第13話 幽霊屋敷 弐


「どうしたの、お兄ちゃん?」


 生きている。


 止まったはずの心臓がばくんばくんと暴れ回っている。全身から冷や汗が吹き出し、猛烈な吐き気が襲ってきた。三太はそのまま蹲りたかったのに、なぜか膝は折れてくれなかった。というか、指一本動かすことができなかったのだ。


 目の前で、少女が三太を見上げている。


 ──


 なにがなんだかわからない。


 三太にわかったのは、この瞳がこの感覚の元凶であるということだけだ。得体の知れなさに全力で逃げ出したかったが、それすらできない。どう足掻いても三太の体は反応してくれなかった。


 だから、三太は少女の瞳から目を逸らすこともできない。


「そこまでにしてくれや」

 

 三太と少女の視線を遮るように、文七が割って入ってきた。


 途端、三太の全身から力が抜けた。得体の知れない感覚は消え、思わず膝から崩れ落ちそうになったが何とか堪え切った。


「あら、驚いた。お兄ちゃん、本当に何者?」


「こいつも噂好きさ。ちょいと間抜けなとこがあるがね」


「ふぅん。うん、よく見たら結構いい男じゃない」


「やめとけよ。そいつは年上好きなんだ」


「あら。だったらちょうどいいわ。こう見えて、私はずっと年上なんだよ?」


「それこそ冗談だろ。流石に年季が違いすぎる。こいつには分相応な相手ってのがいるのさ」

 

「あら、そう。まぁ、いっか。お兄ちゃんも家に来なよ。美味しいお菓子だってあるんだから」

 

 少女はそのまま屋敷の方へ向かっていった。


 てくてくと歩く姿は少女そのもので、三太はただその背中を見ているしかできなかった。


「どうだい? 少しは、気分は楽になったかい?」


 文七は三太に振り向くと気遣うように見上げてきた。ふと、随分距離が近いことに気づく。三太は膝を踏ん張って立っていたつもりだったが、随分前のめりの姿勢になっていたようだ。あとちょっとで倒れそうなほど。


 三太は慌てて背筋を伸ばした。

 

「あの、すいませんでした」


「いや、俺の方が油断した。まさか、あそこまで容赦がねえとはな」

 

「えっと、さっきのは一体…」


「細かいことは後だ。。知られちまったら、それで終わりだ。実感したろ?」


 名前を知られたら終わり。

 

 三太には正直、言葉の意味がまるでわからなかった。けれど実感として理解させられている。


 ──


 あれは、錯覚でもなく紛れもない現実だ。もしも、あのまま名乗っていたら待っていた未来けつまつ


 こんなこと──今まで、経験したことがなかった。


 なんて鮮明で、なんて明確な死の予感。


 それが、妙に三太に深く刻まれた。


「うん、いい面だ」


 え?


「なに、お前さんがいい男だってことさ」


 突然の言葉に、三太は困惑した。

 

 いや、今、そんなこと言われても。あまりに状況を無視した言葉に、冗談なのかなんなのかわからずに、三太は黙っているしかなかった。


 文七はしばらく三太を見つめていたが、不意に視線を外した。そのまま背後に振り返り、すたすたと歩き出す。少女はすでに屋敷の門の前に立っていた。


 幽霊屋敷。その姿が異様に不気味に見えた。

 

 だから、三太は、


「ま、待ってください」


 文七に並ぶように一歩を踏み出した。


 なぜそうしたのかは、三太自身にもわからない。けれど、そのまま後ろをついていくことだけはしてはいけないとそう思ったのだ。


                  ✳︎



「はい、どうぞ。私の手作りなんだから、とっても甘くて美味しいわ♪」


 まるで飛び跳ねるような軽やかな声音で少女は、三太と文七をもてなしてくれた。

 幽霊屋敷にしか見えない外観だったが、内装は至極まともだった。というよりも、三太が見たこともない格式高い瀟酒な屋敷だった。白い大理石の玄関も置かれた調度品の数々も。全てが異次元過ぎて、屋敷の中を歩くだけでも圧倒されっぱなしだった。

 極め付けは、案内されたリビングでのこと。


 天井から、シャンデリアが吊るされていたのだ。


 そう、シャンデリア。三太の記憶が正しければ、そんな名前の照明器具だったはずだ。実物を見るのは初めてだったが、たぶんそんな感じだろうなと完全に麻痺した思考で結論付けた。


 そのままふかふかのソファに座らされ、現在に至る。


 目の前のテーブルに並ぶのはさまざまな色とりどりの菓子。三太の目には眩し過ぎて、お菓子だと言われてもまるで信じられなかった。


 ついでに持ってこられた黒い水も。いや、流石にこれはコーヒーだと三太も知っている。


「すごいな。これを全部作ったのか」


「ええ。いつでもお客様をおもてなし出来るように。我が家の家訓なの」


「我が家ねぇ。他には誰もいないのかい?」


「いないわ。夫には先立たれたし、娘も随分昔に出ていったっきり」


 夫、娘。


 三太はカップに口をつけようとしたが手を止めた。明らかに幼女である。なのに、自身の身の上を語る少女の口ぶりがあまりに自然だった。

 

 いや、当然の話か。


 彼女は渡来人。三太達とはまるで違う存在なのだから。


「一人で寂しくないのかい?」


「まさか。お友達はいっぱいいるから」


 公園で無邪気に遊ぶ姿が三太の脳裏に浮かぶ。

 

 さすがに覚えていないが三太もその中の一人だったはずだ。そのせいなのかわからないが、三太は少女に対して悪感情を持てないでいた。たしかに得体の知れなさは感じてはいるものの、それだけだ。むしろ、身の上話を聞いたせいで同情心すら湧いてきているのを自覚している。


 そのせいだろう。


「どうして、子供と遊んでるんです?」


 また、三太は余計な真似をしてしまった。自覚しても、もう遅い。何度目かもわからない後悔をしようにも、場の雰囲気と流れがそれを許さなかった。


 少女は、ごく自然に、


「だって可愛いじゃない。子供は、どの世界でも宝物なんだから」


 そう答えた。


 柔らかい笑顔。少女の浮かべるそれは、紛れもなく慈愛に満ちたものだった。




 

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