第11話 一騎打ち

「全軍突撃!」

ypaaaaaウラーaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」


 エセク・ラシュトフ率いる荷馬車の人足たちが、手に手に剣を握り、あらんかぎりの大声で敵部隊へと引き返す。吹雪の中だ。はっきりとこちらの姿さえ見えなければ、敵は勝手に兵士だと誤認することだろう。


 ユーリとマリアンの案で、ヴォルガ輸送体は無防備に壊走する振りをして、本命の打撃に誘い込む役を担っていた。下士官がともにいるという安心感も手伝い、人足たちは大いに勇を振るうことができた。


「よし、マリアン。第二射を!」

「りょーかいっ」


 ユーリは第二小隊に弓を持たせ、針葉樹林の中に伏せていた。

 エセク率いる部隊が到着する前に、再度火炎理術の使用を指示する。相手の態勢を整えさせずに攻勢を継続する。

 初陣の気負いあり、必要以上に攻撃的になってしまうのは仕方のないことだが。


 命令を受けたマリアンが、火薬を積み込んだもう一台の荷馬車に炎を撃ち込む。荷馬車の影に隠れていた兵士もろとも吹き飛ばし、万能なる神が宣う処の地獄を作り上げた。


「ルイセ、今だ!」

「ん……一斉に……撃つ……。りりーす」


 残りの兵士たちは弓を手に、一斉射、二斉射。狙いは定めずに、相手の動きを封じる制圧射撃を仕掛けた。荷馬車に隠れれば魔法で爆破され、遮蔽物のない場所にいれば矢の餌食となる、悪辣な二者択一を強いる。


 第三射まで終え、ユーリは第二小隊に弓を置かせ、突撃準備をさせる。

 エセクが接敵したからだ。

「これより同志とともに敵を討つ。誰も逃すな!」

 革製の鞘から、そっと鉄の塊が引き抜かれる。


「突撃!!」

ypaaaaaウラーaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!!」


 荷馬車の中央に、ユーリたちの突撃が突き刺さる。僅か五十名足らずの小勢だが、魔法の力を借りているため、フリジアにとって何倍もの兵士を相手するように感じさせている。


 ヴォルガの剣はフリジアのそれとは異なり、切れ味が大層悪い。なのでヴォルガ人は剣を一つの鈍器に例えているほどだ。そしてその性能はヴォルガ人の生活特性と実によくマッチングしていた。日ごろ雪の森林で木を伐採したり、小屋を建てたりすることが多いので、厚物の扱いは子供でもできる。

 フリジア人よりも体格で勝るヴォルガ人は、超近接での白兵戦であれば、寧ろ圧倒できるほどの力を持っているのだ。


「フリジアの狂信者めっ! 我らの土地から出ていけ!」

「くそ、ヴォルガの邪教徒どもが、調子に乗りやがる……」


 後方ではエセクが率いる輸送部隊が、逃げようとした敵の背を斬り倒していた。血しぶきが雪原の上で、鶏頭の花のように咲く。浮き足立ったフリジアの兵士たちは、戦列の至る所で血しぶきをあげていた。


 ヴォルガによる、攻撃直後の撤退に失敗したデューリングは、完全に包囲されていた。安易な餌に食いついた自分を嘆けども、命令の声すら届かない今は、ひたすらに血路を開くしかない。


 見立てでは第342中隊の半数は既に死亡ないし無力化されているだろう。四分の一は負傷兵、残りは退却中だろうか。いずれにせよ、我武者羅に荷馬車隊の先頭を目指す以外に道はない。


 そのデューリングの目の前に、一人の若者が立ちふさがった。


「ッ!? 娘、そこを退けっ!!」


 透明感あふれる、細い金髪がさらりと揺れる。二重のはっきりした瞳は、紫の光を湛えてデューリングを睨んでいた。


「て、敵将とお見受けする。僕はマゼイン家のユーリ。大人しく縛について欲しい。命は保証する」


 少女のような声が震えている。よく見れば肩の動きも同様だ。


「縛に、か。娘、お前と問答している暇はない。勝負は後日だ」

「行かせないっ!」


 ユーリは直剣を胸の位置に持ち、デューリングの腕を狙って刺突する。だが、より力強く速い剣捌きによって受け流されてしまった。


 互いの剣が流れるように軌跡を描き続ける。だが決定的な違いがそこにはあった。実力もさることながら、意図の違いが差となっていた。ユーリは相手の動きを止めることを第一目的としており、致命傷を与えるつもりはなかった。対してデューリングはユーリを殺さねば退路はない。それが大きく明暗を分けた。


「温いわっ!」

 デューリングは剣閃の合間を縫い、ユーリに捨て身の体当たりをしかけた。


「うわっ」

 剣は後方に抜け飛び、ユーリは馬乗りの状態に持ち込まれてしまう。


「とどめだ!」

 大きく剣を振り上げたデューリング。圧倒的優勢な場所から繰り出す一撃は、ユーリの首にたやすく致命傷を与えるだろう。


 その大振りをユーリは見逃さなかった。素早く懐に手を入れ、慈悲の短剣ミセリコルデを抜くと、無我夢中で相手の腹部に差し込んだ。


 白い光が一瞬両名の体を隠すほどに瞬いた。


「ぬぐうっ!?」


 肺の奥から絞り出すような吐息。振り下ろした剣がユーリの耳をかすめ、地面に突き刺さる。一瞬の交差だった。ユーリの攻撃が遅れていたのであれば、良くて相打ち、悪ければ首をねじ切られていたことだろう。


