三題目「宗教 恋愛 迷宮」

 ピンポーンと遠くから聞こえる。

 暗闇に沈んでいた意識が浮上し、重たい目蓋を開ける。

 薄い布団から体を起こした男は、その音がインターホンだと理解するのに数秒かかった。

 ドンドンドン。

「すいませーん、誰かいらっしゃいませんかー」

 金属の扉をノックしているのは、若い女性のようだ。

 一瞬、妻の声かと考えたが、すぐにそんな訳が無いと思い直す。

 何かの勧誘だろうと思った男は、相手する気が湧かず、再び布団に寝転ぶ。

 見ず知らずの女性には冷たいかもしれないが、昨日のやけ酒で最悪の気分だった男には、そんな余裕はなかった。

「すいませーん。あけてくださーい」

 男がいると確信しているのか、女性はドアの前から離れる気配は無い。

 このままでは近所から苦情が来るかもしれないと考えた男は、重い体を引きずってドアを開ける。

 そこにいたのは、茶髪を肩まで切りそろえた女性だった。見た目だけなら、女子大生と言われても納得するほど若々しい。

「……何か」

 男は、わざと面倒くさそうに声を出す。早く帰れという意思表示だ。

「こんにちは! 私、こういうものです」

 男の真意に気づいていないのか、女性が名刺をすっと差し出す。

 出されたからには受け取らないわけにもいかず、一応手にとって名刺を確認する。

「恋愛教の宗尼むねにきゅん?」

「はい! 私、みなさまに人を好きになることの幸せをお伝えする、恋愛教に所属していまして!」

 元気よく声を出す女性は、肩にかけたカバンから薄いハンドブックを取り出す。

「もしよろしければ、一緒に頑張ってみませんか?」

「……」

 恋愛教と表紙に大きく書かれたハンドブックを目の前に、男は混乱していた。

 恋愛教なんて聞いたこともないし、そもそも本当に宗教なのだろうか? もし本当にあるのだとしたら、なんて悪いタイミングなのだろうか。

 男はハンドブックを受け取らずに、扉を閉めようとする。

「ちょ、ちょっと! なんで閉めるんですか!?」

 女性が片手で必死にドアを抑える。

「も、もしかして、私が怪しい勧誘をしている人と思ってます?」

「……頭のやばい人だとは思ってます」

「ひ、ひどくないですか!?」

「ともかく帰ってくれ」

 強引に女性を追い出し、扉を閉める。

「絶対に、また来ますからねー」

 扉の向こうから気配が消える。同時に、足音が遠ざかっていく。

 色々と考えるのが面倒になり、男は布団に寝転がる。

 布団の横には、判子が押された離婚届と銀色の指輪が置いてあった。


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