第19話 さようなら、愛しき人

 ユーリは体にのしかかる重さに、息が上手くできずにいた。何かが自分の上に乗っている。そのせいで血液が全身を巡らず、足先が痺れたような状態にもなっていた。だが意識があるだけでも幸いなことである。このまま長く雪に埋もれていては凍傷になって、やがては生命の危機に瀕することだろう。


「う……ん……」


 状態を確認しようと目を開ける。すると飛び込んで来たのは、いつか見たマリアンの笑顔だった。


「やあ、ユーリ」

「マリアン? 君かい? 大丈夫だったの?」

「うーん、微妙と言えば微妙、かな」


 ユーリは体に力を入れ、マリアンを起こして自分も立ち上がる。そして目の前の光景に唖然とした。


 肉片、肉片、肉片。何を憎めばここまでの惨禍が生まれるのだろうか。最早自分が今呼吸をしていることすら、罪深い行為なのではないかと自問自答してしまうほどに。


「マリアン、一体何が……」

「ユーリも……見たっしょ。砲撃魔法だよ。最後にまたぶっ放してくれちゃって、さ」


 マリアンの力が急速に抜けていく。こんな状況で求めるのも酷な話ではあるが、マリアンの声にはいつもの快活さがない。 


「どこか、怪我してるの?」

「え……へへ……。ドジ踏ん……じゃった」


 マリアンはうつ伏せに倒れこむ。そしてユーリは見てしまう。黒く焼け焦げたマリアンの後ろ半分の姿を。美しかった黒髪の後ろは燃え失せ、背中からは腸がはみ出している。黄色人種らしくしなやかだった足は、炭化して見る影もない。


「う、あ……」

「叫ぶな……男でしょ……」


「動かないで。今応急手当を。ああ、馬車が……くそっ」


「いいんだよ、ユーリ。このままで。ねえ最後に聞いて? 私さ、今まで自分がおレズさんだと思ってたんだよ。女子ばっかりの生活だったからかな。軍隊に来ても気になるのは女子ばっかりだったんだよね。でも、ユーリと出会ってから変わった気がするの。ああ、見た目は女子だけど、ユーリはきちんとした男性だ。私は普通でいられるかもしれないって」


「喋っちゃだめだ。味方の陣まで引きずってでも連れていくから、頑張って」


 ゴフリ、とマリアンが赤黒い血液を吐く。ユーリにもたれかかる重さが倍に増えたようだ。


「知ってた? 実は……私いつも……。口紅、つけてたんだよ……」

「マリアン……」


「ユーリ……に……、気づいて……しか……た……」

「マリアン? マリアン!!!」


「す……き……」


 それがマリアン・連火・サフィーリナの最後の言葉だった。


「うああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 ユーリは力いっぱい抱きしめる。折れそうな細い体で、同じく砕けてしまいそうな、マリアンの細い体を。


 一時間ほど慟哭は続いた。泣きつかれ、泣きはらし、泣き過ぎた顔で、ユーリはやっと気が戻った。世の中にこれほどの悲しみがあるというのか。自分は既に死んでいて、煉獄を歩いているのでなかろうか。そんな考えもよぎるが、冷たい風雪はユーリに非情な現実を打ちつける。


「僕だけが……一人……」


 第199歩兵中隊はここに壊滅した。そして幸運な者はもう一人。

 雪原が不意に盛り上がった。中から大きく息を吐き、一人の男が現れる。

 セルゲイ・ジルコフ。中隊の政治将校は骨折のみの損害で、生存することができていたのだ。


「ジルコフ同志少尉!」

「ひいいいいいっ。い、命だけは助けてくれっ! 何でもする!! この通りだっ!!」


「同志少尉、落ち着いてください。ユーリです」

「え、あ……。何だ、小僧か。脅かすんじゃない。それよりも中隊はどうした? 早く私の部隊を集結させろ!」


「できません。私たちは敵の特殊部隊の奇襲を受けて全滅。私と同志少尉以外は全て戦死しました」


「ふざけてるのかっ!? ああ、なんということだ……これでは党本部にどう弁明すればいいのか……」


「考えるのは後でもできます。食料を探して離脱しましょう。さもないと誰も報告ができなくなってしまいます」


「やむを得まい。私は義務を果たさねばならんからな。ぐおっ、痛い、痛いっ!」

「骨折しておられるのでしょう。動かないでください、今添え木を当てます。食料も二人分くらいなら、なんとか残っているでしょう」


「私を失うのは、党に対する利敵行為だぞ。最後まで護衛をするんだ」

「……はい」


 悲しみにくれるなか、ユーリは無傷の食料箱を見つけることに成功し、惨劇の現場を跡にする。途中で味方の哨戒部隊に出会ったことが幸いしたのか、二人は無事に保護され、ナサローク城塞まで帰還することができたのだった。


 失ったものはあまりにも大きい。だが戦争という魂を通貨とした外交活動は、それすらも一つの過程として結果を出さなくはならない。今日消えた命の鎮魂は、ユーリが顔も知らない誰かが、後世に行ってくれるのだろうか。

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