第二章 懲罰大隊編

第22話 第666懲罰大隊

「おいリョーシャ、てめぇまたイカサマしやがったな!」

「誰がお前相手ごときににやるかよ。自分の不運を俺のせいにすんじゃねえ」


 カードを切る音が夜の帳の中、静かに聞こえている。懲罰大隊でほぼ唯一と言ってもいい、許された娯楽だ。尤もそれは互いの駆け引きを競うものではなく、いかにして相手騙すのかに特化した戦いなのだが。


「8と10のツーペア。これでその軍靴は頂きだな」

「残念だったなぁ、イグナート。ほれ、ストレート。お前のナイフを出しな」

「クソが! もうやってられねえ。ほら、もってけ」


 リョーシャと呼ばれた男は、負け犬に用はないとばかりに、しっしっと手を振る。当然頂くものは頂いた上での行動だ。ヴォルガ南部の遊牧民の地が入った彼は、どちらかというと東洋人よりの顔立ちをしている。細い目と黒い髪に低い身長。この懲罰大隊では賭け事とあらば顔を出す、厄介者だ。


 実際彼が操るカードには、彼にしかできない細工が施されているのだが、今までそれに気づいた人間は誰もいない。だが、何かを仕込んでいると漠然と感じているだけだ。


「今日はもう寝る、おい、そっち詰めろよ」

 イグナートはとてもベッドとは言えない毛布溜まりに飛び込む。


「なあリョーシャ、知ってるか? 明日もまた懲りずに補充兵が来るそうだぜ」

上客万来カモがわんさかで何よりだ。おっ死んじまうよりも先に俺の役に立って欲しいもんだがな」


「何日でくたばると思う?」


「三日あれば八割はもういねえよ。生き残るのは強運の持ち主か、いらん知恵を持った俺たちのようなやつばかりさ。どちらにせよまともな人種のわけがねえ」


「違えねえな」


 魚油の使用も制限されている、暗い幕舎で互いにぎゅうぎゅう詰めになりながら言葉を交わしている。少しでも寒さを紛らわせるために、軽口を叩き合うのがこの部隊の慣習だ。


 イグナート・オルコフはヴォルガ北部の富裕層出身だ。木材の売買で財を成した一族の出身で、高等学校に進学するほどの余裕のある家庭だった。卒業後軍人になり、南部の国境警備の任についたのだが、そこで出会った上官に大きく、悪い意味で感化されてしまった。


 遅刻や欠勤、酒気帯びでの任務遂行。果ては二週間もの間、女性と淫行に耽り、行方をくらますなどの問題行動を起こしていた。それらの素行不良は当然、各部隊にいる党の政治委員によって告発される。軍事裁判ののち、イグナートは第666懲罰大隊に送られた。


 見た目は紳士風で、濃い茶色の七三分けの髪型をしている。口元に蓄えた髭の手入れは、毎日欠かさずに行っているようだ。百八十センチを超えるがっしりとした体つきで、部隊では最も危険な、前衛の突撃任務を受け持っている。


 ついたあだ名は『伊達男』だ。

 尤も、懲罰大隊は何処にいたとしても、命の危険にさらされることには変わりはないのだが。


「ああ、酒飲みてえな……」


 そう呟いた、リョーレイ・アルブレンスキーはカードでのイカサマ賭博を得意としている。彼は常に良い物を見せ金として賭けるので、大隊内での被害者が後を絶たない。


 愛称『リョーシャ』という。

彼は街で金貸し業を営んでいた。だが回収の方法は荒っぽく、時には殺人事件に発展することもままあった。当局に逮捕され、死刑になるはずのところをかろうじて命を繋ぎ、以来懲罰部隊で幾度もの戦闘を繰り広げてきた猛者だ。


 短い髪のところどころに白髪が混じっているが、リョーシャはまだ二十代の男性だ。顔つきに黄色人種の色が混じっている。恐らくは混血なのだろうが、彼は家庭の事情を同僚に詳しく語ったことはない。


