに、顔をしかめてしまう。
「なんだ、これ……」
それは悠然と佇む一角獣のような紋様だった。白く光るその印は、ヴォルガ帝国では乙女にのみ発露すると言われている聖痕である。
「そんな、まさか!」
ユーリに現れたのは『
矛盾という言葉を無にする、すべてを穿つ聖獣の一撃がユーリに宿った。曰くユニコーンは清らかな乙女しか乗ることができないとされている。純潔の白。その神秘が今運命の少年に宿った。
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