第15話 第四次トゥヴェルツァ川攻防戦

 帝国歴311年2月23日。トゥヴェルツァ川に展開する、ヴォルガ帝国の防衛線が崩れかかっているとの急報が、ナサローク城塞にいるアレクサンドル・ボグダーノフ大将に届いた。


「伝令の報告によりますと、全面に展開していた懲罰大隊はほぼ壊滅。第十師団にも大きな被害が広がっているようです。現在フリジアの浸透を防ぐために、第十二師団、第十三師団が兵を抽出して、出血部を塞ぎに向かっているそうです」


「第十師団にはその場で持ちこたえるよう厳命を出せ。撤退は許可しない。ナサロークより再編制中の第七師団を出撃させよ。時間を稼ぐのだ」


「了解いたしました。直ちに出撃を発令、駐屯中の部隊を組み込み、師団の編成も完成させます」


 ナサローク城塞の副官、ウォーベル・イズマショフ准将は慣れた手つきで、閲覧済みの文書を回収していく。短時間だがきちんと司令官の命令を追記し、分野ごとに獣皮紙を整理していく。何事もなく見える一連の動作だが、兵士の運命を左右するものだ。


「此度は耐えられますかな?」

「さてな……。我々はともかく、他の者が絞首台に送られないようにせんとな」

「本音が過ぎますよ、同志大将閣下」


 祖国防衛のため。絶対的な大義のもとに集結する力もあるが、人間それだけでは戦意を維持できない。個人の感情というものは当然全ての行動に現れる。然るべきベクトルを設け、理性を保持するために、正義を標榜する組織が生まれたのは、ある意味必然ともいえよう。



「これより祖国防衛の義務を果たしに行く! 今から背後にいるヴォルガ人の魂の手紙を読み上げる。家族の顔を思い出しながら、その胸に炎を宿らせるのだ!」


 第四次トゥヴェルツァ川防衛戦。アンドレイ・ベンディーク大尉率いる第199歩兵中隊も、急編成の第七師団に含まれていた。


 政治将校たるセルゲイ・ジルコフ少尉は声を大きくして政治的喧伝を叫ぶ。


「ここに、祖国にいる母親たちからの手紙がある!『戦地にいる息子たちに願いを託します。貴方たちは今、さぞや過酷な運命に導かれていることでしょう、その挺身に母は、そしてヴォルガの未来を担う子供たちは、どれほどの誇りを抱いているか、口では説明できません。私たちの未来は貴方たちの戦い如何によって大きく変わります。ですが、皇帝陛下と党の指導のもと、きっと大陸に比肩することのない栄光を手にすることができると信仰しています。貴方たちの奮励努力の大なるを期待して、帰りを待っています』」


 戦場に直接手紙が届くことはない。それだけの余裕があるのであれば、更なる物資を運び込むことができるからだ。


「諸君らの命は党が預かる! 美しきヴォルガの鉄斧戦槌旗を守り抜け! 我が領土に垢まみれの薄汚い足で踏み入った奸賊どもに、死の制裁を与えよ!」


 あと一時間もすれば最前線だ。士気は今のところ低下していない。これは第199歩兵中隊がまだ真の殺し合いを体験していないためだろう。理解をしていれば、落ち着いて行軍などしていられないに違いない。


「いいか、鐘が鳴っている間は前進、太鼓が連続して鳴らされれば退却だ。だが栄えあるヴォルガに撤退など許されない。必ず敵を根絶やしにするのだ!」


 アンドレイが突入前の確認を行う。報告によれば、到着後そのまま交戦状態に陥ることになりそうだ。


「激突前に水は飲むな! 腹が裂けるぞ」

「剣の持ち手に布を撒け。軍靴の先にも綿は入れたな?」

「落ち着け、落ち着け、落ち着け」


 兵士たちは確認をしあいながら、歩みを早めていく。


 ユーリたちがいる場所より前方二キロの地点では、既にフリジアとの激突が始まっている。フリジアはトゥヴェルツァ川の渡河に成功し、まとまった軍団を送り込んできていた。

 正面を受け持つヴォルガ第十師団は、陣営深くまで攻め込まれ、組織的な抵抗が不可能な状態になりつつあった。側面より援護の兵が向かっているが、漸次投入はかえって死傷者を増やすのみの結果となったようだ。


