第5話「ルルア、ごめんね」
「アイリス様、夕食の準備ができました」
「あ……ルルア」
殿下が王宮へお帰りになったあと、私は自室に移動した。
家庭教師に宿題を課され、参考書の問題を解いていたころ、ルルアがドアをノックしてやってきた。
ルルアはアイリスの侍女で、小説ではアイリスにこき使われいじめられているという設定だった。
私は前世の記憶を取り戻すまで小説の話通りに動いていたわけで、今までルルアにひどいことを言ってきた。
厳しい勉強のストレスが溜まって八つ当たりとしてルルアに暴言や我儘をよく吐いていたのだ。
ルルアは元孤児で、教会育ちの女性だった。
それを今のヴィーレイナ家当主であるお父様の気まぐれで拾われて、私の侍女として生活してきたのだ。
だから、アイリスは貴族じゃない女性に世話をしてもらうことが気に入らないという理由でルルアをいじめ始めるのだ。
――貴方ってば、そんなこともできないの!?
――喉が渇いたわ。早くブドウジュースを持ってきてちょうだい。え? ブドウを切らしてる? ふざけないで! じゃあ貴方が買いに行きなさい!
などなど過去の前世に気づく前の私を思い出して、思わず頭を抱える。
「本当に、最低だわ、私……」
「アイリス様? どうかされましたか? 体調でも悪いのですか?」
それでもルルアは私に健気に寄り添ってくれる。
ルルアは私が我儘を言っても嫌な顔一つせずに応えてくれた。
たくさん無理を聞かせてしまっていたのに、私は一度もお礼を言っていない。
「……ルルア」
「なんでしょう、アイリス様」
ルルアは笑顔で答える。
その純粋さや健気さが私の胸を貫いて、申し訳なさで頭も心もいっぱいになった。
私はルルアの手を握る。
少し冷たくて、そういえば今は冬だし廊下は寒いのだとわからせてくれた。
私の部屋には暖炉があって暖かいけれど、廊下にそれはない。
以前、私が零した紅茶をルルアに拭かせたことがあった。
でも紅茶を拭いているルルアの手は、そのとき冬なのもあって洗い物であかぎれしていた。
今のルルアの手はあかぎれしていないけれど、当時は私がハンドクリームを与えたりして労わるべきだったのだ。
それなのに、「早く拭きなさい」だなんて言ったりして、小説の話通りに動いていたとはいえ、全部私の我儘、私の都合しか考えていなくて……。
「ルルア、ごめんなさい」
「え……どうされたのですか!? アイリス様!」
気づけば私は一筋の涙を零していた。
焦ったルルアがポケットからハンカチを取り出して拭いてくれる。「私のもので申し訳ありませんが……」なんて言ったりしながら。
「私、貴方にたくさんひどいことをしたわ。勉強のストレスで何度も貴方に暴言を吐いたし、無茶苦茶な我儘だって言ってた。……ごめんなさい、ルルア。私、もっと貴方を大切にするわ。絶対に大切にする」
「アイリス様……」
「今までのこと、許してくれなんて思っていないわ。でも……これからは、私と一緒にお話ししたり、中庭でお茶をしたりしてほしいの。……今まで我儘を聞いてくれて、ありがとう」
今までルルアのことを元孤児だからといって、私に釣り合う人間じゃないと思って話も命令と我儘だけだったし、彼女と中庭でお茶なんてしたことがなかった。
でも、前世の記憶を取り戻した今なら、ルルアと一緒にいろんなことがしたい。
両親から止められていて屋敷の外には出られないけれど……。
私は前世の記憶を思い返す。
私の上司も我儘で、無理難題な命令を押しつけてきたりしていた。
公爵令嬢という上に立つ人間として、そんな人間にはなりたくない。
私が懇願するように上目で背の高いルルアを見つめると、ルルアは瞳を潤ませて柔らかく微笑んだ。
「アイリス様。私は貴方に怒りを向けたことなんてありませんよ。今までの我儘や暴言を許さないだなんて思ってもいません」
「ルルア……?」
「アイリス様は一人で王太子妃になるための勉学と戦ってきました。すごいことなんですよ。無事王太子妃になれて、アイリス様はとても立派な女性です。だから、『ほんの少し』の八つ当たりくらい、なんとも思っていませんよ。アイリス様は頑張ってきたんですから」
「……っ」
私が地獄のような勉学に励んでも、お父様とお母様は喜んだり褒めたりしてくれなかった。
むしろ、もっと教養を身に着けようとさらに本を買い、家庭教師をつけていた。
前世だって上司に褒められたこともないし、同僚と飲むことはあっても仕事を褒められたことはなかった。
私はたくさん仕事をこなしていたから、嫉妬の面もあったんだと思う。
だから……そんなことを言ってくれたルルアに、小さな一粒だった涙は大粒のものとなって溢れ出した。
「ごめんね……っ、ルルア、ごめんね……!」
「大丈夫ですよ。アイリス様」
泣いている私を、ルルアがそっと抱きしめてくれる。
八歳の私より大きな身体があって、この世界でお母様に抱きしめられた記憶もない私は、すごく安心してしまう。
ルルアは私が泣き止むまで、抱き竦めて背中をさすってくれた。
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