第16話 落日

 

 第199歩兵中隊と入れ替わりに戦っていた他の中隊は、既に攻撃態勢に移行し、突撃を開始した。敵の第一陣の突撃を受けなかった分、まだまだ消耗が少なかったので、迅速な行動か可能だったのだ。


「マゼイン同志中尉、部下に準備を急がせたまえ!」


 馬に騎乗したアンドレイが叫ぶ。彼の言う通り攻撃は連続したもので、間断なく続けることが好ましい。その意味ではアンドレイの指揮は間違ってはいない。だが消耗した自軍よりも精強な敵軍に正面からぶつかることの不毛さを、正しく理解しているとは思えなかった。


「……エセク、大丈夫かい?」


「問題は大ありだが、仕方がない。道は俺とテオドールが切り拓く。ユーリは中衛のマリアン、後衛のルイセたちの援護を頼む」


「わかった。大尉、第二小隊準備完了です」


「よろしい。それでは戦果をあげに行くぞ。突撃ぃー!!」


 アンドレイは手にした大斧を前方に振りかざし、第199歩兵中隊に攻撃命令を下した。目標はフリジア軍中央に位置する、重装歩兵集団だ。


 戦の洗礼がユーリたちに迫る。敵の長弓兵による斉射が中隊の戦力をこそぎ落としていった。鉄製の盾も数度ならば弓を防げるが、数発攻撃をもらってしまうと、盾が破壊されてしまう。そのため中隊は盾を頭上に、そして斜めにかざしつつ、速足で戦場を駆ける必要があった。


 戦いは熾烈を極めた。だが、いくばくかの幸運がユーリたちに働いたようだ。中央部に残っていたフリジアの重装歩兵は、正面のヴォルガ兵を相手にすることに意識を大きくとられており、側面攻撃に対する反応が鈍かった。故にユーリたちは対応のためにわずかに割かれた兵士を、各個撃破していくことに成功したのだった。


 だがここでフリジアは大胆な戦術に打って出る。


「なんだ……今度は中央の敵が引いていく?」

 冬の頼りない太陽が中天をさしたころ、フリジアの軍が全面後退を開始した。


 やや優勢なうちに兵を引くのは、兵法の観点からすれば効果的である。しかしそんな細かい技術を解しない者たちは、敵の行動に不信感を募らせた。


 中にはフリジアの後退を自軍の功績だと思う人物もいた。


「はっはっは、これは好機だな。よぉし、中隊諸君、私に続けっ! 敵を川に追い落としてやるのだ!」


 アンドレイが中隊の先頭に立ち、大いに鼓舞する。全面後退するフリジア軍は、彼の目には格好の獲物として映っていることだろう。反撃される可能性など、アンドレイの頭の中には存在していなかった。


 だが、刹那の閃きがユーリの脳裏に浮かぶ。これは罠だ、と。山中でフリジアの歩兵中隊を撃破したとき、確か自分は似たような戦法をとったはずだ。


「同志大尉、お待ち下さい! これは敵の誘引の計です。迂闊に追撃すれば、敵の伏兵に取り囲まれる危険が……」


「敵の罠だとぅ? 仮にそのようなものがあっても我々が食いちぎってやればよい。戦果というものは追撃から始まる。ヴォルガの神聖な大地を踏み荒らした罰を、フリジアに刻み込んでやろうぞ!」


 アンドレイは命令を覆さない。その間にも、潮が引くようにフリジアは後退していく。空いた地帯にはヴォルガの後続が殺到し、空白地を素早く埋めていった。


左右両翼のフリジア騎兵は既に戦場におらず、ヴォルガ軍は一塊りとなって地を覆っていく。人海戦術となればヴォルガの十八番である。そのはずだった。


 先頭を走る数十名が、粉微塵に粉砕され、空中高く吹き飛んだ。


 最初は落雷だと、誰もが思った。

 軍馬が宙を泳ぎ、人が塵のように舞うさまを見て、思考が麻痺をしてしまった。否、それ以外の反応を示す方法がなかったのだろう。


「なんだとぅ……これはっ!?」


 流石のアンドレイも動きを止める。落雷は一撃ではなく、数度立て続けに爆発を起こしたからだ。


「おのれ、小細工を……。構わぬ、進めぃー!」

「同志大尉、退却命令を! このままでは全滅します!!」


 ユーリは必死に追いつき、断定口調で進言するが、アンドレイは聞き入れない。


「怖気づくか同志中尉! 栄光は今我らの頭上にあるのだぞ!」

「どうかご再考を!」


「くどいっ! ならば貴官は自分の小隊だけで尻尾を巻いて戻るがいい。我らは敵の首を刎ねに行く。私に続けぇいっ!!」


 アンドレイと共に、中隊の多くの兵士たちが吶喊していってしまった。ユーリは死地に赴く味方の背を見送る。止める手段を見つけられなかった、己の無能を悔やめども、最早取り返しがつかない状況だ。今やユーリの傍らに残るのは、指揮下の第二小隊のみであった。


