第5話 幼馴染

「んー、つかれたぁー-」


 ユーリは大きく伸びをして、体の強張りをほぐしていく。


 転属指令書、補給計画書、新兵の輸送手配書。あげればきりがないのが事務仕事だ。気づけば日はすでに落ちきり、夕食というには遅い時間帯になっていた。


「今日もまた薄いスープと黒パンかな。いや、不満は害悪だ。本国は食糧不足だっていうしね」


 ふぅ、とため息をつく。


「ああ、実家のクリームシチューが恋しい」


 寒冷下では体温を維持するために、栄養素を多く必要とする。脳がしっかりと食物を摂取したと認識しなければ、運動能力が失われて凍死の原因となる。


「さてと、まだ少しは残ってるかな……」


 ユーリは膝にかけていた軍用の毛布をとり、外していた士官用の直剣を腰に佩く。そして大きく燃えるかがり火の方向へと歩き出した。


ユーリはまず燃料配給所から材木と種火を受け取り、たき火を作った。


「うう、眠い……。はぁ、僕に軍務は向いてないのかなぁ……」


 体を揉みながら、水をゆっくりと飲む。低温地帯で急に水分が体に入ると、ショック症状を引き起こすことがある。なので口の中で水をかき回し、時間をかけて温めてから嚥下するのが最適だ。


 一心地ついたところで、ユーリは再び重い腰をあげた。軍用の食料配給所から夕食を受け取らなければならない。こんな時間に来やがってと、当番の兵士からは白い目で見られるかもしれないが、空腹には誰も勝てない。


 スープを両手で抱え、水と同じようにゆっくり飲んでいると、後から肩を叩かれた。


「けふっ、けふっ。なんだエセクか。驚かさないでくれよ」

「マゼイン子爵の御令息ともあろう方が、お一人で食事とは感心しませんな」


「またそんな堅苦しい呼び方をする……」

「はっはっは、すまんなユーリ。どうにもお前はからかいやすくてな」


 エセク・ラシュトフ。黒々としたオールバックの髪をなでつけ、彫りの深い顔を緩めて笑っている。高い身長と筋肉質の体は、人に威圧感を抱かせる。だが本人の性格は至って温厚なため、第一印象と大きく違うとよく言われる男だ。


 ユーリより二つ年上の十八歳。幼少のころからの付き合いである。ユーリが住んでいた町にある鍛冶屋の長男で、腕っぷしの強さと面倒見の良さから、みなに頼れる兄貴分として慕われていた。


「ちょい兄貴兄貴、同志少尉って言わなきゃダメっしょ~」


 エセクの後ろからもう一人男が現れた。注意するような言葉だが、口調からしてまるで本気には聞こえない。


 長く伸ばした茶色の髪の毛に、軽薄そうな笑み。一重の目はいたずらっ子のように輝いている。


「もう、テオドールまで。僕たちだけのときは、いつものようにしてくれって言ってるのに……」


「同志少尉ったら耐性なさすぎィ!」

「そこまでにしておけテオドール。温かいうちに食事をとっておこう」


 ケラケラ笑いながら、テオドール・マレンスキーはユーリの横に陣取った。急いで黒パンにかじりついている様子をみると、どうやらユーリが来るまで食事をとっていなかったらしい。


 エセクと同じく、テオドールもユーリの幼馴染の一人だ。農家の五男坊なのだが、祖先に魔法使いがいたらしく、一家の中でテオドールだけが魔法の才能に恵まれた。


 本来は首都の魔法学院に通う予定だったのだが、ユーリとエセクが軍に行ったと聞きつけ、ひょっこりとその後をついてきた、お気楽青年である。


 ユーリは子爵令息の身分を鼻にかけることはない。寧ろ臆病に近い謙虚さを持っている。友情と保護欲がないまぜになったのであろうか、ヴォルガでは成人とされる十五歳を大きく過ぎても、三人の友情は変わることなく続いている。


 エセクやテオドールは平民出身だが、軍務につくにあたり、マゼイン家から特別要望が出た。彼らはユーリの供回りとしてカウントされ、今の通り安全な後方に配属されている。二人とも改めて口には出さないが、ユーリには感謝の念を抱いているのだった。


 三人で車座になっていると自然と子供の頃の話になる。町長宅の前に落とし穴を掘ったことや、木の下に宝物を埋めたこと、初めて森で鹿を狩ったことなど、話題は尽きない。


 テオドールが悪だくみをし、ユーリがおっかなびっくりついて行き、エセクが最終的に面倒をみる。十年以上変わらない三人の関係だ。


「しっかし、軍のメシって不味いよなぁ……。貧乏農家の俺んちだって、もうちっとマシなモンが出るってのによー」


「俺たちはまだ恵まれている方だ。この補給基地から食料が無事に前線に届くには、相当な運が必要らしいぞ」


「敵を目前にして補給がこないとか、絶望感ハンパねーっすなぁ」


 エセクたちのやりとりを聞き、ユーリの胸がチクリと痛む。自分が手続きした物資はせめて安全に届いて欲しかったからだ。


 当然のことだが、兵站線を重要視しているのはヴォルガもフリジアも同じだ。互いに後方へ小部隊を送り込み、物資を奪ったり奪われたりしている。戦乱期には戦場付近や通過路にある村々で、食料の徴発が相次いでいた。だが保存魔法の発達により、今では補給基地の概念がある。だが軍隊において補給を断つのは幾年過ぎても変わらぬ正攻法だ。


 まだ新年が開けたばかりだ。だがユーリは自分が来年の同じ陣地にいて、届く宛てのない補給物資を送り続けているのではないかという、悲観的な絵を思い浮かべてしまった。


(悪い考えはよそう。ヴォルガはこんなにも将兵を投入している。失地を回復するのも時間の問題だ。現にフリジアの進軍を止めたじゃないか)


 両国は天然の要害を挟んで膠着しているだけなのだが、若きユーリはそれさえもヴォルガの力だと信じたいらしい。


「さて、そろそろ斥候が戻るころだろう。ユーリ、俺はもう少し薪を持ってくる」


 ユーリの気持ちが沈んでいることに気づいたのか、エセクは少し明るい声を出して立ち上がった。ユーリは自分の気持ちを汲んでくれたことに気づき、将校としての自覚がないことを恥じつつ、エセクにお礼を言う。


「ありがとうエセク。今夜の雪はこれからが本番みたいだから、多めにもらってきてくれると助かるよ」

「了解、同志少尉殿」

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