十五題目「嵐 贈り物 箸」


 玄関で、見上げるような長身の男がずぶ濡れで立っていた。激しい雨音が、男の背後で騒がしく奏でている。

 今日は一日中雨が降ると、ニュースで流れていたことを思い出す。

 男の前髪から雫が滴り落ちる。玄関のタイルに、シミが広がった。

「どうしたんだよ、急に」

 男ーー弟を玄関で迎えた青年が、顔を引き攣らせながら尋ねる。

「……引っ越し祝い」

 弟がボソッと呟く。雨で聞こえにくく、理解するのに時間がかかった。

 ずぶ濡れの大男が玄関で立っている状況に、弟じゃなければ通報してるなと青年は密かに思う。

「引っ越ししたの、三ヶ月も前だぞ?」

「引っ越してから、何もしてなかったから」

 こんな雨の日じゃなくてもいいと思うが、遠い実家から来てくれた本人には言えない。

「ひとまず、中で着替えるか?」

「いや、でも、迷惑だし」

「風邪をひかれる方が迷惑だから」

 そこまで言うと、弟は恐る恐る玄関へと入る。

 青年はすぐにパスタオルを渡すと、脱衣所に弟を押し込む。

「俺の服でいいから、そこで着替えろよ」

 返事はなかったが、衣擦れの音が聞こえ始めたので、リビングに移動して弟を待つ。

 弟は昔から無口な人間で、周囲の人には予想がつかない行動をすることが多かった。そのため、幼い頃はよく面倒を任されていたのだ。

 今回も、誰にも相談せずに来たのだろう。

 しばらくして、弟が脱衣所から出てくる。

 服のサイズが合っておらず、少し窮屈そうだったが、服が乾くまでは我慢してもらうしかない。

 弟がリビングに入ると、椅子の前に立つ。大きな手には、小さな紙袋がある。

「……座らないのか?」

「勝手に座ると、怒られると思って」

「別に怒らないから、座れよ」

 弟が音を立てずに座ると、小さな紙袋から箱を取り出して、無言で差し出す。

 訳も分からないまま箱を受け取った青年が箱を開けると、中には黒い箸があった。

「箸には、橋渡しっていう意味があるから」

 弟なりに考えてくれた物のようだが、箸は一つあれば足りる青年にとってはいらないものだ。

 返品しようと弟を見ると、なぜか涙を必死にこらえていた。

「な、なんで、泣いてるんだよ!」

「兄さんが一人暮らししたから、少し寂しくて」

 涙をポロポロと流す大男は、端から見ると怖い。

 だが、自分を慕っていたことを知り、少しだけ弟への見る目が変わる。

「大事に使わせてもらうよ」

「ゔん」

 涙で顔がぐちゃぐちゃの弟の頭を、青年が優しく撫でた。

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