 仕方なく退避しようとするユーリの傍に、馬に乗ったマリアンが後方からやってきた。


「ユーリ、まだ生きてる!?」


 余程急いで来たのだろう、乗馬しているにもかかわらず、大きく息を切らせていた。マリアンは部隊の中央、比較的も安全な地帯にいたはずなのだが、なぜ最前線にやってきたのか。その答えはマリアンが衝撃的な事実と共に教えてくれた。


「複合魔法が長距離で撃たれてるわ。敵に強力な広域殲滅用の術者がいるっ!」


 複合魔法。マリアンは火属性に対して強い適性を持つが、他の属性が使えないというわけではない。仮に彼女が炎と風を同じ強さで操れるとしたらどうなるのか。恐らくは炎で錬成された竜巻のようなものを起こせることだろう。


 今ユーリたちを襲っているのは、炎と風と土の複合魔法だ。二種類を掛け合わせるだけでも数千人に一人という才能を要する魔法である。なればこの三種混合を使いこなすには、どれだけの天稟を保有しているというのか。


 さらに長距離攻撃ともなれば、一国の戦術兵器レベルである。人が長い間戦争を繰り返した末に練り上げた、長距離攻撃魔法。要塞の建築様式をも変えた神威が降り注ぐのを、一体どう受け止めればいいのか。


「陣の深部に引き込んで、範囲攻撃……。このままじゃ同志大尉が……」

「危ない、伏せてユーリ!」


 閃光が光り、ユーリは体を後方に持っていかれる。その後に爆発音が鳴り響いた。

 近距離に着弾したであろう一撃は、周囲の味方を薙ぎ払い、血液の霧をまき散らす。中隊の脱落者とともにいた、第二小隊の仲間が数名巻き込まれたようだ。


「う……く……。目が……霞む……」

「ユーリ、しっかりして。エセク! テオドール! 誰か来てっ!!」


 地を踏みしめる足音がいくつか近づいてきた。頭に傷を負ったユーリは、赤い眼球越しに伝わる地獄絵図をぼんやりと眺めていることしかできない。恐らくは軽い脳震盪を起こしたのだろう。動作に対する反応は鈍く、マリアンが呼びかけても、虚ろな返答しか帰ってこない。


「ほら、私につかまって、下がるわよっ」


 マリアンが乗ってきた馬は、爆風によって既に死亡していた。だが丁度そこにエセクたちが到着する。


「ユーリしっかりしろ。マリアン大丈夫だ、俺が運ぶ」


「お願いエセク。なんてひどい有様。これでは先行したみんなは……」


「とりあえずユーリを安全なところへ連れていこうぜ。同志大尉を探すのはそれからっしょ!」


 エセクはテオドールの提案に賛成した。あくまでこの盤面、限定的な場面を見る限り、ヴォルガの敗北は決まっていた。魔法による長距離砲撃が止めば、敵兵が雲霞のように群がってくることだろう。そして今の第199歩兵中隊にはそれを押しとどめるだけの戦力はない。


 撤退途中で見つけた馬にユーリを乗せ、マリアンが轡を引いていく。本当はマリアンも体力の限界なのだが、大切なユーリが瀕死の状況なのだ。ここで我儘を言っても仕方がない。あと百メートルほど進めばルイセのいる後陣だ。


「止まれ、誰か来る。ユーリを守れ」


 後方を警戒していたエセクが鋭い声を発した。今来た道のりを辿り、馬に乗った何者かが近づいてきたからだ。


 エセクは戦場に立ち込める煙を注視し、いつでも槍を突き出せるように身構える。すると、聞き覚えのある声がした。


「そこにいるのは誰だ! 私は第199歩兵中隊のアンドレイ・ベンディーク大尉だ! 答えよ!」


 アンドレイ。その名を聞いてエセクたちは体の緊張を解く。確かアンドレイは攻撃隊を率いて突出していたはずなのだが、どうしてこの場所まで戻ってくることができたのか。


「同志大尉こちらです。第二小隊のマゼイン同志少尉以下三名です。ご無事でなによりです」


「その声は……ラシュトフ同志軍曹か。どこだ? 良く……見えないのだが」


 エセクが馬に近づいて初めて気づいた。アンドレイは両目から血を流し、盲目状態で騎乗していたことに。爆風にやられたのだろうか、上半身の板金鎧もひしゃげた痕があり、馬が無事でいるのが奇跡のような状態だった。