「僕の……勝ちだ……」


デューリングは薄れゆく意識の中、初めて相手の性別を知った。

「抜かったわ……。貴様……男……か?」


「はあっ、はあっ、はあっ」


「ぐ……父なる神フェブールよ……遥か天上あまかみより、我らの戦をご照覧あれ……。フリジアにご加護を……」


 上に乗ったデューリングの力が抜け、ユーリに覆いかぶさってくる。それを全身の筋肉を使って払いのけ、切らした酸素の補充を急ぐ。ユーリの軽装鎧に血が滴り、やがて雪の上に溶け行った。


 この日ユーリは、初めて戦場で人を倒した。

 放心していると、誰かが自分のことを揺すっていることに気づいた。


「おいユーリ! 同志少尉! やべえぞ、これ聞こえてんすかね!?」

「落ち着けテオドール。水を持ってくるんだ」


 ユーリの口の中に、ぬるい液体が入ってくる。


「うげほっ、えほっ。な、なんだ!?」

「大丈夫だ、ユーリ。俺だ、エセクだ」


「エセク……。あ……敵、敵は?」

「壊走したよ。あの様子では、もはや軍集団として復旧するのは不可能だろう。それにしても驚いた、敵の指揮官を捕まえるなんてな」


「そうだ、僕は、相手を刺して……」


 ドクン、とユーリの心臓が跳ねる。手がまだ肉を貫いた感触を覚えていた。記憶野に眠る微かな光が蘇ってくる。夏の光、蝉の声、川のせせらぎ。鼻に纏わりつく鉄の匂いがユーリの脳を揺さぶっていた。


「今のは……一体……。いや、敵将はどうなったんだ……」


 既にアウグスト・デューリングは縛り上げられており、簡易的な止血もされているようだった。目は閉じたままであるが、規則的に胸が上下しているのを見て、ユーリがどっと虚脱感に襲われた。


「僕たちは……勝った……の?」

「これを勝利と呼ばなければ、他に該当するものを探すのが難しいな。こちらは怪我人が数人で、敵は八割近く倒した勘定になる」

「大戦果だぜ、大戦果」


 顔中を煤だらけにしたエセクとテオドールが、歯を見せて笑っている。初陣の、それも貴族のおままごとと言われてきた自分たちが快挙を成し遂げたことに、喜びを隠し切れないのだろう。


「それじゃあ部隊を整えよう。負傷者や捕虜はそれぞれにまとめて、荷馬車に乗せる。エセク・ラシュトフ軍曹は兵員の状況確認を。テオドール・マレンスキー伍長は荷馬車隊の作業員に残存物資の回収指示を出してくれ」


「了解、同志少尉も無理すんなよな」


 ユーリは炎上し、紅が立つ荷馬車を見つめる。今日は多くの命が失われた。自分が立てた作戦で、多くの者が苦しみながら死んでいったのだ。きっとこれからも自分は、命の続く限りこの光景を見ていくことだろう。ならばせめて、きちんと焼きつけなくてはならない。


 ユーリは聞き取れないほど小さな声で、未だ信ずることのできない神の名を唱える。どうか死後、自分の行いが正しく審判されますようにと。


「敵将……フン、階級は大尉ですか。なかなか大物を捕まえたましたね。党本部によい土産ができました」


 紙巻煙草を吸いながら、ジルコフはデューリングの顔をねめつける。そして頬にぺっと唾を吐きかけたのだった。


「同志少尉はもうここにおられなくても構いませんよ。後は私の憲兵隊が引き継ぎます」


 ジルコフの部下が、強引に立たせようと両腕を引っ張り上げている。


「待ってください、ジルコフ少尉。貴官は軍人にあるまじき行為をなさるおつもりか?」

「あるまじき行為とは、なんでしょう? ――言ってみろ。さえずることもできないなら、黙って行軍の準備でもせんか!」


 ジルコフの顔は雄弁に語っている。これからデューリングを待ち受けるだろう、汚物以下の待遇について。ユーリは確信するのだった。政治委員は嗜虐家でないと務まらないということに。


「ッ……許可できません。敵将はこのまま前線へと運び、然るべき処遇を与えます」


「誰も閣下の許可を必要としていません。閣下には分からないことでしょうが、これは政治的な判断を要します。それとも何か、私の権限を縛る権利が閣下にございますか?」


「しかし……」


「私に口出しをする前に、ご自分の義務を遂行するべきでしょう。差し当たってこの荷馬車と補給物資の有様をどのように報告するのか、よくお考えになったほうがいいでしょうなぁ」


 ジルコフが指摘した通り、党の命令には荷馬車の損害を出してよいとは、一言も存在していない。ユーリは確かに敵を撃破したが、物資に損害を出したのもまた事実だ。それも貴重な火薬をだ。前線司令部に到着したのであれば、譴責を受けることは間違いないだろう。


「――輸送任務を続行する。負傷者を残った荷馬車に乗せ、出発しよう」

 かくも自分は非力なのか。ユーリは無念のほぞを噛むしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る