第14話 昇進祝い

 アンドレイ率いる第199歩兵中隊がナサローク要塞に入城した。急いで参集するように下知があったのだろう、特に護衛する物資もなく、中隊兵士のみが列をなして現れた。


「マゼイン同志少尉! どこにいる!?」


 入城が終わるや否や、アンドレイはユーリを探し始めた。彼は自分の部下が逮捕され、拘留されていると勘違いしていたからである。間違っても昇進しているなどとは思わないだろう。


「同志少尉!ああ、何と言うことだ。誉れ高きベンディーク家の指揮する兵が、あろうことか逮捕とは!! 待っていよ、今すぐ私が弁明に参る。もう少しの我慢だぞ同志少尉!」


 アンドレイはプライドが高く功名心溢れる男だが、自分の部下を放置できない性格をしいている。ユーリの処遇について一声申し添えたい。出来得るならば釈放へと導きたいと願っていた。


 そして口をあんぐりと開けてしまう。城塞内の牢番の前で大騒ぎをしているところ、当のユーリとひょっこり出くわしたからだ。しかも中尉の階級章をつけて。


 ユーリは自分が捕らえた、アウグスト・デューリング大尉の処遇が気になって仕方なかった。追い返されるとわかっていても、こうして足しげく牢屋に通っていたのだ。


「どどどどどど同志少尉! 君はこんなところで何をしているのだねっ!?」

「ど、同志大尉。着任お疲れ様です。私は捕らえた敵将の様子を……」


「そんなことはどうでもよろしいっ! 査問会議、いや軍事法廷はどうした? 君は解放されたのかね? いや待て、同志少尉がこうして自由でいるということは、無罪だったということか!?」


 唾を飛ばして問いかけるベンディークに対し、困惑の顔がユーリに浮かぶ。


「えと、同志大尉。何か勘違いをされていらっしゃるようですが、私は逮捕されておりません。お気を使わせてしまったようで、誠に恐縮ですが……」


「なぬ! それは事実かね! ほぉお、よかった。本当によかった。うむ、よくよく考えれば、私の部隊が陛下の御威光に反することなどあり得るはずがない。正々堂々、真っ直ぐに。それが我が部隊のモットーだからな」


 アンドレイは相好を崩しユーリのことを激しく叩いた。これまでの行軍中、さぞやあることないことを想像して胃を痛めていたことだろう。ユーリを一叩きするごとに、アンドレイの心が浄化されていくようであった。


「うむ、よく見ればそれは中尉の階級章ではないか。昇進もしたのか! いや実にめでたい!」

「あ、ありがとうございます。ところで同志大尉、その獣皮紙は一体?」


 ユーリは目ざとく、アンドレイが持っているものに気づく。記憶が確かであれば、黒印の封をされている巻物は、出撃命令書だったはずだ。


「うむ、喜べ同志中尉。我々の悲願が遂に叶ったぞ。我が中隊による真の初陣が決まったのだ」


「出撃……ですか」

「おお、こうしてはおれん、早速軍議を開くぞ。編成等について考えなければならん。さあ、着いて参れ!」


「うわ、ちょ、大尉っ!?」

「遠慮するでない。風の噂では、フリジアの特殊部隊が戦場に紛れ込んでいるという話だ。そこで我々が手柄首をあげれば将来は益々明るくなるな、うむ!」


 鼻息荒いアンドレイに、あれよあれよと言う間に連行されてしまった。尤も今詳細な会議を開いたとてあまり意味はない。指令系統の上位の差配によって、作戦は如何様にも変化するからだ。


 同日、夜。ナサローク城塞にある食堂の一角で、一つの宴席が設けられた。そこにはユーリが率いている第二小隊の仲間が集まっていた。


「よし、みんな酒杯は持ったな? ではユーリの昇進を祝って、乾杯!」

「乾杯っ!!」


 エセク・ラシュトフの音頭によって、仲間は待ちわびていたかのようにウォッカを口に含み、強いアルコールの刺激に歓喜していた。食卓には蒸された芋と、少し奮発した燻製肉が並んでいる。今日のこの日のために、みなが僅かな俸給を持ち寄ってきてくれたのだ。


