第6話 紅二点

 エセクの姿が闇に消えると、入れ替わりに二人の若い女性がたき火の明かりに近づいてきた。


「うーあー。寒い寒い寒い寒いっ! ほんともう、無理っ!」

「…………火は……好き……。ふぁいやー」


 ユーリが率いる第二小隊に配属され、たった今偵察任務から解放されたばかりの二名だ。余程寒かったのだろう、縋りつくように、たき火の前でガチガチと震えている。


「二人ともご苦労様。何か報告事項はあるかな?」


「特に……ない……かな?」


「何で疑問形なのさ。まあ、大丈夫ならいいんだ。夕食の配給はまだ閉まっていないみたいだから、行ってもらってくるといいよ。今お湯を沸かしているから、お茶を準備しておくね」


「ああああああああ、うーごーきーたーくーなーいー」


「マリアン……食事は……大切……。ごーごー」

「うああ、ちょ、ルイセ、引っ張らないでよっ」


 魔導帽を脱ぎ、積もった雪をばさばさと払っている黒髪の女性は、マリアン・連火レンカ・サフィーリナという。ユーリよりも低い百四十センチ程度の身長と、短く切りそろえた前髪は、まるでリスを彷彿させる。彼女は小隊付きの魔法使いとして部隊に配属されている。


 テオドールも魔法が使えるが、彼は物質に魔力を宿らせて強化する、付与魔法しか使えない。だがマリアンは代々魔法使いの家系に生まれ、物心つく頃から魔法の訓練をしてきた、一人前の術士である。彼女は四大元素の魔法を、精霊との契約なしに行使することができる、理術というものを用いて戦う。特に火属性の魔法への才能は特筆すべき点がある。


 ユーリも血筋上では魔法の素質は持っている。しかし現在のところ、魔法を習熟して物事を成すよりも、自らの運動力でどうにか解決した方が早い。だからこそ剣を傍に置いているのだ。


 たき火の前でぐずっていたマリアンの袖をつかみ、炊煙の方向へ引っ張っていこうとしている女性は、ルイセ・フローベールという。金髪に近い明るめの髪を左目の部分にだけ被せるショートカットに、今にも眠りそうなとろんとした瞳。彼女は表情に乏しく、口調も途切れ途切れにしか喋らない。


ルイセの家族はヴォルガ北西にある別の土地から来た移民の一家だ。ルイセの父は他民族諸派の支持を取りつけて、帝国議会で議員の一人として席を与えられている。つまり二人は根っからの上流階級の娘さんたちだ。


「お願いルイセ、もうちょい、もうちょいでいいから火にあたらせてー」

「しかた……ない。私も……しっとだうん」


 ルイセはマリアンを無理に連れて行くのを諦めたようだ。二人とも次第に目が細まっていき、疲労の極致であったことを窺わせている。


 マリアンは矢避けの風理術も使いこなし、突入を支援する魔法使い。ルイセは戦場で重要な、索敵と弓術支援を担当する山岳歩兵だ。


 慌て者のマリアンに、落ち着きすぎているルイセ。動と静。彼女たちの性格と役職がミスマッチしてしまっているが、ユーリの小隊にはなくてはならない人物だ。


「おうおう、今日も仲良しですなー、お嬢ちゃんがた。特にルイセちゃんのおっきいお胸に、薄いマリアンちゃんが埋もれてるのを見ると、こう、生きててよかったって思うぜぃ」


 この場に最もそぐわないゲスな発言をして、だらしなく顔を弛緩させるテオドール。


「あ゛? アンタまだ呼吸してたの?」

「あなた……誰……?」


「う……返しがちょっとキツすぎやしませんかねぇ……」


 無慈悲に反撃をするマリアンと共に、ルイセもいい性格の持ち主だ。ユーリは苦笑しながらも、白く細い指で器用にお茶をいれる。


「はい、マリアン。ルイセもお茶だよ」


 木製のカップに、ヴォルガ特産のコバルトティーが入っている。澄んだ湖面のような美しい蒼は、精神を安らげる効果を持っている。


「ありがとユーリ……じゃなくて同志少尉。むはぁ、美味しいー」

「超絶……感謝……えと……ばりしょーえ、すぱしーばマジでありがとう?」


「今はユーリでいいよ。僕たちの他には誰もいないし」


 篝火の周囲からも人が減っている。不寝番を残して消灯の時間に移り始めているようだった。


「あれだよね。ユーリはこう、素敵なお嫁さんになるよねぇ。仕事に疲れて家に戻ると、お食事にする? お風呂にする? みたいな」


「それはマリアンのお母さんの国の風習? そんなことよりも、僕を指すとき女性と混同させるのをやめてほしいなぁ」


 ルイセがユーリの背中を叩いてくる。慰めているのだろうか。


「ユーリは……超美人。らぶりー」

「相変わらず『性別:ユーリ』で通ってるんだな。俺もまあガキの頃見た時は、すげー美人だと心が躍ったもんだ」


 テオドールが相槌を打つ。正直とても嬉しくないので、ユーリはジト目で睨む。


「そう言えば……最初……着替え一緒だったね……。ぽっ」

「僕だって猛抗議したんだよ! もう、誰からも男扱いしてもらえなかった僕の立場も考えてよ……」


「だよね。私はユーリの前で着替えても恥ずかしくない気がする。むしろ男に囲まれていて平気なの? その、なんかこう、ソッチの人とかに……」

「マリアン!!」


 ユーリがそっぽを向いて一人お茶をがぶがぶ飲み始めた。こういう少女らしい仕草をとること自体が、話のネタになっていることに本人は気づいていない。


「ユーリがいじけているということは、またからかわれたんだな。ほら、斥候に出てた二人の食事もついでに持ってきてやったぞ」


「あーん、エセクマジ天使。どっかの使えない魔法剣士とは大違いだよねぇ」

「……それは誰のことですかねぇ」


 マリアンとルイセはそれぞれに手を組み、目を閉じて各々が信じる神に対して祈りを捧げる。今日の糧を得たことへの感謝。無事に生き延びたことへの歓喜。前線送りにならなかったことへの安堵。様々な感情を込めて、一心に祈っていた。


 その姿を見て、ユーリも優しい気持ちに包まれていた。さんざんからかわれはしたが、今日も小隊のみんなが健在であることが、何よりも嬉しかった。


 願わくば終戦の鐘が鳴るその日まで、誰にも傷つかずにいてほしい。そんな思いを胸に潜ませて、今日も一日が過ぎていった。

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