第9話 無謀を希望に

 ユーリはマリアンと一緒に周辺地図を眺めていると、前方の小集団がにわかに騒がしくなった。ユーリは咄嗟に剣を掴み、状況を把握するべく小走りで向かう。足に絡みつく雪が機動力を奪おうとも、今は構っていられない。


 ユーリとマリアンはその場にとどまらず、喧騒の輪に加わることを選択した。


「何があった、テオドール!」

「同志少尉、報告します。前方三キロ程度の距離に、フリジアの歩兵三個小隊を確認しました。――敵さんも休憩中らしく、幸いこちらにはまだ気づいていないみたいだぜ」


「敵がそんな近くに!? まだこの付近は安全圏内のはずじゃあ……」

「私も……見た……。あれは……えねみー」


「どうすんだ、同志少尉?」


 ユーリは少し思案した後、待機命令を出す。軍における待機命令とは、いつでも出撃可能な準備をしておくという意味だ。


「全軍休憩中止。前方に備えつつ警戒を厳にせよ。後衛と協議したうえで次の命令を下す。テオドールは全軍に待機命令を通達。ルイセはジルコフ少尉を呼んできてくれ」


 二人は自分も疲れているだろうが、これから自軍が飛び込む鉄火場を理解していた。疲れ果てている兵士たちを叩き起こし、情報を撒きながら後方へと走り出す。

 背嚢を枕にして寝入っていた者も慌てて飛び起き、武器を片手に寄せ、兜の調整を始めている。


 やがて、急場にそぐわない歩調で、ジルコフが面倒くさそうに先頭部にやってきた。


「これはまぁ……何ともお見事な統率ですな。敵を発見したからといって、羽虫のように右往左往。これは本部になんと伝えればいいやら……」


 ユーリはジルコフの脅しをそっくりと無視する。今は身内同士の争いに拘泥している時ではないからだ。


「ルイセから報告を受けていると思いますが――」

「はい、伺っておりますよ。で、閣下、攻撃にはいつ移られるんでしょうか?」


「攻撃!? 何を馬鹿なことを! こちらは一個小隊と輸送部隊、敵は歩兵の三個小隊です。数的劣勢時に攻撃をするべきではありません」


「敵を目の前にして逃げる、と? 我らの党が同志諸君に出された命令をお忘れですかな? 多少の数の差など、誉れ高きヴォルガの兵士ならば、軽く粉砕してしかるべきですぞ」


「ですから、我々は戦闘に適した編成ではないと! 与えられた任務は、物資を前線へ確実に送ることです。交戦は避けるのが鉄則です!」


「いけませんいけません、ああ、いけませんよ。そのような敗北主義的で惰弱な思考は、党必要としていません。そんなに目を見開かれてどうしました? 何か党の方針に異議でもございますか?」

「いえ、そんなことは……」


 違う、そうじゃない。ユーリはこんなところで党の方針について議論するつもりはない。考えるべきは、人的・物的損害を出さずに前線にたどりつく術だ。こうして不毛な言い争いをしている間にも、フリジアの部隊が動き出すかもしれないというのに。


「同志少尉、政治将校として進言いたします。速やかに兵士を戦闘配置につかせ、攻撃を開始してください。忠誠を無くした軍隊に、存在価値などないのですからな」


 ジルコフの近くに、カーキ色に赤い星の印がついた軍帽を被った軍警察がやってきた。ジルコフの子飼いなのだろう。彼は何事かを耳打ちすると、敬礼して去って行った。


「後方にいる同志の準備ができたようです。私は彼らを指揮しなくてはなりませんからな、これで失礼させていただきます。御武運を祈っておりますぞ」


 ジルコフはうやうやしくユーリに一礼し、部下が去って行った方向へと歩き出していく。


『何度も言わせるなよ、貴族の痩せ犬。貴様は黙って党の命令に従っていればいい』


 ジルコフが党の名を出した以上、その行動は絶対である。党の命令は自らの行動の指針でもあり、必ず服従すべき金科玉条だ。党に反逆するものは人民の絶対的な敵であり、淘汰されるべき存在であると信仰している。


 戦争が始まって以来、ジルコフの上官は既に六人も代わっている。誰一人として戦場で果てることなく、暗い牢獄や刑場でその命を散らしていった。ジルコフは決して自らの手を汚しはしない。ただそっと、言葉や文字を添えるだけだ。


 今もこうして、ユーリの言動や服務態度、交友関係を洗い、情報を収集している最中だ。特に部隊への気さくな会話は、党が定めた軍の序列を無視する行為である。あと一つ何か看過できないものを見つければ、ジルコフは容赦しないだろう。


「やっと行ったし。早く戦死しないかな、あいつ……」


 マリアンは雪中に消えた太った背中に向けて、べーっと舌を出す。ユーリも悪態の一つでもつきたくなるが、流石にそこは指揮官なので自重する気持ちが働いた。


 指すべき一手。現場の最高責任者として、ユーリは思案する。自軍の戦闘部隊は第34補給基地から連れてきた、第二小隊の五十名のみ。残りは輜重隊三百二十名だ。 

 無論ジルコフ率いる軍警察はあてにならない。


 戦闘経験のない貴族の子弟とその供回りに、最低限度の武装しか与えられていない作業員。実質的にはそこらの民兵組織の方が、打撃力があるかもしれない。


 対するフリジア=シノン連合帝国は戦闘に特化した歩兵部隊だ。一小隊をヴォルガと同程度の五十名と換算しても、三個小隊で百五十名。まともに戦える相手ではない。


「正攻法ではとてもじゃないけれど、勝ち目がない。でも……逆に輜重隊を何かに使えないだろうか」


 肝心の退路は味方の手によって断たれている。地図を眺めてユーリが作戦を練っていると、同行していたマリアンが先に何かに気づいたようだ。


「ねえユーリ……じゃなくて、同志少尉。テオドールの馬鹿は敵が全部歩兵って言ってたよね? こっちには私がいるから……いっそ荷車を犠牲にして……ぶっ飛ばしてみるとか」


 荷物の箱の上に広げた地図に、マリアンは木の欠片を配置して、仮想の動きを示す。


「なるほど。物資に損害が出るのは痛いけれど、一番効果的な戦術みたいだね。採用するよ」

「やったね! そうこなくちゃ!」


 定まった作戦を各員に伝達する。

 ユーリ・マゼイン率いる第二小隊の初陣が始まった。

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