第12話 ナサローク要塞にて

 雪原での遭遇戦から二日。ユーリの率いる第二小隊と輜重隊は、その後脱落者を出すことなく、トゥヴェルツァ川の前線司令部に到着することができた。

 司令部は動乱期に建設された、ナサローク要塞を拠点としている。古くからヴォルガ防衛の要であったこの地は、新技術発展の場所でもあった。


 ナサローク要塞はアターシア大陸に数少ない、星型城塞を採用している。動乱期に発展した砲撃魔法は、これまで各国が採用していた正方形型城塞に対して、絶大な効果を得た。抗魔法術式が進歩した火力に追いつかず、従来の正方形で高度のある城塞は破壊が容易になってしまったという経緯がある。


 建築工学は戦争と共に発達していく。星型要塞もその例の一つだ。土塁を城壁の前に盛り、直線的な砲撃魔法を防ぐ方法が発明される。


 城壁自体は薄くなり、代わりに肉薄する歩兵を防ぐための防御塔の様式が大幅に変更された。円筒形の防御塔は菱形に改築され、より死角を少なくする仕組みとなった。稜堡と呼ばれる突起と、城塞前に掘られた土塁と塹壕は、敵兵を排除するための殺戮地帯へと化したのだ。


 ナサローク要塞の司令官は、アレクサンドル・ボグダーノフ大将が統括している。総兵力二十万人、十個師団に対する指揮を行う総本部であり、ヴォルガ絶対防衛線の本懐だ。


 その中枢部にユーリは出頭命令を受けていた。思い当たる節はいくつもあるので、驚きはしなかったが、胃が痛くなるのもまた事実だ。


(これは政治委員による思想検査……なんだろうか……)


 赤を基調とした調度品が多い、将校用の会議室で待機する。ヴォルガ人は時間にルーズな傾向なのだが、軍務において次第に矯正されていく。上官が入室するより先に待機しておくのは処世術の一つだ。


 中から一人の衛兵が現れ、ユーリに入室をするように伝える。

 重厚な扉が開き、四名の人物が座っているのが見えた。ユーリは急ぎ足で中に入り、直立不動で敬礼を行う。


「ユーリ・マゼイン少尉、出頭いたしました」

「ご苦労」


 ユーリの前に並ぶ人物たちはそうそうたる布陣だった。


 司令官、アレクサンドル・ボグダーノフ大将。

 ヴォルガ三騎士の一人、アルフレッド・クラリエフ中佐。

 同じく三騎士の一人、ウルリカ・チェルヴィンスカヤ少佐。

 隣人党西部方面軍書記長代理、モーゼス・ベルニンスキー大佐。


 ユーリには面識のある人間は一人もいない。彼らはユーリにとっては雲の上の存在だからだ。

 冷や汗が一滴、花崗岩の床に落ちる。確かにユーリは貴重な火薬を破棄してしまったが、それだけでのこれほどの大事になるのだろうか。

 これはまるで軍法会議だ。自分のしでかしたことは確かに大きい。覚悟はしていたはずだ、そのはずだったのだが……。


「どうしたね? かけたまえ、マゼイン同志少尉」

「は、はっ。失礼いたします」


 ユーリは極力音を立てないように丸椅子を引き、足を揃えて静かに着席した。所作はまるで女性そのものだが、これはユーリの母親が仕込んだことだ。


 まずは司令官たるボグダーノフ大将が口を開く。冷たさと暖かさを混同させたような、青く輝く武人の瞳。太く黒い髪は短く刈られており、口周りにたくわえた髭は雄々さを感じさせる。無地のチュニックの上から青い綿入れを着こみ、つい今しがたに戦場から帰参したような空気を漂わせていた。


「西部方面軍の司令官、アレクサンドル・ボグダーノフだ。私は回りくどく言うのが苦手だ。故に本題のみを先に伝える。同志少尉、先の戦いは見事だった。軍司令部は君の中尉への昇進を決定した。異論はあるかね?」


「えっ!? でも、僕……いえ、小官は貴重な火薬を……」


 叱責が飛ぶと思っていたユーリだったが、思わぬ発言に虚を突かれてしまう。


「無論君が思っている通り、物資を予定通り運搬できなかった罪はある。だが、一つの失策は武功で帳消しにできるのは軍の常だ。君は敵部隊を壊滅させ、敵将を捕縛した。これで戦功は二つ。我々はこれを十分な戦果と判断した」


 大将が口を閉じるのを見ていた、モノクルをかけた白髪の男が木製のテーブルを指でトントンと叩き始めた。老狐を彷彿させるような、鋭角なシルエット。

 モーゼス・ベルニンスキー大佐の数多くの政敵を屠ってきた実績は、まさに党のために駆動する機械といった様だ。


「西部戦線における党の代表として、マゼイン同志中尉には、一つ念押しをしておかなくてはならないことがあります。よろしいかな、ボグダーノフ閣下」


「構わん。党の方針は重要だからな」


「戦争では何よりも重視すべきことが一つあります。同志中尉には、それが何かおわかりかな?」


 ボグダーノフとは異なり、ベルニンスキーの瞳には人間的な温かみが見受けられない。例えればそれは冷たい爬虫類。ヴォルガの大地そのものを体現したような男だ。


「は、はい……。計画性……でしょうか?」


「ふむ、外れども遠からずですかね。答えは『服従』です。一糸乱れぬというのは理想論にすぎますが、少なくとも上位命令者の指示に必ず従うことが、戦場では求められます」


「私には、それが欠けていると?」


「我々は個人の能力を測る物差しとして、結果を引用します。貴官は敵の撃破という任務を果たしました。だが同時に物資を完璧に輸送するという任務を放棄しました。党としては、命令の不服従が存在した事実を見過ごすわけにはいきません」


「はい……」

 室内はより温度を下げる。


「ジルコフ同志少尉から報告が上がっています。貴官は部下に友情を求めているとね。一つ、はっきりと私の口から伝えておきましょう。軍隊は貴官の私物ではありません、皇帝陛下と党と軍部によってたつものです。忠誠心とは武勲と同時に存在するものではなく、それぞれ別個に判断されるべきものですからね。そこのところをお間違えないように」


「承知いたしました……」


 ユーリの返事に無表情で頷くと、ベルニンスキーは席を立った。

 警告はした。


 ユーリ・マゼインという男が、党の命令にこれ以上反逆しなければ、それでいい。ベルニンスキーの仕事は、余分に生えてきた枝が、規定の長さを超えないようにすることだ。

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