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第21話 幕間:探究者ニコライ

 ガス灯が光る街路を、一人の青年が進む。町にはすっかりと夜の帳が下りていて、家々からは炊事の煙が立ち込めていた。


「ふむ、このあたりのはずだが……さて」

 男の名はニコライ・ラズロフという。帝国内務省勤務の二等事務官だ。このたび帝国史編纂の新規事業に抜擢された、有能な若者である。


「サフィーリナ、サフィーリナ。ここか」


 一つの家を見つけ、ラズロフは意を決して戸を叩く。忙しい時間帯に邪魔をすることに若干の負い目を感じながらも、己の仕事を全うするためと言い訳をして飲み込んだ。


「はぁい、どちらさまー」

「夜分に申し訳ありません、帝国内務省の者です」


「内務省? 今開けます、どうぞ、入って」


 招き入れてくれたのは一人の老婆だった。年齢を感じさせない快活な声と、ピンと張った背中はまだまだ健在であることを示している。


「こちらにどうぞ、お茶でもいれましょうね」


 ニコライは通された部屋にあった簡素な椅子にそっと座る。暖炉の火は十分に燃え盛っており、外の冷え込みをあっという間に癒してくれた。


「ヴォルガのコバルト茶しかないけれど、どうぞお飲みくださいな」

「かたじけない。いただきます」


 胃の腑が温まり、舌も回るようになってきたので来訪の理由を告げることにした。


「実は今、内務省では帝国史の見直しを行っております。ですがあの時――英雄時代と呼ばれたときの情報が大きく損なわれていまして。こうして当時を知る人々を訪ねて回っては、歴史の編纂のためにお話を伺っているのです」


 老婦人の顔が強張る。ヴォルガでは長生きするための秘訣として、余計なことはしゃべらないということが定説となっているからだ。


 しかも相手が役人となっては、ますます口は重くなるというものだろう。


「こちらの書類をお受け取りください。舌免状というもので、内務省にどのような内容を語ったとしても、罰することはしないという法務省発行の正式な通達です。オリカ・連火レンカ・サフィーリナさん」


「用意が良いですね。それで、私に何を聞きたいのでしょうか」


「第199歩兵中隊の顛末について。それだけでは情報不足ですかね。マリアン・連火・サフィーリナ一等魔道兵について質問したいのです」


「帰ってください。というのは厳罰に値しますか?」


 無論国家の命令だ。一般の臣民に拒否権などあるはずもない。けれどニコライはなるべく多くの選択肢を用意しておいた。


「問題ない、とは言いませんが、私個人の裁量でもみ消せます。ただよくお考え下さい、貴女がサフィーリナ一等魔道兵のことを語らなければ、彼女は歴史の中に埋まったままになってしまいます」

「…………」


 長い沈黙の跡、オリカは語り始めた。はるか東の列島に住んでいたこと。自分が神職の娘であったこと。魔法探求に来た夫と出会い、一人娘のマリアンを産んだこと。


「最後の手紙にはこう書かれていました。『私は戦場で恋をした』『まだ手も握れないけれど、必ず連れて帰るから』と」


 マリアン・連火・サフィーリナ。戦場でユーリ・マゼインを救ったという情報は予め聞いている。戦後収監されたセルゲイ・ジルコフという政治将校がそのように記録を残していた。


「なるほど、マリアン嬢は誰に恋をなさっていたかお聞きになられていますか?」

「いえ、名前までは。ただ貴族の子弟だったということは書かれていました」


 ふむ、とニコライは考える。もともととある可能性を求めてニコライはサフィーリナ家に訪れた。だが娘が戦場で書いた母への手紙に、誇張はともかく致命的な嘘はついていないだろう。


「酷な質問かもしれませんが、どうしても聞いておきたいことがあります。娘さんは妊娠していましたか?」


 ニコライの顔にコバルトティーがかけられる。見ればオリカは発作でも起こったかのように怒りで打ち震えていた。


「帰ってください。そして二度と顔を見せないで」

「答えを聞いていませんが」


「っ……! この外道め。でかい腹を抱えて前線に立てるわけないでしょう! もし子供がいれば娘が戦場で散ることもなかった! それ以上に何が必要だ、国家の犬め!!」


「大変貴重な情報をありがとうございます。お心を害してしまい申し訳なかった。二度と顔を見せないことをお約束します」


 帝国文官の正式ベレーをかぶり、ニコライは席を立つ。

 家の中ではオリカの泣き叫ぶ声がこだましていた。


「仕事とはいえ、これは厳しいな。だが見つけなくてはいけない。必ず」

 ニコライは手帳を取り出して、オリカの欄に大きなバツ印をつける。


「さて、次に近いのは……ああ、フローベール家か。大物議員にこの質問をしないといけないとは……私は殺されるかもしれんな」


 抵抗史編纂事業。それは表面上は大したことのない、税金の無駄遣いだ。だがニコライはそこに特別なものを隠し持っていた。


「真なる君主に仕えることこそ、臣の忠義なり。さて……」


 ニコライの大きな肩は、夜明けと同時にぎゅうぎゅう詰めの乗合馬車とともに消えた。


 死者の尊厳を掘り起こす墓暴きは、千鳥のさえずりに見送られて次の町へと向かう。とびっきりの無礼な質問と一緒に。

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