第3話「奴隷商コースなんて嫌ー!」

「それでこの、アイリス・ヴィーレイナに転生したの!?」


 前世の記憶を思い出したあと、私は殿下に聞こえないように静かに呟く。


 応接間に殿下と入ったあと、殿下がソファに座るのを確認してから私は一言断りを入れてお手洗いへと急ぐ。


 せっかく殿下に来てもらったのに、いきなりトイレに行ってしまって申し訳なさが募る。

 だけど、自分でも確認しておきたいことがあるのだ。


 廊下に出れば突き当たりにトイレはあるため、そこに行って自分の容姿を鏡で見た。


 プラチナブロンドの艶やかな髪に、豊かな森林を想像させる緑の瞳。

 少し釣りがちの目は強気な雰囲気を醸し、八歳にしては背丈が高い。

 白皙の肌に、瞬きをするたびに揺れる金色の睫毛。


 そして、アイリス・ヴィーレイナという私の名前。

 婚約者であるアルヴィーン・ローズウェリーという名前の王太子。


「間違いない、この世界は……『王太子とのシンデレラ結婚~殿下から男爵令嬢への溺愛~』、通称『王シン』の世界だわ!」


 私がつい最近読んでいた恋愛小説の世界に、私は来てしまったのだ。


「それも……私は、悪役令嬢のアイリスに転生したんだ」


 『王シン』の話は、かい摘んで話すとこうだ。


 公爵令嬢のアイリス・ヴィーレイナはアルヴィーン王太子との婚約が決まっている。

 王太子妃になるために勉学に勤しみ、王太子と共に王立レクティチュード学園へ入学する。


 だが、あるとき学園へ転校生がやってくるのだ。


 それがこの恋愛小説『王シン』の主人公であるミリア・リーベットという男爵令嬢で、彼女は兎の獣人だった。


 この小説は獣人と人間が共存している世界を描いている。


 本来なら獣人は獣人専用の学園へ通うのだが、リーベット男爵の養子に入ったミリアは、特別に貴族が通うレクティチュード学園への入学が許されるのだ。


 そのときミリアと王太子は気づく。

 二人は一生に一度会えるかわからない、『運命の番』だということに。


 婚約者のアイリスは、王太子が自分を放ってミリアにかかりきりであることを許さなかった。


 アイリスはミリアに自分の取り巻きと共に嫌がらせを始める。

 それを許さなかった王太子が、卒業前にアイリスとの婚約破棄を告げる。


 アイリスは罪に問われ学園から追い出される挙句、爵位を剥奪され、お金がなくなったアイリスは奴隷商に売られる。

 そしてミリアと殿下は幸せに暮らして大団円という結末だった。


 最初に読んだとき、アイリスがここまで倍返しにあうだなんて可哀想、と他人事のように思っていたのだが……。


「私がその目に遭うんじゃない!」


 間違いない。

 この顔立ちは小説の表紙絵とキャラクター紹介の部分で見た。


 奴隷商になんて連れて行かれたら変人に買われて好き勝手された挙句殺されるか、買われずに売れ残って殺されるかの二択だろう。


 前世だけでなくこの世界でも老衰以外の理由で死ぬだなんて辛い。


 私は必死に頭の中で考えを巡らせていく。

 ミリアと殿下は『運命の番』なのだ。

 ミリアと出会ってから私を選ぶ可能性は低い。


「ミリアと会わせないようにすればいいんじゃないかしら?」


 でも、ミリアと会わせないように画策していれば、『運命の番』から遠ざけようとしている嫌な奴だと思われるんじゃないだろうか。


 『運命の番』とやらは、匂いでわかるらしい。

 それも遠くからでもわかるそうなのだ。


 だから私が会わせないようにしたとしても、ミリアが転校してきて学園にいるという時点で、間違いなく『運命の番』がいるとバレる。


「じゃあ……ミリアをいじめないようにすればいい?」


 それも一つの手だが、ミリアが殿下の『運命の番』という立場である以上、殿下がミリアに傾き、陶酔して私がミリアをいじめたとあれこれ難癖をつけるかもしれない。


 殿下はそんな性格ではないと、信じたいけれど……。


 他の恋愛小説でもあったことだが、『運命の番』の二人は必ずお互いに惹かれあい、この人以外との恋など考えられないと思ってしまう描写が多い。


 ミリアと殿下は出会ってしまったら終わりだ。


 二人が『運命の番』だとわかった瞬間、奴隷商コースのスターターピストルが鳴り、私は強制的に走らされてしまう。


「いや、でも、ちょっと待てよ……」


 私と殿下は今日初めて会ったばかりだ。

 お互いのことをよく知らない。


 これからお互いの好きなものや嫌いなもの、楽しいことや辛いことを知っていき、政略結婚とはいえ愛を育もうと二人で努力していくことになる。


「それなら……いっそのこと、殿下を惚れさせてしまえばいいのでは?」


 ミリアに会う前に、私と殿下で『本物』の愛を育む。

 それなら殿下はミリアに靡かないんじゃないか。

 そんな楽観的な思考を受け入れた私は、この選択肢に決めてトイレの扉を開け、応接間に戻った。

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