第2話 戦乙女の箱庭 ②

「よし、頭数はそろったな。これより崖上によじ登って攻撃を加える。ああ、言いたいことは分かっている。登っている最中は攻撃され放題で、下手をしたら全滅だということも」


 指揮官は死んだ魚のような目で命令を伝える。


「幸いなことに敵は少数で、さんざんっぱら矢を射かけた後だ。敵の物資が尽きていることを祈って、ひたすらに突っ込め。行くぞ!」


 息を整え、ユーリたちは斜面を匍匐ほふく前進で進軍する。頭を高く上げた兵士が眉間を撃ち抜かれて、崖下に落下していった。


「斉射が来るぞ! 伏せろ!」


 地面と同化するかのように低く体を預ける。ふとユーリの目にサリヤの花が咲いているのが映った。

 平和と愛の象徴である白い花が、こんな地獄に咲いていることに皮肉を感じてしまう。


 懲罰大隊は芋虫のように斜面を這う。多くの仲間が撃ち落されていったが、とうとう敵陣に取りつくものが出始めた。


「かかれ! 全軍突撃ッ!!」

「ヴォルガに栄光あれ!」

「フリジアの狂信者を殺せ!」


 懲罰大隊は、粗末な武装で一心不乱に陣地へと侵入していく。そこかしこで肉を裂く音と、断末魔の悲鳴が響いている。


 フリジアは正規軍だ。装備や練度は懲罰部隊が正面からぶつかって勝てるようなものではない。


「怯むな、地面に引きずり倒せ! 剣が折れたら噛みつけ!」


 もはや指揮ではなく、殺害方法の伝達だ。後から『来るかもしれない』本隊のためにも、一兵でも多く屠らなくてはいけない。


 登り切ったユーリたちは息を整え、武装を確認する。廃棄皇女アーデルハイドは剣を抜いて先頭に立とうとしていた。その勢いにサンタミカエラも続く。


「うむ、では参るぞ!」

「遅れないでねユーリっ!」


「ちょ、ちょっと! 二人とも突出すると危ないよ。敵陣正面に味方兵士が殺到してるから、僕たちは迂回して横から攻めてみよう」

「ほう、いいね。たまにはやるじゃないかユーリ」


「拙僧も賛成です。アーデルハイド殿、サンタミカエラ殿、ドミニク殿。マゼイン卿をお任せしますぞ」


 そう言うや否や、グレゴール神父はメイスを抜いて静かに側面への道を切り開きに行く。途中で数名のフリジア兵に出くわしたが、出合いがしらに頭をたたき割られたようだ。


「で、横に来たけどどうすんだい、ユーリ」

「ドミニクさん、火打石は持っていますか?」


「あるけど、高いんだよコレ」

「天幕に火をつけましょう。混乱に乗じて焼き討ちを仕掛けます」


 ユーリたちは無言で燃えやすいものを無人の天幕付近に集め、カチリと火をつける。


「ドミニクさんとサンは片っ端から火をつけてください。グレゴール神父は大声でこう言ってください。『囲まれたぞ! 火が迫ってるぞ!』って」

「承知しましたぞ」


「殿下、今から混乱する敵兵を討ちます。ご準備はよろしいですか」

「任せておけ。なにこのようなところで死ぬ気はないぞ」


 果たして即興の火計は功を奏した。炎と煙、可燃物が爆ぜる音がフリジアの兵士を大いに混乱させる。そこにグレゴール神父の攪乱が混ざれば、もう態勢を立て直すことはできない。


