第18話 死の連鎖
辿り着いた兵士は次々と陣に加わり、ルイセを中心とした防御態勢を構えた。ユーリも列に参加し、いつ飛びかかってくるかわからないグールに備えている。
幾体か敵を排除し、ほぼ全てといえる生存者をまとめ終えたと思われた。最後にエセクが怪我をした兵士を二名担ぎ、ユーリのもとへとやってくる。
「これで……全員だ……」
「ありがとうエセク、少し休んで」
「心配いらない。軍曹である俺が弱音を吐くわけにはいかないからな」
敵の攻撃が途絶え、部隊は一息つくことができた。思わぬ障害に当たってしまったが、これで最後だろう。誰しもそんなことを頭によぎらせていた。だがルイセが警告を発する。
「何か……聞こえる……地面?」
荷台に耳をつけ、人差し指を口に当てている。
「ッ!! 来る……。地面の……中から……!!」
ルイセは素早く弓をとり、矢をつがえる。
彼女の矢が向く先には、テオドールがいた。
「テオドール! そっちだっ!」
いち早く反応したユーリが叫ぶが、テオドールは脚部の装甲を直している瞬間だった。まるで土の中から大魚が現れたかのように、大きく土石が口を開ける。それは生き物のようにうねり、最も近くにいたテオドールに襲い掛かった。
「なんだよ、こりゃ……」
盛り上がった土は獣の歯のよう、石はまるで熊の爪だ。
ぶつん。
テオドールは完全に飲みこまれ、主を失った剣だけが地面を転がる。
「テオドールっ!!!」
「だめよエセク! 戻って!」
マリアンの制止は届かない。エセクは必死にテオドールの胴体を取り戻そうとするが、地面は既に平らになってしまっていた。もはや地中のどこに埋まっているのかすらわからない。
「ちくしょうっ! テオドール、返事をしろっ! テオドールッ!!」
より一層深く、死臭が漂う。
「そんな……これは現実なのか……」
恐怖に怯える者、悲しみに暮れる者、様々な感情はあるが、誰しもが考えていることは一つだった。
次はどのような手で自分たちを殺しに来るのか。訪れたはずの僅かな休息は、敵の最後の慈悲だったのではないか。疑念が疑念を呼び、中隊は半ば狂乱状態になってしまった。
「ルイセ、他に動くものはある?」
「ん……今のところ……ない」
マリアンとルイセの小さなやりとり。それを聞いてユーリの目から大粒の涙が零れ始める。
「テオドール……」
テオドールを失った。子供の頃から自分を引っ張りまわし、行く先々でトラブルを起こしていた、あのやんちゃな姿。軽薄な声、落ち込むことを知らない性格。それらが永遠に失われてしまった。
何よりも苦しいのは、自分が何もできなかったことだ。テオドールはユーリの目の前で死んだ。最後に何を見た? 何を言おうとした? もうそれは神にすらわからないだろう。
テオドールにばかり気をとられていたが、中隊の兵士も多数土に飲み込まれていた。残存兵力八名。指揮官は戦死。もはや軍として定義してもいいのかどうかもわからない。
不意に吹雪が止む。今まで失われていた視界が戻り、見たくなかったものまでよく見えてしまうほど明るい光が射しこんできた。
その髪は奇しくもユーリと同じ黄金の輝きだ。
真紅の板金に、獅子の意匠が凝らされた鎧を着た男が堂々と歩み寄ってくる。
「実のところ――この結果に失望している」
あくまでも自然体の所作で、そして殺意を押し殺した声を発した。ユーリに負けぬほどの光臨をまとった金の髪が肩まで伸びている。王者のごとき姿は見る者を圧倒し、取り込むような真紅の瞳が戦場を眺めやり、震えぬ強い意志を示していた。
「ヴォルガには聖痕と嘯く魔女の証を持った強者がいるというが、どうやら貴様たちではなかったようだな。許可する。もう死んでもいいぞ」
男はそっと空気を鼻から抜き、静かに首を振る。死骸散らばる戦場において、なお怜悧に佇み、威風を放っていた。
「お前は誰だ? 名を名乗れ!」
「その意義があるかどうかは不明だが、戦の慣わしとあれば。私はライアン。ライアン・ウォルフゴール。フリジア=シノン連合教国特別遊撃部隊・
自分たちはいいように追い詰められてしまった。
嘆く少女のような顔をして、力なくうなだれるユーリはここにいて。
鋼のような眼差しを送り続けるライアンがそこにいる。
「今日まみえたのは偶さかだ。騎士団の正式な初出撃に、たまたま貴様らと出会った。ただそれだけの話だ。初陣記念の賞品争いの一つとでも思えばいいのか」
「それだけ……? それだけのことで?」
「何を動ずる。我々と貴様らは立派な敵同士だ。それともお前たちは自分に、高値で売る価値があると思っていたのか」
ライアンは大きく手を広げ、まるで朋友を迎え入れるような態度でユーリに歩み寄ってくる。重装な装備だが、まるで重さを感じさせない足取りが、ユーリの産毛を逆立たせた。
「それ以上近寄るな! ライアン!」
