第34話「春服を買いに行きます!」
◇◇◇
それから数週間後。
数度目の給料が振りこまれた。
先月とは違いフルタイムで働いたおかげか、かなり良い金額だ。
前世でしか働いていなかった私は、自分で働いてお金を稼ぐのが楽しいということを久々に思い出した。
最も、前世で働いていた会社はブラックだったから、二度と働きたくないのだが。
学生時代にしていたバイトが、働いていて楽しかったからそれを思い出したのだ。
それに、お仕事のおかげで私はかなり痩せた。
お風呂に入るとき、全身鏡を見ると明らかに足が細くなり、出ていたお腹も引っ込んでいるのがわかる。
暖かくなってきたから、今日は約束通りエリオットと服を買いに行く日だ。
今まで大きなサイズの洋服を買っていたけれど、今なら普通の服のサイズで良いんじゃないか、と期待していた。
冬のコートはもう役目を果たしたため、カーディガンと花柄のワンピースを着てエリオットと共に外へ出ていた。
「どうする? 久しぶりに王都に出る?」
「王都は……やめておく。ベスティエ街の洋服店に行きたいな」
王都で私を探している殿下と会ってしまったら気まずいことこの上ない。
それに会ったら私に向かって何か言ってくる気がする。
もう一度婚約者になれ、というようなことを。
ベスティエ街も王都と近い位置にあるけれど……殿下は都会が好きだろうし、さすがにここまでは来ないだろう。
「じゃあベスティエ街にある百貨店に行こう。良い洋服がたくさん売ってるから」
二人で歩道を歩いて百貨店へと進む。
今日は人混みが多くて、エリオットの背中が別の人で見えなくなってしまったり、人にぶつかってしまっている。
一応二人で並んでいることには並んでいるのだが、ガタイの良い獣人などにぶつかると私はよろけてしまう。
「アイリス、もっとこっちに」
「……!」
人混みにのまれている私の肩をエリオットがぐいっと引き寄せた。
エリオットと密着する形になる。
エリオットの胸板に私の頭がある。
私の肩を掴んでいる彼の手が温かい。
あまり男性に触れられたことがない私は、肩を引き寄せられているだけで顔が真っ赤になっているのが自分でもわかってしまう。
こんな顔、見られたくないと俯く。
地面は私の足と、私より大きいエリオットの足が交互に動いていた。
肩を触れられたまま百貨店の中に入って、外ほど人混みはないのになぜか私たちはくっついたままでいた。
「ここ、どう? アイリスの好みだと思うんだけど」
「わあ……! すごい可愛い……!」
移転魔法で百貨店の上層階に到着すると、目の前に刺繍が綺麗な洋服店が広がっていた。
様々な花の刺繍から、フルーツ、他の国の言語、精霊などの刺繍が描かれた洋服がたくさん飾られている。
私は刺繍が施された洋服が大好きで、以前エリオットと冬服を買いに行ったときもそういう服ばかり買ってしまっていた。
だから、エリオットにも私の好みがバレてしまっていたのだろう。
「この服とか、アイリスに似合いそうじゃない?」
そう差し出されたのは、ベリーの刺繍がされた檸檬色のワンピース。
刺繍も上品に描かれていて、赤や桃色なのに強調されていない。
袖の部分はパフスリーブで、ふんわりとしたシルエットを作ってくれる。
「すごい可愛い! これにしようかな……」
「アイリスはどの服が欲しい?」
「うーん……エリオットがオススメしてくれたワンピースも可愛いし……このトップスも可愛いな……」
「ああ、それアイリスに似合うと思うな。アイリスは白のブラウスを着るとすごく映えるから」
「そうなの?」
「俺はそう思う。……でも、どんな服を着てもアイリスは綺麗だ。俺の意見は気にしなくていいから、好きに選んでくれ」
全身鏡に映る私とエリオットは、全然背丈が違う。
男の人だから私とは全然違う服を着るのに、エリオットは真剣に私の服を一緒に悩んで選んでくれた。
……嬉しい。
自然と口角が上がって、口数が増えてしまう。
購入したのは檸檬色のワンピースとチェック柄のセットアップに、大人っぽい白色のブラウス。
他にもエリオットと一緒に選んだ洋服を数着購入した。
店員に声をかけて試着室で試着をしたけれど、太っている人用の大きなサイズではなく、普通のサイズで袖を通すことができた。
私にとってとても嬉しいことだ。
会計時、エリオットが「俺も出すよ」と言ってくれたけれど、前にも言ったように私が着るものだと言って自分で払った。
エリオットは私が洋服を選んでいる最中、ずっと傍に付き添ってくれたし、急かしてくることもなかった。
支払いをして戻ってきた私の頭を一瞬だけ撫でてくれて、その場を後にする。
「んーーー! 美味しい! 最高!」
洋服をたくさん買った頃には昼時になっていて、私たちはエリオットのオススメのガレット専門店にやってきていた。
私が頼んだのはスモークサーモンとトマトチーズのガレット。
サワークリームが入ったサーモンは柔らかく、トマトの酸味とレモンピクルスが良い味を出している。
ガレットももちもちで、お腹が空いていた私はばくばく食べ、いつの間にかあと一口となってしまっていた。
「あ、ごめんなさい。会話もせずに、ガレットに夢中になってしまって」
「はは、それほどここのガレットが気に入ってくれたのなら良かった。俺も初めてきたときは夢中で食べてたよ。アイリスを見てるとその記憶が蘇ってくる」
「とっても美味しい! またここにエリオットと行きたいわ」
「……ああ、また行こう」
完食して食後の紅茶を飲んでいると、エリオットが「そういえば」と顎に手をあてて小さな声で言った。
「アルヴィーン殿下が婚約破棄した令嬢を探しているらしいね」
……ギクッ。
思わず噎せそうになってしまい、必死に唾を飲んで堪える。
「フレッドたちから聞いたんだ。今の妃殿下じゃ全然仕事が務まらないって」
「へ、へえ、そうなの」
「そんなこと今更言うくらいなら、どうして婚約破棄なんてしたんだろうな。その令嬢はきっと、殿下のためにたくさん教育を施されていただろうに」
エリオットが、珍しく怒気を含んだ声を放っていた。
エリオットの怒りの言葉に、私はだんだん目尻に涙が溜まってきてしまう。
エリオットは、どうしてこんなに優しい人なんだろう。
どうしてこんなにも、人を思いやれる心を持っているのだろう。
目尻に溜まった涙を流さないように、私は必死に紅茶を飲んで気を紛らわせた。
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