「見ろユーリ、敵将が逃げるぞ。あの野郎、味方を捨てていくつもりか。騎士の風上にもおけないやつだ」


 ドミニクが怒気をはらんだ声で叫ぶ。促されるままに視線の先を追えば、黒い駿馬に乗って、飾り鎧を着た男が供回りと一緒に反転しようとしていた。


「あいつを逃がしてはいけない。このまま突撃を続けよう!」

「賛成だ。どうせ持久戦になれば我が方はもたない。懲罰部隊の悲しさだな」

「私はシンプルなほうが好きだよ! いよっしゃあああ!」


 言うや否やサンタミカエラが大戦斧を振り回しながら突進する。防御の槍衾も彼女の暴風のような攻撃の前では意味をなさない。

 ドミニクは大振りなサンタミカエラの隙をカバーするように動く。背後や横にいる兵士を剣で突き刺し、体術を駆使していなしていた。


 皇女アーデルハイドの剣の腕も負けていない。一対一ではほぼフリジア兵を圧倒できている。


「神父、行きましょう」

「かしこまりました。大地母神の御心のままに」


 三人の女戦士が開けた穴に、ユーリは疾風のように走りこむ。

 目指すは馬上の敵将だた一人だ。ここで逃してしまえば、後日大規模な軍団が進軍してくる可能性が大きい。


 危険の芽は見つけ次第摘むことが生き延びる秘訣だ。


「敵将、覚悟ッ!」


 ユーリは得意の獲物――細長い慈悲の短剣を抜き放つ。


「おのれ異教徒めが。私を呼び止めるなど不敬千万。叩き斬ってやるからそこに直れ!」


 敵将が繰り出す大剣を身をよじって回避し、ユーリはまず馬を狙う。


「シッ!」


 馬の首筋にミセリコルデを突き刺し、馬上から敵将を引きずり下ろす。

 一般的に卑怯と呼ばれる行為だが、ユーリは経験上から百も承知の上での行動である。


 戦場では爵位も誇りも、流儀も関係ない。ただ生き延びることが正義なのだと。不正規戦はもう慣れた。効率的な命のやり取りしかこの場では価値がない。


「おのれ騎馬を狙うとは、この痴れ者がぁっ! 騎士の戦いを弁えぬ愚か者よ、貴様の首を置いていけ! このヴォルガのメス豚め!」

「黙れ!」


 敵将が持つ両手剣は破壊力こそ素晴らしいものがある。だが軽装兵に対してはオーバーキルな装備であり、素早さで圧倒される危険性を持っていた。


「そんな粗末な剣で私の鎧が抜けるか! 頭を叩き割ってやる!」


 板金鎧の絶対的な防御力に自信があるのだろう。フリジアの将はろくに回避せずにユーリの攻撃をいなす腹積もりだった。


「聖痕よ……」


 ユーリの右手の甲が光る。

 ヴォルガの女性のみに発露する聖なる証。

 聖痕だ。

 魔法とは異なる理論で作用するそれは、ものによっては歴戦の猛者をも圧倒する能力を秘めている。


「メス豚が、貴様は烙印の魔女か!」

「だから、黙れと言っている!」


 ユーリの攻撃は、なんの変哲もないただの突きだった。物理法則に忠実であるのならば、とてもではないが重装の鎧を傷つけられるものではない。


 サクリ、と静かな音が鳴った。


「ぐがっ、ば、馬鹿な……!」


 吸い込まれるように、ユーリのミセリコルデは敵将の心臓を刺し貫いた。まるで雪に木の枝を刺すように、何の抵抗もなく命を刈り取ったのだ。


「うがあああああっ!」


 ユーリが剣を引き抜くと同時に、夥しい流血がまき散らされる。敵将の断末魔が絶えた後、ユーリは剣を天にかざして勝鬨をあげた。


「敵将、ユーリ・マゼインが討ち取った! フリジア兵よ、これ以上の抵抗は無意味だ。降伏せよ!」


 風雪に眩く靡く白金の髪は、まるで一つの宗教絵画のように神性を感じさせた。


「おお、戦乙女よ……」

「戦場の天使だ」

「ヴォルガを祝福する女神様だ……」


 澄んだ紫の瞳は憂いを含み、残った敵兵にのぞむ。その光に射抜かれて、次々とフリジア軍は武器を捨てていった。


「なんと……可憐な……」

「神よ……異教徒に屈する私をお許し下さい……」


 長年の怨敵すらひれ伏した。ユーリは静かに剣を下ろすと、悠然と敵陣の中に分け入っていく。中には跪いて拝んでいる兵士すらいた。


「やったね! ユーリ」

「サン、ありがとう。道を切り開いてくれなかったらどうなっていたか」

「フッ、さすがは元陸軍士官というわけか。まあまあの手際だったな」

「厳しいですね、ドミニクさん」


 ヴォルガの兵士が敵兵の武装解除を完了した。


「ここはヴォルガの地、我ら祖国の領、父祖伝来の国である! ヴォルガ万歳!」


 ユーリはフリジアの三つ首鷲旗ドライアドラーを引きずり下ろし、丘の上に立ってヴォルガの鉄斧と戦槌の旗アックスアンドハンマーを掲げる。


 半ば捨て駒として投入された第666懲罰大隊は、この日敵の前哨基地を陥落させるという大手柄を立てることになった。

 高揚している兵たちとは対照的に、ユーリの心には吹雪が猛っていた。


「変えてやる。この地獄のような体制を。終えて見せる。この悪夢のような戦争を」

「何も卿だけで抱え込まずともよいぞ。私もその煉獄を共に歩もう」


 ユーリはアーデルハイドと一緒に大地に腰を下ろす。

 一つの戦いは終わった。しかし懲罰部隊に休息はない。


 ゴクリ、と喉を鳴らす。

 ユーリは酒が飲めないので、すこしだけ水を含み、ゆっくり飲んだ。


「それにしても……」

「何か懸念があるのか、マゼイン卿」


「いつになったら、僕が男だってみんな分かってくれるんだろう」

「ふっ、はははは、それはもう諦めたほうがいいだろうな!」


 アーデルハイドはぶっと水を噴き出して大笑した。

 月も恥じらう端正な面持ちの若き男兵士、ユーリ・マゼインは、白金の戦乙女と呼ばれることに密かな不満を持っていたのだった。

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