第3話 夏影
昔、一つの殺人事件があった。
ノイエングラード。人口八万人のうち半分以上は出稼ぎの労働者と言われている。アターシア大陸の北部及び東部を支配するヴォルガ帝国の領内で、一、二を争う銀の産出地なので、大陸各地より人が集まってくる。
ヴォルガ帝国の中心地であるレイル山脈より七十キロほど西方にある国境沿いの町で、一人の子供の死体が発見された。
犠牲者は平民の子供、十一歳。刃渡りニ十センチはある細い短刀を胸に刺され、川辺の草の上で仰向けに寝かされている状態で発見された。凶器は被害者の胸にそのまま残っており、証拠隠滅など微塵も考えていないような現場状況から、計画性を持った犯行説は否定された。
遺体には他に損壊跡はなく、抵抗した様子も見られない。爪の形もきれいなもので、何かをひっかいたり掴んだりした痕跡が皆無だ。着衣の乱れ、暴行、事故の形跡もない。町を巡回する皮鎧を着こんだ兵士が調べようとも、片目が白内障でまともに機能しなくなっている老人が見ようとも、その年のワインの良し悪しを吟味するように貴族が検分しようとも、誰の意義もないくらい完璧に他殺体だった。
これは顔見知りの犯行ではないか。そんな噂がまことしやかに流れる。
では誰が? あいつか。いやきっとあの人だ。違う違う、犯人は……。
疑念。白夜で始まる美しい夏を誇るノイエングラードは、黒い思念が渦巻いていた。
浮浪者、売春婦、病人。あらゆる死体よりも刺激的なものが子供の死体だ。住人が疑心暗鬼になるのも無理はない。
だが事態はあっけなく収まった。
少年の母親が殺人容疑で逮捕された。少年の家には父親は存在せず、母親は新しくできた恋人との関係に夢中であったという。少年は家に放置されていることが多く、家庭の経済事情からか、碌に食事も与えられていなかったという証言も出た。
逮捕時、母親は精神的に錯乱しており、不明瞭な言語で騒ぎ立てていた。踏み込んできた調査兵に対して木製の椅子を投げたり、自分の木靴で殴りかかったりと、大いに抵抗した様子を見せたという。
結局のところ、裁判所から死刑判決を受け、その首に縄がかけられる最後の瞬間まで、人間性を取り戻さなかった。
ノイエングラードの、今は誰もが記憶の片隅に寄せてしまった事件はこれで解決。
悪人は裁かれ、死の鉄槌を受け、哀れな子供の魂は天国に昇って行きましたとさ。
めでたし、めでたし。
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