「ありがとう、今日は小隊長命令で無礼講にするよ。階級を気にせず飲んでほしい。それから、みんなありがとう! これからも国のために忠義を尽くしていこう」


「ユーリよかったな。おめでとう」

「ぷっは~。美味しいっ」


 酒杯のぶつかると音と歓声が交わる。中隊の集結が終わり、新たなる目標もできた。その意味では壮行会ともいえるかもしれない。 


「ゆぅ~りぃ~。飲んでるぅ? ほらほら、私のお酌をうけなしゃいよ~」

「マリアン、目がかなり怖いよ? それにさっきから飲みすぎじゃないかな」


「うーるーさーいーなー。ほら、飲むの? 飲まないの? どっち?」

「あーもう……もらうよ。僕お酒ほんとに弱いんだからね、頼むよ?」


 陶器の杯になみなみとウォッカを注がれる。ちなみにユーリの飲酒許容量は、葡萄酒一杯だ。なので、これは彼にとってほぼ致死量に等しいレベルであった。


「――嘘でしょ?」

「はい、一気、一気」


「ユーリ……飲む……食べる……はっぴぃ」

「お、いいね、ユーリ。グイッといけ、グイッと。男を見せろ!」


 ルイセとテオドールもマリアンの援護に加わったようだ。雨だれのような手拍子は、いつの間にか規則正しい煽りになっていく。


「ユーリ! ユーリ! ユーリ!」


 観念してユーリは酒杯を口に近づける。度数の高さを示す鋭い香りが、ユーリの鼻孔に警戒を鳴らしていた。


「んぐ……ごくっ」

 満面の笑顔。そして膝からどっと床に崩れ落ちた。


「うぐはっ。口がっ、口がっ!」


 ユーリは水を求めてテーブルに手を伸ばすも、震えてうまくつかめずに、とりこぼしてしまった。そして動きを一瞬止めると、脱兎のような勢いで駆けだしていく。


「やはり吐くか。お前ら、主賓を真っ先に沈めてどうする。仕方ない、誰か毛布と枕を準備しておいてくれ」


 小隊の兵士に小間使いを頼むと、エセクは注がれていたウォッカを一息に飲み干した。一口で限界に達したユーリとは異なり、まるで涼しい顔をしている。


「やっぱユーリはまだまだお子ちゃまだねぇ。お、兄貴、杯が空いてるぜ」

「もう一杯もらおう。しかし酒豪の群れに入り込んだ下戸とは、こんなにも悲惨なものなんだな。戦で包囲されることほど恐ろしいものはないと言うが、その一端が垣間見えた気がする」


 冷静に論評して、エセクはまた一口で飲み干す。彼はこれまで酔いつぶれたことは一度もなかった。昔からテオドールがいくら乗せようとも、最後まで生き残ってきた実績があったのだ。


「ねぇー。なに男同士でちまちま飲んでるのよー。私にもつき合ってばさー」


 椅子の上で踊っていたマリアンが飛び降り、酒瓶を手にくるくる回りながらやってきた。


「はー、すっごいよね……。こんな短期間に昇進だなんて。意外にこの小隊、幸運の部隊なのかもしれないわね」


「これまでは、な。俺やテオドールはユーリの家の力で生き延びてくることができた。それに初陣の作戦も、あそこまで上手くいくとは思いもよらなかった。これから先も大丈夫と楽観視するのは危険だが、今のところはツキがきているらしいな」


「エセクは心配性ねー。あ、何か始まった」


 酔っぱらった兵士たちが、ポドクという民間の相撲をとり始めた。ルールは単純明快なもので、相手足の裏以外を地面ににつけたら勝ちというものだ。最初の一組が上半身を脱ぎ、テーブルを横にどけては、がっぷり四つに組み合っている。


