第9話 はじめてのただいま
「さて、行くぞ」
結局、文七は依頼を受けることにした。
三太としては不可解な部分が多く、かと言って改めて反抗できる立場にもなかった。そもそも、初めて付いて来ただけの新米助手があれだけしゃしゃり出る方がどうかしている。
会館を出てからそんな事実に気づき、三太はなんとなく気まずい気分で文七の後ろを付いていく。
「あの」
「なんだい?」
三太自身聞き取れないほどか細い声だったように思えたが、文七は聞き逃さなかった。足を止め、三太を真っ直ぐ見上げてくる。普段ならこんな風に真っ直ぐ見つめられると緊張してしまうのに、何故か文七相手だとそいうことがない。それが不思議だった。
やはり、見た目が猫だからだろうか。
「その、どうして受けたんですか?」
「? なんでえ、改めて。一緒に聞いてたじゃねえか」
それはその通り。
三太は自分の質問自体間違っていることに気づいた。なんというか、頬が熱くなる。いつもそうなのだ。どうにも口下手で、頭の悪さが出てしまう。
「いや、あの、そうじゃなくてですね。なんというか、その」
「落ち着け。別に怒ったわけじゃねえよ。思ったことをそのまま聞いていいんだ。聞かねえ方が間違ってるからな」
文七は欠伸を交えてそう言った。普通ならバカにされてる気がするかもしれないが猫である。いや、猫っぽい何かである。三太はその愛くるしさに緊張している自分自身が馬鹿らしいと思うようになった。
「あ、はい。あの、今回の件は文七さんの本来の仕事とは別ですよね。あの、通報するっていう」
「いや、そうでもねえ。あいつらには釘を刺したくてああは言ったが、一応おれの仕事の範疇ではあるんだ」
「立ち退きがですか?」
「その手前って言った方がいいかな。ようは調査だよ。本当に立ち退きさせていいのか。強制執行に移っていいのかってのを調べるわけだ」
「はあ」
「強制執行ってのは役場が条例や法に基づいてやるもんだが、その要件ってのが今回の件だと複雑だってことさ。なにせこの国どころかこの世界とは別の世界の住人がやらかしたことだから。そういう場合にはおれみたいな奴が必要になるってことだ」
ようは、その要件とやらが役場や組合では満たせないということだろうか。
三太にはどうにも理屈がわからなかった。
「それなら、警察とかそういうところに話を持っていくべきなんじゃ」
「あいつらは民事不介入とかぬかして面倒ごとは避けたがるからな。こういう場合に動くことはねえ」
そういうもんなんだろうか。
三太は文七の言葉を聞きながら、どうにも腑に落ちない気分だった。それを感じ取ったのか文七は目を眇め、
「聞きたいことは聞けって言ったろ? 他にもあるんじゃねえのか?」
と言った。
やはり文七には見透かされると三太は思った。不思議な猫である。なので、単刀直入に聞くことにした。
「あの、百年前の事件のことをどうして知ってるのかなって。もしかして、文七さんが受けたのは百年前っていうのが理由なのかなって思ったんです」
「ふむ」
文七は三太から目線を逸らした。
腕を組み、天を仰いでいる。それがなにかを思い悩む仕草だということは三太の目から見ても明らかだった。
ただ、すぐにそんな仕草もやめてしまった。文七は深く息を吐き、三太を見つめた。
「お前さん、勘がいいね。おれもいい拾いもんをしたかもしれねえな」
「そうだ。おれは百年前に起きたある出来事について調べてる。この事件はどうにもそれと関係ありそうなんで、この依頼を受けることにしたんだ。あいつらもそれがわかってるから、おれにこんな面倒ごとを押し付けて来たってわけだ。断れねえってわかってるからな」
✳︎
「おかえりなさい」
文七と一緒に屋敷に戻ると瀬菜が出迎えてくれた。
ただ出かける時とは格好が違っている。部屋着のような薄い着物ではなく、何故か割烹着をしっかり着こなしている。しかも、玄関口からでもわかるほどおいしそうな香りが漂ってきたのを三太は感じ取った。
「おいおい、どうした? 随分と珍しいじゃねえか」
「そんなことないと思いますけど? お仕事頑張って来たみたいですし、これくらいはしますよ」
文七は心底驚いたという表情をし、瀬菜はしれっとそんなことを言う。
三太はそのやりとりが何故か微笑ましく思え、それ以上に漂う香りに期待がふらんでいた。たぶんカレーだろう。学食でよく食べていたのでよくわかる。
「こら」
「あだっ」
三太は玄関に入ろうとして、何故か瀬菜に頭を叩かれた。叩かれたといっても痛みはなく、三太の反応もあくまで反射的なものだ。三太が瀬菜に視線を向けると、何故か瀬菜の方が非難するような目をしていた。
「お・か・え・り」
「え?」
思わず三太は聞き返してしまった。
どうやら瀬菜は三太にも挨拶をしてくれたらしい。瀬菜はジト目のまま三太を睨む。
それがどう言う意味なのか、いくら三太でもわかった。
「た、ただいま」
「よし。んじゃ、ささっと手を洗って来なさい。ちょうど出来たとこだから」
瀬菜は三太に満面の笑みを見せ、そのまま中に入っていった。文七もその後に続く。三太は少しだけ二人の背中を見つめてから、中に入った。
これが、三太が勘当された初日の出来事である。
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