第10話 火竜の吐息

 いつから我々は捕捉されていたのだ。

 今更悔やんでも意味のないことではあるが、ミスはミスだ。次の戦いがあれば、教訓としたい。フリジア=シノン連合帝国第324歩兵中隊の指揮官、アウグスト・デューリング大尉は、焦燥感を押さえきれずにいた。


「こちらでも敵発見、距離五百メートル!」

「捕らえたか。よし、全軍戦闘準備!」


 第324歩兵中隊唯一の魔法使いは、不向きな遠視魔法で状況を報告する。魔法には当然適性というものがある。それは属性だけにはとどまらず、日々使う簡易的な魔法から、戦場で使うような索敵魔法も含まれる。


 魔法は需要に対して供給が少ない。特に広域魔法や治癒魔法の使い手は、魔法使いの中でも極限られた人数だ。なので多少不向きなものであろうとも、融通を無理にきかせるのが軍隊での運用方法だった。


「敵集団が反転し、退却していきます。その数、およそ二百……」

「このあたりには小規模な輜重隊しか現れないという情報は、正確だったようだな」


 第324歩兵中隊は、ヴォルガ帝国の補給線を攪乱すべく、最低限の装備で敵地に侵攻していた。寒冷地仕様の綿入れの上に、ヴォルガ同様に軽装鎧を着こんでいる。上から外套をまとい、綿が十分入った靴で防寒を成している。


 デューリングの同様の任務を帯びた中隊は多数あるが、同中隊は特に脱落者が多かった。慣れない雪中行軍で、既に小隊規模に近い三十名を失っている。

 されど戦意は衰えず。不必要な犠牲を払ったからには、それに倍する戦果を持ち帰らなくてはならない。


 可能であれば荷馬車そのものを強奪して、そのまま自陣へと引き返す予定だった。だが上手く運ぶ可能性は限りなく低いので、輸送物資の焼却が主な目的となる。


 デューリングには攻撃の剣を振り下ろす前に、確認するべきことがいくつかある。

「敵護衛隊の数は? 一緒に退却しているのか?」


「重装の兵士は確認できません。どうやら輜重隊の作業員で占められているようです」


 詰問された魔法使いは、己が知る情報をデューリングに提供した。彼は元々水系統の魔法を得意としている。だが辺り一面雪だらけでは、水を濾過する魔法以外はほぼ役に立っていなかった。


「敵の退却は組織立っているのか? それとも無秩序になっているのか?」

「散り散りになっています。指揮官らしきものの姿も見当たりません」


 一度壊走した軍隊は集結が難しい。報告を聞く限り、フリジアにとって理想的な状態と言えるだろう。


「素晴らしい、これこそ神の御加護だ。全軍、白兵突撃準備。敵の輸送路を赤い屍で舗装してやれ!」


 号令一下、デューリングの歩兵中隊は槍を地面に置き、腰に下げている剣を抜き放つ。相手は動揺している。しかも非武装に近い程度の作業員だ。槍衾の陣形を維持して進軍するよりも、一気に肉薄して蹂躙する。それでチェックメイトになるだろう。


「ヴォルガの豚どもめ、前線で渇いて死ぬがいい」

 フェブール教の十字が切られ、将の剣が振り下ろされた。


「……敵……攻撃態勢に……なった」

「よし、予定通り後退を続行する。物資を全ておいて、後方へ走れ! 乗れる者は馬を使え!」


 荷馬車のことはこの際無視する。輜重隊に最低限の武装をさせ、ユーリは来た道を引き返していく。吹き続ける吹雪によって、駆け足を始めた兵士たちの姿はすぐさま見えなくなった。残されたのは物資を満載した荷車と、乱雑に投げ捨てられた旗指物ばかりであった。


 デューリングの中隊がヴォルガの荷馬車に殺到する。隊列を乱して、無残に放置されたそれを見て、兵士たちは失笑の声を漏らす。


「荷台の中身を確認しろ、食料や燃料は確保し、余計な物資は全て焼却だ」


 兵士たちがそれぞれの目の前にある荷馬車にとりつき、幌をめくっていく。木箱は破壊され、壺の蓋は開けられる。


 好戦果。デューリングは味方に死人、いや負傷者すら出なかったことに大きく満足していた。今後も同じように襲撃を重ね、補給路を寸断する。この調子で十や二十の部隊を潰すことができれば、自分は左官に昇進することができるかもしれない。長く過酷な任務になるが、滑り出しは順調そのものだ。


「大尉、積み荷の多くは乾燥食料です。でも流石にこれは多くて持ち出せませんね」


「構うことはない。背嚢に入るだけ詰めて、残りは予定通りに燃やす。ヴォルガ人に何も残さないことが肝要だ」

「了解しました!」


 中隊の兵士たちは、背嚢が肩に食い込むほど食料を奪い、残りはその場で食べ始めた。今まで節約を重ねていた分、一度解放された食欲は治まるところを知らなかった。


「ちょっと見てください大尉。これの黒い砂は何でしょうか?」

「見せてみろ。どれ……。これは、火薬か……」

「すごい量ですね。これだけで幾らするやら」


 耐水加工の魔法が施されている赤い樽が、荷馬車隊の中央に集まっている。デューリングは本命を捕まえたと確信した。大規模輸送、特に火薬弾を投擲するカタパルトやトレビュシェットの輸送は襲撃にあう可能性が高い。


 フリジアでは部品単位に分けて輸送し、現地で組み立てる方式で進められているが、ヴォルガでは最初から完成しているものが送られてくる場合が多かった。


 その中でも火薬弾は貴重かつ高価であり、現地で生産することが極めて困難な代物だ。両帝国とも、確保する戦略物資の上位に火薬は食い込んでいる。


「ここで発見したのはもったいないな。せめて他の部隊と連携がとれていれば、持ち帰ることができたのにな」

「そうですね……。悔しいですが、破壊することにします」


 デューリングが荷馬車隊の最後尾まで歩ききったときだった。

 静かに雪を受け止めていた森林の中で、赤い光が灯った。虚空に魔法陣を描き、呼び出されるは炎蛇の舌。中隊の誰もが、炸裂する瞬間まで気づかなかった。


「全員伏せろっ!!」


 デューリングの声が届く間もなく、炎は火薬が満載されている荷馬車に直撃した。山が割れるかのような爆発音が鳴り響く。上空には吹き飛ばされた兵士たちが、地面に打ち付けられるのを待っていた。直撃した者で、四肢が無事である人物はいない。腕を、足を、腸を、そして首までもが塵となって降り注いだ。


「腕がっ! 俺の腕がっ!! ああ、神よっ」

「誰か来てくれ! くそ、何が起こったんだ!?」

「シュナイダー、返事をしろっ! どこだ、シュナイダー!!」


 火炎弾の着弾付近は、火薬への引火も手伝い、大きなクレーターができていた。周囲には無残な屍が並ぶ。


「動ける者は武器を持ち、怪我人を下がらせるのだ! 信仰を強く持て!」


 デューリングは懸命に指揮を執る。

――完全に罠に嵌った。そう認識した時点で、胸の中に、昏く冷たいものがせり上がってくる。悪寒、唾棄、恥辱。そのどれをも含んでいる何かだ。


「全軍撤退だ。敵兵が来るぞ!」

 フリジアにとっては残酷な読み。必ず的中してしまうだろう予言は、実行された。

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