第20話 人民の敵に

 ナサローク要塞を守備している、第一師団所属の作戦参謀、ヴァシリー・ジェイショフ中佐は、第四次トゥヴェルツァ川攻防戦を敗北と認識していた。

 無論そんなことは口に出すわけにはいかない。今要塞内では政治将校の長たるモーゼフ・ベルニンスキー大佐が怒り心頭でいるのだ。余計なことを言えば、胴体と永遠におさらばすることになるだろう。


 城塞にいる首脳部も同様に苛立っていた。結局のところ第十師団は踏みとどまれず、援軍に送った第七師団も殲滅された。今回の戦はフリジアとの戦端を開いて以来、最大最悪の結果だった。これが本国の知ることになったのであれば、首のすげ替えだけで済む問題ではないだろう。


 だから欲していた。

 現場からおめおめと戻ったという、誰しもが納得する生贄の存在を。


 ジェイショフ中佐がユーリに出頭を命じたのは、戦闘での結果を報告させるためだ。どのように戦い、どのように反撃が行われ、どのように兵を失ったか。話すユーリにとってはこれほどの屈辱や悲しみはない。だが今後に続く兵士たちが同じ末路を辿らぬよう、敵の正体については確かめておく必要性があったのだ。


「――これが、お話できることの全てであり、私たち第199歩兵中隊の最後です」

「辛い話をさせてしまったな。しばらくは呼び出しが多くなると思うが、そのつもりでいて欲しい」


「はい……」


 ユーリの顔色はいつにもまして白く、落ち込んだ様子であった。誰とすれ違っても、誰と話しても、心に火が灯ることがない。圧倒的な敗北を植え付けられてしまったのだ。


 帝国歴311年、二月二十七日。


 ことが動いたのは、ユーリが三回目に呼び出されたときのことだった。

 会議場にはアレクサンドル・ボグダーノフ大将、モーゼス・ベルニンスキー大佐、ヴァシリー・ジェイショフ中佐の三名が出席していた。


「ユーリ・マゼイン同志中尉。今日君を呼んだのはほかでもない。消滅した第199歩兵中隊の責任の所在をはっきりさせておく必要があると判断したのだ」


 モーゼス・ベルニンスキー大佐がそう言葉を発した。この会議は彼が率先して取り仕切るらしい。


「今現在、君には多くの容疑がかけられている。それを認識しているかね?」


「容疑……ですって? 一体どんな! 私は最後まで戦い抜きました! 文字通り、最後の一兵まで!」


「その真贋を問おうとするのが、この会議の目的だよ」


 ユーリは混乱する。一体ベルニンスキーは何を問い質したいというのか。これまで話したくもない記憶について、根掘り葉掘り聞かれたというのに。ある意味『普通』の上官であれば、憤慨して反論のしがいもあるだろう。だが――。


(他のどの将軍でも構わないが、ベルニンスキーに目をつけられるのだけはだめだ。この男ほどナサロークで命を奪っている者などいやしないのだから)


「ではまず一つ目。部隊壊滅についての責任だ。報告によれば、君は戦死したアンドレイ・ベンディーク同志大尉から指揮権を引き継いだとある。それに間違いはないかね?」


「はい、そうです。ベンディーク同志大尉は両目を負傷しておいででした。なので次席階級たる私が指揮権を引き継ぐべきと判断いたしました」


 当時の状況を聞かれてもいないのに説明する。相手を考えれば沈黙すべき箇所はそうして然るべきなのだが、ベルニンスキーの圧迫に耐え切れず、口が勝手に開いてしまう。


「つまり君が指揮官だったということだね。それで君が権限を行使したことにより、部隊は全滅、生存者は二名のみという結果になったのだが、何か弁明はあるかね?」


「状況は混乱していました。強力な砲撃支援のもと、敵の特殊部隊が我々よりも優れた技術で奇襲をしてきたのです。生存者が二名のみという結果に関しては言い逃れのしようもありません。ですが我々は最後まで義務を果たそうと努力いたしました!」


「努力し、義務を果たすのはヴォルガ人として当然のことだ。君は責任の所在と義務を果たせなかったことを認めた。それについては勇気ある発言と受け取ろう。では次――」


 取り調べは淡々と進んだ。ベルニンスキーはユーリの身に覚えのない容疑を次々と告発していく。ユーリは理由もわからない内容に困惑し、ただ否定の言葉を並べることが精いっぱいだった。


「マゼイン同志中尉の見解は参考にしよう。敵に有力な機動部隊がある。その存在を知ることができたのは結構なことだ。では最後に、君はどうして生きているのだね? 部下たちは勇ましい奮戦の末に討ち死にしたというのに、なぜ指揮官たる君が健在なのか。最後まで敵に抵抗し、ヴォルガの誇りを示すこともできたのではないかね?」

「……それは、私が戦死するべきだったということでしょうか」


「ヴォルガの誇りを忘れるようなことがあってはならないと言っているのだ。現にジルコフ同志少尉は、きちんと政治将校たる義務を果たし、報告の任務を完了させている」


「ですが!」


「彼の報告では君の軍生活での態度にも言及がなされている。党が定めた序列を弁えず、部下と懇ろな関係になり、扇動を行う懸念があるとね。つまり、君のことを不穏分子として調査していたとある。まあ結果として君の部下は全員死亡し、同志少尉の貴重な情報は霧散したわけだが……。党としてはこれ以上君を通常の軍に置いておくことができなくなった」


