二十五題目「水 元日 宿帳」

 エントランスのテレビから『ハッピーニューイヤー』とたくさんの人たちが叫ぶ。新しい一年の始まりを告げるように、遠くで鐘の音が鳴った。

 ソファーに一人座り、缶酎ハイを飲む。まるで、自分だけが別の世界に迷い込んだようだ。

 年が明けただけで、どうしてここまで喜べるのだろう。たかが、新しい一年が始まっただけなのに。

「……学生の時はよかったな」

 漏れ出た弱音を忘れるために、缶酎ハイを一気に飲み干す。

 年末でも出張しているからか。それとも、木造の民家のような安宿に泊まっているせいか。

 荒んでいる自分にがっかりしつつ、自分の部屋に戻るために立ち上がる。僅かにふらつくが、一缶だけで酔うほど酒には弱くないはずだ。

 誰もいない受付にはA4サイズのノートが開かれていて、泊まっているらしき人の名前がつらつらと書かれている。

 セキュリティーの甘さを感じながら、無意識にノートに書かれている文字を追っていき、


 『雛森雫』と書かれていたのが目に入る。


 思わず足を止めてしまった。

 必死に見間違いだと思い込もうとする。

 こんな偶然があるはずがない。高校の時に付き合った元カノの名前があるなんて。

 フラフラとした足取りで、エントランスの隅に置かれた自動販売機の前に立つ。

 もしかしたら酔っているのかもしれないと思った俺は、水を買って飲む。

 冷たい液体が喉を通り、ぼんやりとした頭が少しずつ冴えてくるような気がした。

 今度こそ大丈夫だと思い直して、再びノートに視線を移す。


 『雛森雫』と間違いなく書かれていた。


 心臓の鼓動が速くなる。

 酔いが覚めているはずなのに、視界が揺れ動いているような気がした。

 もう部屋に戻ろうと足早に廊下を歩くと、

「あれ、武早くん?」

 付き合っていた頃と変わらない、透き通った声。聞き間違えるはずが無い。

 ダメだとわかっていたのに、自然と振り返ってしまった。

「やっぱり、武早くんじゃん」

 あの頃と全く変わらない笑顔を浮かべた彼女が、目の前にいた。

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