第十八題目「鹿 歯 ござ」
「頼む! 俺に歯を譲ってくれ!」
リビングに敷かれたござの上で、鹿頭の人物が頭を下げている。
あまりにも流れるような動作で、青年は一瞬見入ってしまった。
「……いやいや、譲ってくれって言われても」
鹿頭の人物が頭を上げる。つぶらな黒い瞳と視線が合った。
「友人を助けると思ってさ」
「正直、あなたを〇〇だと思えないんですよね」
鹿頭の人物が、青年の足にすがりつく。
「頼むから信じてくれよ〜」
情けない声を上げるその姿が、〇〇と重なったような気がした。
友人の〇〇と名乗る鹿頭の人物が家に訪れてから、一時間は経っていた。
〇〇とは中学からの友人で一緒に遊ぶことが多かったが、大学進学後はお互い忙しくなり、疎遠になっていた。
だから、突然家の前に来た時には驚いた。しかも、鹿頭になっていたのだ。
「そもそも、声で俺だってわかるだろ?」
言われてみれば似ているような気もするが、それだけでは信じることはできない。
鹿頭の人物を引き剥がして、青年は距離を取る。
「なんで、そんな頭になったんだよ?」
「知らねえよ。朝起きたら、こんな頭になってたんだ」
鹿頭が青年を見上げる。
「でも、人の歯をもらえば元に戻すって頭の中に声が聞こえて」
鹿頭になった理由はわからないが、人の歯があれば元に戻ると頭の中の声が言っている。
頭の中で整理しても、やっぱり訳がわからない。だが、
「……わかった。信じるよ」
「本当か」
「ああ。なんとなくだけど」
怪しいところはあるが、鹿頭の人物と話していると、懐かしさを感じるのだ。だから、青年は〇〇だと信じることにした。
「本当にありがとう」
鹿頭が青年の手を握り、何度も上下に降り続ける。
感謝を表しているのかもしれないが、鹿頭の迫力に青年が苦笑いする。
「それで、どうしたらいいんだ?」
「それはだな」
鹿頭が背後から大きなペンチを取り出す。
「俺が歯を引っこぬくから、じっとしててくれ」
青年が口の中に鋭い痛みを感じて、目を覚ます。
リビングには自分以外の姿はない。もちろん、鹿頭の人物も。
さっきのは夢だったのかと思い、顔を洗いに洗面台へ向かう。
「……最悪だ」
鹿頭のつぶらな黒い瞳が、鏡越しに青年を見つめていた。
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