「ジルコフがっ……。彼を呼んでください、一方的に断罪されるのは不公平ですっ!」


「いいだろう。だが、義務を果たした彼と、義務を怠った君とでは発言内容に天と地ほどの差があることを自覚してもらいたい」

「くっ……」


 ベルニンスキーは衛兵を呼び、ジルコフの入出を命令した。入ってきたジルコフは帽子を脱いで神妙な顔つきをしている。


「ジルコフ同志少尉。マゼイン同志中尉の責任について、君の見解を聞きたい」

「報告します。中隊を掌握する任務を任されたのにも関わらず、いたずらに敵と交戦、その結果多くの将兵を失いました。彼の罪の大なるや計り知れず、党への忠義も疑わしく思われます」


「ジルコフッ!!」

「付け加えるならば、個人として将器にあらず、兵としても実力が足らず、むやみに派閥を作る傾向があります。偉大なるヴォルガの繁栄のため、毒草の芽は早期に摘むのが最善かと存じます」


「なるほど、ジルコフ同志少尉の話はよくわかった。君には別の任務を追って与える。下がってよろしい」

「はっ、失礼いたします」


 ジルコフは一瞬ユーリを見て口角を吊り上げる。そしてそのままベルニンスキーと敬礼を交わし、退室していった。


 ベルニンスキーは両隣にいるボグダーノフ大将と少し会話を交わした後、ユーリに再び顔を向けた。


「西部方面軍隣人党書記代理として、君に宣告する。ユーリ・マゼイン、君の軍歴と階級章を剥奪の上、第666懲罰大隊へと送致する。これは最終決定だ」


「懲罰……大隊……そんな……」


「このたびの戦いにおいて、多くの将兵が義務を果たした。その中で、たった一人おめおめと生き返ってきた自分を恥だとは思わないのかね?」


「やはり――」


 第七師団で他にも生き延びた将はいる。彼らも同じ査問を受けていることだろう。

 敗戦には責任者が要る。それも明確に名指しできるだけの誰かが。政治将校は、今ここで生きているがユーリでいなくても、きっと他の生贄を探していたに違いない。


 残念なことにユーリは馬鹿正直に出頭した。それは罪を認めると同義。彼は自分で自分の首に縄をかけ、死刑執行書にサインしたのだ。


 抗弁むなしく、ユーリは人民が否定すべき敵のリストに入ってしまったのだ。


「荷物は必要ない。ナサローク外に護送用の兵士を待機させてあるので、この会話が終わり次第そちらに向かうように。以上だ」


「待って下さい! 私は、本当に何もっ!」


「まだわからないのかね!! 『何もできなかった』!! それが君の最大の罪なのだ! これ以上同志でない者と口をきく必要はない。衛兵、連行せよ!」


 何もしなかった、何もできなかった、何も行動を起こせなかった。目の前で、テオドールが、エセクが、ルイセが、そしてマリアンが死んだ。ユーリは何も成すことができなかったのは、突き付けられたくない事実だった。


 いつかの会議のように、ベルニンスキーが先に退室していく。軍に認められたあの時とは違い、今度は全てを失う結果となったのだが。


 扉の外に控えていた二人の兵士が、ユーリを肩から抱え込んで無理やりに立たせる。


 この日、ユーリ・マゼインは中尉の階級及び、軍内部における経歴を抹消、党委員会による不穏分子としての国家の指定を受けた。


「……すまない、マゼイン中尉。私たちも努力はしたんだ。本当に残念だよ」


 ジェイショフ中佐が優しく声をかけるのだが、ユーリの耳には届いていない。ボグダーノフ大将は瞑想している状態のまま、微動だにしていなかった。


 戦場で最も死傷率の高い懲罰大隊。そこがこれからのユーリが身を置く場所となる。


 最低限以下の食事と過酷な任務を受け持つのは、犯罪者、政治犯、命令逸脱者たちである。軍中において最もモラルが低い、死ぬためだけの部隊だ。


 これまでユーリは懲罰大隊の存在を遠いものだと考えてきた。貴族の子弟であったからという微かな安心感も一助となり、自分たちとは違う人間の巣窟だと思っていた。


 人は身近に災害が降り注がない限り、最後まで他人事であろうとする生き物だ。そんな無関心がユーリを殺す。少なくとも、これからはまともに眠れる夜はこないであろう。


 ユーリが強制退室させられたのち、会議室では密かな議論が言葉少なく行われた。


「未確認ですが、彼には『聖痕』を持っている疑いがあります。懲罰部隊で無為に命を散らせてよいものでしょうか?」


「構わん。寧ろ命の危機に瀕するほど、能力が発露するという研究結果もある。死ねばそこまでの運だったということだ。他にも人材はいる。そうだろう、同志中佐」


「ヴォルガの新しき英雄となるか、死して土となるか。全ては運命ということでしょうか、閣下」


「願わくば、彼が死の闇を振り払い、再びこの場所に来ることができることを願おうじゃないか」


 ボグダーノフ大将はそっと手を組む。彼は神など信じていないが、この日ばかりはユーリのために祈ろうと、心を天空に向けるのであった。

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