 おそらくは途中で視界を失い、戦場とは真逆の方向に馬を走らせてしまったのだろう。ここまで無事にたどりついたのは、奇跡と言っても差し支えない。


「同志大尉……。目に包帯を当てます。じっとしていてください」


「不覚をとったようだ……。すまないが、後方まで連れていってはくれぬか?」


「了解しました。テオドール、同志大尉の馬をお引きしろ。敵が来る前に下がるぞ!」

「合点っ」


 前線では砲撃魔法による迫撃音は続いている。ここまで連続して射出し、面制圧ができる者は果たして鬼人か魔王か。どちらにせよ、今のユーリたちには知る術のないことだった。


 戦況はユーリの予測通りに動いた。完全包囲には至らなかったものの、先行した他の中隊は敵の挟撃を受け、大打撃を被ってしまったようだ。


 突撃するまでの時間差が幸運を呼び寄せたのだろう。砲撃魔法をかいくぐり、第199歩兵小隊はかろうじて激戦地から離脱することに成功した。だが払った犠牲は決して小さいものではない。


「う……ん……。ここ……は?」


 ユーリが紫の瞳を開け、徐々に焦点を合わせていく。すると涙を湛えて、細い眉をひそめているマリアンが目に入った。彼女はユーリの頬を両手で押さえ、膝枕をしている格好になっている。


「ユ、ユーリ! よかった、よかったよぅ!」

「マリアン。ここは一体……いけない、戦況は!?」


 身を起こそうとするユーリを押しとどめ、マリアンはゆっくりとした口調で語る。


「ここはルイセが守る後陣よ。貴方もアンドレイ同志大尉も負傷しちゃったの。だから一時後退の準備中。そのままゆっくり横になっていてね、今濡れた布を持ってくるから」


 マリアンはユーリの頭を荷馬車の藁の上に寝かせ、走って他の馬車へと向かって行った。

 ユーリが顔を動かして味方を見ると、凄惨たる有様だった。


 千切れた腕をもう片方の手で持ち、何事かを呟き続ける者。顔が焼け焦げたのか、包帯の上からとめどなく血が滲んできている者。背骨を折り、動かない下半身を嘆き続ける者。負傷者の大半はこのように致命的な損害を受けていた。


「負けたのか? 僕たちは……」


 ユーリはどうしてもあの爆発前後の出来事が思い出せないでいた。思い出そうとするたびに頭が酷く痛み、ともすれば胃液が逆流しそうになる。確実に何かが起きたのだが、どうしても脳が記憶の保持を拒否していた。


「ユーリ、起きたか」

「あ、エセク。君がここまで?」


「頑張ってくれたのはマリアンだ、後で労いの言葉でもかけてあげたほうがいい。それよりも、だ」

「まずいことになってる?」


「大尉が重症を負われた。中隊も八割以上が死亡し、これ以上の継戦は不可能だ」

「大尉が……。仕方ない、このまま退却をして、部隊を再編制しなければ」


「そうは問屋が下ろさないらしい。ジルコフ少尉が頑なに攻撃続行を主張していてな。これ以上下がるようならば、党の査問にかけると言っている」

「そんな……」


 ユーリは愕然とする。戦闘の形態を取れない部隊が前線に出しゃばっていても、他の味方の邪魔になるだけだ。これまでユーリは党のスローガンを甘く見ている節があった。勇ましいことを言うのは、兵士を勇気づけるための方便だと思っていた。


 結論すると党は絶対に兵士を撤退させない。生きて戻るくらいならば、死んで責任をとれ。刑死が嫌ならば戦場で散れ。彼らは本気でユーリたちを捨て駒として使っているのだった。


 それはジルコフも同じだろう。彼は党の政治将校だ。敗戦の責任を真っ先に問われる立場にいる。このまま死者だけを計上して戻ろうものならば、戦意高揚のための生贄になるに違いない。故にこの場で必死に督戦するのは必定だった。


「ユーリ、健在な将校で最も階級が高いのがお前だ。ジルコフの抗戦主張を退けられるのは、今お前しかいない」


「僕が……。わかった、指揮を執るよ。それがみんなを生かすことになるならば」

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