「くぉらぁー! 乙女にそんなもん見せるなってのー!」


「まあいいじゃないか。普段から娯楽に飢えているんだ。安全な場所にいるときくらいは、ストレスを発散させるのもいいさ。毎回賭け事のカードだけだと、それもそれで不健全だしな」


「うう、カードよりはいいか……。私どうせ勝てないし」


 マリアンは丸椅子に体育座りをして、もちもちと薫精肉をほおばっている。男の遊びというものがてんで理解できないが、楽しそうな姿は本物だと思い、時折ヤジを飛ばしながらも見学の立場に回った。


 盛り上がりの続く中、顔を真っ青にしたユーリが胡乱な目をして帰ってきた。


「お帰りユーリ。毛布あるみたいだけど、寝る?」

「大丈夫だよ、マリアン。折角僕のことをお祝いしてくれているんだ。今日はまだ倒れるわけにはいかないよ」


「そ」


 大賑わいの中、二人の周りだけがシンと静まりかえっている。途端にユーリは気恥ずかしくなって、慌てて顔を逸らした。その様子はマリアンにしっかりと見られていたようで。


「ねえユーリ。ひざまくらしてあげようか?」

「なななな何を言ってるんだよ!? みんないるのにっ」


「へぇ、二人っきりならいいんだ?」

「そういう問題じゃないでしょっ。もう、どうしたんだよマリアン。最近ルイセみたいになってきたよ」


「……ここで他の女の名前出すかね、普通。この男女!」

「酷い、気にしてるからやめてって何度も言ってるじゃないか!」


「そういうところがダメだっつってんのよ。あー、もういいから、はい、注いで」


 マリアンが何に怒っているのかわからないまま、ユーリは言われるがままにお酌をする。日ごろから女だ女だと言われているものの、肝心の女心については、まだ未熟なままであった。


 突然ユーリの頭にたゆんと大きな水袋のようなものが乗った。


「うん、何、なに!?」

 ユーリは思わず手で鷲掴みしてしまった。


「ユーリ……うぇるかむばっく……ひっく」

「ルイセ、あんたねぇ」


「え、じゃ、じゃあこの頭にある感触は……まさか……」

「意外に……やるね……。今日は……お祝い……たっちみー」


 ルイセはそのままユーリの手を握り、指をぺろりと舐めあげる。


「うわ、待ってっ! ルイセ、だめだよ!」

「……そこまでにしない? ルイセ。今は私がユーリとお酒飲んでたんだけど」


 マリアンはいつの間にか杖を握っている。

「ユーリは……みんなの……もの。べーっ」


 ルイセも目つきが鋭くなり、すっと腰を落とした。


「いいからちょっと、体を退けなさいってば」


 マリアンは、まだとろけているユーリの体を引きはがそうと、飛びかかった。だが相手のルイセは身体能力が問われる山岳歩兵だ。酒に酔っているとはいえ、魔法使いよりも段違いに身体能力は高い。

 ユーリを抱えたまま、ひらりひらりとマリアンの突進を避けている。だが、それはお互いに余計な酔いを回すだけの結果となる。結局は足をもつれさせ、三人が絡み合ったまま床に放り出されてしまった。


「マリアン……おばか?」

「うるさいな、いいからあっち行けってばー」


「ユーリは……おっきいのが好き。……えっち」

「はぁぁ!? そうなの、ユーリ? って、あ……」


 ユーリは二人の下敷きになるように倒れていた。腰にはルイセが乗り、顔にはマリアンのお尻が乗っかっている。恥じらいからマリアンが慌てて飛びのいたものの、ユーリはそのまま意識を手放そうとしていた。時々体がびくんと跳ねている。


「やっちゃった、大丈夫? ユーリ!」

(みんなの声が遠い……さようなら)



 宴席も終わり、兵士たちはそれぞれの寝床へと戻っていく。そんな中、エセクによって正座させられている二人の乙女たちだった。


「くそぅ、あんたのせいだからね。ぐ、足が攣りそうっ」

「みーんな……おばかー……」

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