十七題目「夜 言葉 醤油」

「なんで『しょうゆ』って言うの?」

 二人しかいない食卓。

 対面に座る幼い息子の問いに、俺はサーモンの切り身を持った箸を止める。

「なんで、俺に?」

「気になることはお父さんに聞けって、お母さんが」

 仕事で帰りが遅くなった妻を心の中で恨みつつも、俺は必死に頭を巡らせる。

 もちろん、醤油の意味を知っているわけがない。だが、正直にわからないと答えれば、今まで積み上げてきた息子との信頼が崩れてしまう。

 息子からの熱い眼差しを受ける俺は、ポケットにある携帯に触れる。

 なんとかして、携帯で調べる時間を確保しないと。

「ご飯を食べてから、教えてやる」

「ええー」

「食事中にお話するのは行儀が悪いって、母さんがいつも言ってるだろ?」

「……うん」

 不満げに唇を尖らせつつも、息子が渋々ご飯に手をつける。

 素直な息子に申し訳なさを感じながら、俺は携帯で調べるための行動を始める。

「ちょっとトイレに行ってくるわ」

 箸を置いて立ち上がる俺に、息子が半目で睨む。

「ごはん中にトイレに行くのはダメだって、お母さんが言ってたよ」

 息子の正論に言い訳もできずに、渋々座り直す。

 妻の躾には感心するが、今回は裏目に出てしまった。

 その後も、息子の監視が緩むことはなく、食事を終えてしまう。

「じゃあ、教えてよ。お父さん」

 大量に汗が流れて、背中にシャツがくっつく。

 醤の文字ですら、どう読むのかわからない俺に醤油の語源がわかるわけがない。

 俺と息子の間に、長い長い沈黙が流れる。

「ただいま〜」

 聞き慣れた声が聞こえてきた瞬間、息子が走り出す。

 振り返ると、息子を笑顔で抱きかかえる妻が玄関にいた。

「いい子にしてた? 博」

「うん、お母さんとの約束を守ってるよ」

 妻が俺の方を見る。

「どうしたの? 今にも飛び降りそうな顔をして」

 誰のせいだと思ってるんだと、咄嗟に文句を言いたくなる。

「あ、お父さん、さっきの教えてよ」

「さっきのって?」

 息子が妻に説明する。

「お父さんなら、わかるんじゃない?」

 妻の姿をした悪魔が、ニヤリと笑う。どうやら助けてはくれないようだ。

「すまん、博。実は知らないんだ」

「え、そうなんだ」

 息子の顔が曇る。本当に申し訳ない。

「それなら、一緒に調べたらいいじゃん」

 妻の提案に、息子の表情が笑顔になる。

「そうだね。お父さん、一緒に調べようよ」

「あ、ああ」

 妻の提案で、息子と一緒に携帯で調べる。

 息子の扱いを見て、妻にはやっぱり勝てないと思い知るのだった。

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