 この二人は今まで幾多の死線を乗り越えてきた。どのような経緯で大隊に来たかは問わず、性格のいい者は先に死に、彼らのような人格破綻者ほど長生きする。その理由は端的に言って、他人の命に無頓着であり、自分の命を人一倍大切にするという原則を持つ者だからだ。


 夜の帳は濃く滲む。無造作に消耗される命の多くを飲み込んで。



 帝国歴311年、3月1日。


 馬二頭に引かれた、大型の荷馬車隊が第666懲罰大隊の駐屯する、最前線に到着した。荷台には兵士がぎゅうぎゅう詰めで押し込まれている。


 粗末な皮鎧の上に襤褸ぼろの外套を着せられ、出来の悪い剣を一本だけ与えられていた。身を守るべき兜や盾を持っている者はなく、存在の全てを攻撃に振り切ったようないで立ちだ。腰には小さな兵糧袋を提げ、撥水性の悪い粗悪な軍靴と共に悲壮さを感じさせていた。


 ユーリ・マゼインもその積み荷の一つであった。骨が悲鳴を上げるような凍気の中、一度たりとも休むことなく輸送は行われたせいか、荷台は汚物で満載である。


 鼻が曲がるような臭気の到来は、新兵到着の合図でもあった。先任の兵士たちは新しい死刑囚の顔を拝むためにぞろぞろと集まる。好奇心と羞恥心。ここに連れてこられた兵士の中で、自らの境遇や判決に納得している者など一人もいない。寧ろ自分は無実だと言わんばかりに顔を上げる。だがその誠実たらんとする姿勢すら、冷笑を浴びることになるのだった。


 雪の降る中、新兵たちが整列する。そこに三十代半ばごろの、赤い髪と立派な顎髭を蓄えた、屈強な人物がやってくる。周りにいる大隊の兵士たちは不動の敬礼で彼を迎えた。


「新兵諸君、楽にしろ。俺が第666懲罰大隊の指揮をしている、レオニード・ドミトレンコだ。俺のことを呼ぶときは、ただ、『隊長』とだけ呼べ。それで通じる」


 一人一人の顔を覗き込み、まるで品定めをしているかのようににらみを効かせている。


「一分一秒でも長く呼吸をしていたければ、命令に従え。この部隊に後退や退却は許可されていない。該当する行為は即座に処罰されることだろう。――おい小僧、貴様は何をしでかしてここに来た?」


 ユーリと同じくらいの年齢の少年だ。レオニードの鷹のように鋭い眼光に射すくめられ、しどろもどろになっている。


「じ、じ、自分はマルティン・ガミドフと言います! 無実の罪でここに送られました!」


 マルティンの頬で打撃音が鳴る。レオニードが鉄拳を食らわせたのだ。

「無実などという罪状は存在しない。判決通りに答えろクソガキが!」


「う……ぐ。窃盗であります。ジャガイモをニ十キロ盗んだ容疑がかけられて……」


「そうか、このご時世に大胆なことをする奴だ。飢えてまともに動けなくなる兵士もいるというのに、何て奴だ。顔と名前は憶えておいてやる」


 最後にもう一喝すると、今度はユーリの前に立つ。


「おい金髪、お前は雄か雌かどっちだ」

「お、男です!」


「そうは見えんな、お嬢ちゃん。で、貴様は何をしたんだ?」


「……死ななかったことです。部隊は全滅し、指揮していた私のみがおめおめと生き残ってしまった! それが……僕の……罪です」


 レオニードの眉が僅かにつり上がる。ああ、こいつか、と。お偉いさんが作り上げたスケープゴート。誰の責任を同時に背負っているのか不明だが、この若さで不憫なことだと思った。


「ならばここで立派に戦死することだ。貴様の血でも、祖国の傷を癒す慰めにはなるだろう」

「……僕は、生き延びます」


「何か言ったか?」

「いえ、努力いたします」


 ユーリの悲壮な表情はレオニードにも伝わっていた。直感的に彼は思う。この少年には多くの試練が待ち受けるが、それを跳ねのけた時、きっと必ず化けると。他の兵士とは違って、瞳には強い光がある。その灯を絶やさない限り、導きは訪れるだろう。


「よし次――そこのヒリ出されたクソは何をしたんだ!」

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