第12話 心臓を握りつぶされちゃった

「ここだな」


 文七の屋敷から半刻。役場や商店街を挟んだ向こう側に広がる住宅街の一角にその屋敷はあった。


 暗い。


 三太が改めて見て思った感想はそれだった。西洋風だが造りが古く、周囲の建物からも浮いている。そこかしこに蔦が伸び、罅が走った外壁は触れれば崩れてしまいそうなほどだった。


 幽霊屋敷とはよく言ったもので、三太が幼い時分から感じていた感想は今以って変わらない。誰かが住んでいる話も聞いたことはないし、灯りがついているところを見たことはなかった。それでもここによく来ていたのは、隣に公園があったから。


 近場に他の遊び場もなかったし、不思議なもので通う内に慣れてしまったのだ。むしろ、この幽霊屋敷を目印にしていた時期もあったように思う。

 

「庭の手入れもしちゃいねえってのは頂けねえな。昔っからこうなのかい?」


「ええ、はい。まぁ、誰かが住んでること自体想像できなかったですからね。それに、ここにくる人はみんな公園が目当てですから」


「公園ねえ」


 そう言って文七は公園の方へ視線を向けた。


 住宅を建てるには広すぎる空間。青青とした木々が彩り、いくつかの遊具が設置されている。どれも三太の記憶の中にある形状とはどこか違っていた。けれど、それは良い意味での変化なのだろう。遠目に見ても塗装がしっかりとしていて、おそらくは整備も定期的に行われているはずだ。

 

 子供たちが遊具で遊ぶ様子を見ればよくわかる。いくら子供の力とはいえ、あれだけ加減なく扱われてもしっかりとした安定感が見て取れるの手入れが行き届いているからなのだろう。


「平日にしちゃ随分賑わってるな」


「他に遊び場もないですからね」

 

 駆け回る子供、遊具で遊ぶ子供、砂場をいじる子供。そこかしこで母親と思しき女性たちが井戸端会議を開いている。中には孫を見守る老夫婦もおり、どこか平和的な風景が広がっていた。


 三太自身もその中の一人として遊んでいたのだ。


 ── そこに母の姿は当然なく、父の姿もなかった。使用人達とその子供たちがいたのは覚えている。


「おい」

 

「──え? あ、はい、すいません」


 どうやら少し呆っとしていたようだ。

 

 三太は取り繕うために文七に謝った。思いの外、感傷が強かったらしい。文七は険しい表情で三太を見つめていた。当たり前だ、ここにはあくまで文七の手伝いで来ているのだからサボっていたら叱られる。しっかりしろ、と三太は自分自身に言い聞かせた。


「…………」


「あの、文七さん?」

 

「……なんでもねえ」


「?」

 

 よほど間抜け面でも晒していたのだろうか。文七はしばらく三太を見つめてから視線を外した。


 どうにも空気が重い。

 

 公園で遊ぶ子供達の姿もいい加減見飽きてきた。そもそも三太たちの目的は幽霊屋敷の方だ。外から眺めているだけではなんの意味もない。烏滸がましいかもしれないが三太から文七に呼びかけようとして、


「なにしてるの、お兄ちゃん」


 女の子に声をかけられた。


 おそらくは5歳か6歳くらい。立ち上がっている文七よりも小さくて、思わず凝視してしまった。

 まっすぐと三太を見上げる瞳は澄んだ碧色をしている。幼な子にしては目鼻立ちの掘りが深く、とても整った顔立ちをしている。肌は白く、髪の色は鮮やか金色。まるで西洋の御伽噺から出てきたかのような容姿だ。


 そこで三太は気づいた。


 そうだ、この感覚を知っている。それもつい最近。あの時ほど鮮烈ではないけれど、それに限りなく近い。


 これは、


「はじめまして、お嬢さん。あんたがあれの主人かい?」


「あれ?」


 首を傾げる少女に向かって、文七は煙管を使ってあれを指した。


 当然、件の幽霊屋敷。


 少女は得心がいったという表情で、


「ええ、そうよ。貴方達はどこのどちら様かしら?」


 そう言った。

 

                     ✳︎


「なに、名乗るほどの者じゃねえ。ただの噂好きさ」


 文七は少女の問いかけにも飄々とした態度を崩さない。


 ただ、三太にとっては言葉を失うほどの衝撃だった。


 市村ヨネ。

 

 100年以上昔から不法に住居を占拠している渡来人。目の前の少女とは決して同一の存在には見えない。


「へんな人。名乗らないなんて失礼だと思うけれど?」


「そういうのはお互いを信頼してからだろう? 特にあんたみたいな輩は名前ってのを随分と粗末に扱ってくれそうだからな」


「あら? 同族なかまと会ったことがあるのかしら? その愛くるしい姿もそのせい?」


「いんや、こいつは元からだ。ひどい目にあったのは間違いないがね」


「でも、今も生きているのね。お友達になったの?」


「まさか。そいつはもうこの世界にはいないよ」


「そうなの? なら良かった。他の同族なかまと友達だったら殺すところだったわ。私と友達になる?」


「今は遠慮しとくよ。それに友達ってのはなるもんじゃなくてなってるもんだ」


「んー。うん、あなた気に入ったわ! 私の家に招待してあげる!」


「いや、なんでっ?」


 三太は思わず突っ込んでしまった。


 いや、いくらなんでも今のやりとりはおかしい。親密になる過程というか、初対面なのにどうしてここまで展開がぶっとぶのか、そもそもの前提として殺すだのなんだの言い合ってたくせにどうしてここまで和気藹々としているのか。


 三太はしまったと後悔した。が、後の祭りだ。


 二人の視線が三太へ向く。これが辛い。文七にすればうまい具合に話が進んでいたのに茶々を入れられ、少女にしてみれば誰こいつ? な状態。あまりに空気が読めていない。


 学生時代の悪夢が脳裏をよぎる。く、こういう時は三喜夫あたりが適当な笑いに変えてくれたのに。三太は今さらながら友人たちの有り難みを感じていた。


 そんな三太の心配を他所に、

 

「ところで、お兄さんはどこのどちら様?」


 なぜか、少女は繰り返し名前を聞いてきた。


 空気が変わる。空白になりそうだったが雰囲気が一変したことで三太は安堵した。場が白けることほど恐ろしいことはない。気遣いかどうなのかはわからなかったがとにかくこの流れに乗るのが大事だ。

 

 三太はその流れのままに名乗ろうとして──

 

「僕は、月夜──」


 ──心臓を握りつぶされた。

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