十三題目「月 曲芸師 賭博」

「あいつが渡れるか、賭けをしないか?」

 紺と橙が混じる空。月が見え始める時間帯。

 友人の提案に、大学の空き教室で窓際に座る青年は怪訝な顔をした。

「あいつって?」

「あいつだよ。あいつ」

 友人が窓の外を指差す。

 視線を追うと、五メートル以上の幅はある大きな池の近くに、人が集まっていた。

 十人以上集まる輪の中心には、ジャージ姿の男。

 服の裾から覗く腕は細身ながらも、引き締まっているのがわかる。運動部に所属しているのかもしれない。

 男は何度も入念に屈伸をして、運動の準備をしている。

「なんで、あんなに集まってるんだ?」

「毎週金曜日に、あの池を渡ろうとしてるんだよ。あいつ」

 友人の言葉に、青年はため息をつく。

「つまり、あの学生が池を渡れるか賭けようってことか」

「そういうこと」

 正直、あの男が池を渡れるかどうかなんてどうでもいいし、興味もない。それに、

「悪いが、俺はやらない」

「なんでだよ?」

 そんなの簡単だ。

「二人とも、渡れないに賭けるに決まってるだろ」

 青年の指摘に、友人はニヤリと笑みを浮かべる。

 中学からの付き合いがある青年には分かる。大抵ろくなことを考えていない時の顔だ。

「俺は、渡れるに千円賭けるぜ」

「……本気か?」

「本気の本気だぜ」

 友人が財布から千円札を取り出し、机に置く。

 間違いなく裏がある。

 楽しそうに笑う友人を見て、青年は訝しむ。

「ただの遊びだろ? そんな難しく考えるなよ」

 青年は窓の外の男を観察する。

 ジャージ姿の男は、その場で軽く跳ねている。そろそろ、池を渡るのかもしれない。

 運動が得意だとしても、流石に池を渡れるとは思えない。かといって、特に水の上を走れそうにも--

 そこまで考えて、青年はやっと気付く。

 気づいてしまえば簡単なことだった。

「やっぱり、この賭けは成立しないみたいだな」

「……もう気づいたのかよ」

 友人がわざとらしく舌打ちして、千円を財布に戻す。

 青年が窓の外を見る。

 男が池に向かって走り出し、ジャンプする。やはり距離が足りずに、池の上に落下する。だが、

「池の上に、ガラスみたいなものがあるだろ?」

 青年の視線の先には、池に沈むことなく、水の上に尻餅をつく男がいた。

 痛みに悶えている男を見ながら、周囲の人間は露骨に落胆している。

「あいちゃんとのチェキに回せると思ったのに」

「また地下アイドルか」

 友人に呆れながら、青年はお尻を押さえながら向こう岸に渡る男を見ていた。


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