 将至らば兵以て覆う。古来より数多く繰り返されていた、戦場での一時措置だ。この日、ユーリたちは補修材の一つとして投入された。


 そして今、舞い上がる雪と埃、ひしめき合うフリジアの三つ首鷲旗がユーリたちの視界に入った。


「全軍抜刀、皇帝陛下と党に栄光あれ! 突撃!!」

「ypaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa<ウラー>!!!」


 アンドレイの号令一下、全軍は雄叫びを上げる。ヴォルガ帝国第七師団、第五歩兵連隊、第199歩兵中隊二百名は、死の舞踏場に躍り出た。


 第十師団の弓兵部隊に追撃をかけていたフリジアの騎兵の横腹に、ユーリの第二小隊が突入する。騎馬は直線を移動することによる突進力と、機動性を活かした一撃離脱こそを利点としている。


「投網を投げろ! 前列を止めれば敵は崩れる!」

蹄を止めた騎兵は、押し寄せる歩兵の槍にとって格好の餌食となる。


「小隊前進! 槍を構えろ! 騎馬から引きずり下ろすんだ!」

「よし俺に続けっ。槍兵激突チャージ!!」


 軍曹であるエセク・ラシュトフが先頭に立って奮戦する。長槍に鉤刃がついた武器、ヴォルガ独特の鉤爪鶴ジュラーブリという得物が、フリジアの騎士たちを地面に叩き落としている。守りが堅い者に対しては、騎乗している馬を狙い、行動の選択肢を狭めていった。


 ヴォルガ第七師団は魚鱗陣を組み、各々の小隊が命を燃やしている。一人が倒れれば穴を埋め、列が崩れれば後ろが上がるという、死の循環。敵兵が諦めて後退するまでひたすらに繰り広げられる、戦いの精髄だ。


 血飛沫が舞い、首が飛ぶ。阿鼻叫喚を演奏する戦場の楽団がそこにはあった。


「よし、騎兵隊の動きは殺した。ユーリ、今の内だ!」

「第二小隊、下がれ! 入れ替わって再度隊列を組みなおす!」


 一度目の激突での戦死は十二名。マリアンやルイセの援護があったことを勘案しても、大きすぎる数字だ。負傷者も多く、敵騎兵の長槍が生きた形となった。フリジアは強い。初撃の交差で、部隊の三割近くも消耗してしまった。後続より友軍が来ていなければ、第二小隊は全滅していたに違いない。 


 第四次トゥヴェルツァ川攻防戦。攻勢をしかけるフリジアは軍を三つに分けていた。中央には長槍で武装した重装歩兵集団。両翼には騎兵による突撃部隊。後方には長弓兵と指揮する将軍の親衛隊だ。


 ユーリたちは敵右翼の騎兵に対して攻撃をしかけたのだが、敵の練度も災いしてか、ヴォルガ軍の被害は甚大なものになってしまった。


 ユーリたちは投入されたヴォルガの兵士は敵左翼を削ることには成功したものの、中央部を押し返すまでには至っていなかった。そんな中、フリジアの左翼騎兵に動きが出る。


「敵兵が引いていく……」

「油断するなユーリ。第二波に備えて、今は準備に専念するんだ」


 ユーリは小隊で比較的軽傷者に重傷者を担がせると、後陣へ合流するように命じた。進言したエセクも傍目から見れば負傷兵そのもののように、怪我だらけなのだが、本人は頑として後送を拒否していた。


「うひー、敵さんマジになっちゃって、きついのなんの。あー、死ぬかと思った」

 テオドールが白く発光する剣を片手に、ユーリのもとへとやってきた。彼の付与した強化魔法がまだ続いているのか、剣は鞘にも納められないようだ。


「それにしても、静かだ。まるで新月の晩のように」


 実はこの時、戦の趨勢は決しつつあった。中央にいるヴォルガ第十師団は正面から押し込まれており、左翼部隊は完全に崩壊していた。右翼に援軍として来たはずの第七師団も劣勢を余儀なくされていた。


 圧倒的な優勢にも関わらず、フリジアは両翼の騎兵を後退させた。

これ幸いとばかりに、ヴォルガの政治将校は突撃の命令を叫ぶ。


「伝令! 歩兵部隊は再集結、敵中央部への攻撃を開始せよとのことです!」

「……了解した」


 ユーリは細い眉を寄せ、厳しい表情をする。第二小隊を含む、第199歩兵中隊は、既に戦闘行動をとれる状況ではなかったからだ。

 このままでは全滅。その言葉がユーリの脳内に木霊する。

 このまま突っ込めば確実に意味通りの結果を迎えるだろう。だが自分たちは祖国に忠誠を誓った身である。指を咥えて引き下がるような真似は決してできなかった。

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