「しゅーとっ!!」
ユーリが直剣を向けるや否や、ルイセが矢を放った。矢は真っ直ぐに飛び、ライアンの額へ。
だが届かない。ライアンの前でなぜか矢が止まっている。まるで空中に縫いとめられたかのように、ピクリとも動かない。
「なに……それ……」
ルイセは驚愕の表情でライアンを見る。だが怯まずに二射、三射。だがそのどれもがライアンの全面で固定されてしまう。
「投射攻撃は通じない。私が姿を出したことに、意味を見いだせないのか」
空中に制止している矢を、軽く腕で払いのける。
「うおおおおおおっ!!」
「エセク、だめだ!」
槍を構え、エセクが突撃を敢行する。矢を止めたのであれば予測できていた構図だが、案の定エセクの穂先は、ライアンのすぐ手前で硬直し、動きを封じられてしまった。
「ぐ、ぬおおおおおおおっ!」
満身の力をこめて貫き通そうと、筋肉を総動員しているが、一ミリたりとも動かない。
「この……化け物めっ!」
エセクは槍を頭上に振りかぶり、ライアンの顔面を粉砕しようと力をこめて振り下ろす。だがまるで通用しない。それはまるで透明の壁か、それとも見えざる剣閃か。何度攻撃を繰り出しても、その軌跡は届かない。
「弾かれる、だと……。一体何だ、貴様は何をしているんだっ!!」
エセクの咆哮が木霊する。怒涛の連撃は更に加速し、槍折れて只の棒きれと化しても止むことはなく、軋み続けていた。
「無能め」
鈍い音がする。ライアンの黒い剣がエセクの背中から生えた。
「ご、あ……ユーリ……」
「さらばだ、五分後には忘れるだろうが」
「行か……せる……か……。ここで俺と……死ね!」
エセクは懐中から短剣を抜き、剣を握るライアンの心の臓を狙う。
だが、まただ。またしても不可視の守りに阻まれる。食いしばった歯が噛み折れ、雪の上に乳白色の欠片を撒こうとも、それは決して変わらない。
貫いた剣は逆に動きを止めない。一捻じり、二捻じり、三捻じり。口から血の泡を噴き出すエセクに慈悲深い顔を向け、絶命行為を続けている。やがてその体は虚脱しきり、地面に崩れ落ちた。
「え、エセクーーーーーーーーーーッ!!!」
「部隊への忠誠、大儀だった。然らば疾くと眠れ」
ライアンの言葉はユーリの耳には届いていない。エセクが死んだ。いつもそばにいてくれて、頼れる年上の兄が、今、目の前で。しがみついてもやめさせるべきだった。テオドールの時に後悔したばかりなのに、また同じ過ちを繰り返してしまった。
僕は、一人では何もできないのか。
否。断じて否である!!!!
ユーリの胸で火薬が炸裂したような衝動がこみ上げる。ライアンとか言ったか。確かに奴は強いのだろう。でもそんなこと知ったことか。殺す、必ず殺す、今すぐに殺すっ! そうでなくては、自分は人間としての尊厳を保っていられない!!
「死ね! 死んで贖え、フリジアの獣めっ!!」
直剣を片手に、大地を平たく滑るように疾走する。満身の力をこめて飛び立ち、相手の肩を狙って袈裟切りに切り込む。
届かせる。この刃だけは絶対に。
鎮魂歌は断末魔の悲鳴で奏でろ、ライアン・ウォルフゴール!!
「吐き気がする」
ライアンの強烈な蹴りがユーリの腹に叩き込まれた。背中まで突き抜ける衝撃。鎧を着ていなかったら、内臓が破裂して死んでいたに違いない。
「うえっ、げほっ」
武器を手放しその場でえづく。それでも指はライアンの方向に向け、敵意を失うことはない。必ず、必ず報いを。
そんなユーリの目の前に、そっと何かが置かれた。
「貴様は敵として値しない。これを見て腑抜けた態度を改めろ」
南瓜ほどの大きさで、縦長の物体だ。ユーリの片手では余るだろう。あまりにも無造作に置かれたそれは、ユーリの心を大きく砕け散らせた。
荷台の上にいたルイセの首だった。
目を見開き、口からは舌が覗いている。雪原に染みわたる血液が、今しがた切り取られたばかりであることを示している。
「ああ……ああああああああっ!!」
馬鹿な、今の一瞬で? なんでルイセが? もはや脳がまともに働くことを拒否していた。
「――時間だ」
ライアンはくるりと背を向けて去って行く。憎き敵の後姿を目に焼き付けようとしたユーリは、全く別のものを発見してしまった。太陽の光とは異なる、別の光。最初の戦いのときに自分たちを穿った雷光のような魔法だ。それがゆっくりと自分めがけて降ってくる。
「逃げるのかライアン! 僕は許さない! 絶対にお前をこの手で! くそおっ……」
「ならば相応しい力を身に付けろ。私の前に立てるようにな」
着弾。衝撃と烈火は大地を薙ぎ、点在する屍を埋葬する。やがてすべては静かな雪の中へ消える。兵士は微かな息遣いをそっと静止させ、母なるヴォルガの一部となりかわるのだった。
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