第7話 不快な男

「あ、文七さん! おはようございます!」


 坂井文七。

 

 それが猫っぽい何かの名前だった。役場で聞いてはいたが、どうにも名前と姿が一致しないと三太は思っている。今もちょこちょこと後ろ足で歩く姿は愛らしすぎて、思わず頭を撫でたくなってしまった。


 そんな三太の葛藤に気づかない文七はちょこちょことした足取りで呼びかけてきた女性に向かっていく。女性の方も後方にある作業机から立ち上がり、受付台の方へと向かって来た。弾むような足取りに三太は思わず立ち止まってしまった。


 弾んでいる。実に素晴らしいと三太は思わず称賛したくなった。いや、ナニが弾んでいるのかは三太は決して意識しないようにしている。しているが、実に素晴らしいと三太はただただ感謝したくなった。


 三太が文七に連れてこられたのは商組合館しょうくみあいかんと呼ばれる建物だった。正直、三太にはまるで馴染みのない場所だった。文七が言うには商いを職業として行う者たちの団体だとか。全国に支部があり、それぞれの地域の経営者や後継者が会員となっているらしい。


 文七の仕事においては太客であり、粗相のないようにと三太は言い含められた。


「今日はどうなさったんですか? まだ定例日ではないと思いますが」


「挨拶回りだよ。ようやくおれにも助手が出来てね」


「助手ですかっ? そちらの方が?」


「そうだ。おい、挨拶しな」



「あ、はい。えっと、月夜野三太つきのよさんたと言います。よろしくお願いします」


 

「はい、よろしくお願いしますね。私は舟形光子ふながたひかること申します。文七さんの担当となってますので今後ともよろしくお願いしますね」

 

 にっこりとした笑顔に三太は笑みを返した。美人というわけではないが、醜女では決してない。何より雰囲気が柔らかく、年上の余裕もあって正直癒される。おそらくは相当気持ち悪い笑顔をしているんだろうなと三太は自分自身を正確に分析した。

 

 挨拶自体は問題なく済んだのだろう。文七は三太に対して何か言うでもなく、光子に対して本題に入った。


「それで? 何かしら依頼は来てるかい?」


「ええ、もちろん。正直、こちらから連絡を入れようかと思っていたくらいでした。どうぞ、こちらでお待ちください」


 光子は奥にある一室を指した。応接間は職員が作業する区画の手前にあり、受付台から中の様子が見て取れる。三太は内装を見て驚いた。明らかに高級そうな調度品が並び、皮張りのソファが置いてあった。あんな場所に案内されるなんてことは、三太の人生の中で一度もない。確かに文七の屋敷も素晴らしかったが、それとはまるで方向性が違うのだ。所謂、大人の空間である。

 

 そこまで観察して、室内に先客がいることに三太は気づいた。ちょうど会談が終わったのか、ソファから立ち上がり恰幅のいい男が出て来た。おそらくは上役の人なのだろう。貫禄があり、笑顔にも包容力に近い何かがある。それを向けられている訪問客は女性、というか少女だった。


 というか、三太の知り合いだった。


「あ」


 思わず、三太は声を発していた。

 

 しかも、相当大きな声だったようだ。


 文七や光子の目が三太の方に向いている。というか、職員を含めた周囲の視線がほぼ集まっているのがわかる。つまり、


「……どうして、あなたがここに」


 訪問客である少女も、三太を見つめていたのだ。


 彼女は橘天たちばなそら。瀬菜や三喜夫たちと同じ元学友であり、三太の家の女中である。


                    ✳︎

 

「いや、まさか月夜野家の方が直接いらっしゃるとは思わず。何か粗相はありませんでしたかな?」


 満面の笑みを浮かべながら、男は冗談とも本気とも取れるような言葉を投げかけて来た。


 応接室でのことだ。室内には三太と文七、そして何故か先ほどまで天と面談していた男の三人がいる。

 

 男の名前は鏑木亮平。この商組合の理事を務めていると三太達に名乗った。


 光子さんはお茶を出すとそのまま外へ出てしまった。三太としては怒涛の展開すぎてついていけない。自分に話を振っているのはわかったが、答えていいのかもよくわからない緊張状態に陥っていた。しかも、亮平の目はどこか三太を試すように見ている。それがとてつもない重圧になり、三太はますます萎縮してしまった。


 ちなみに天はいない。

 

 三太と言葉を交わすこともなく帰ったのだ。というか、交わす必要もないということだろう。三太自身、彼女と話すことなどないのだから。


「えっと、あの、その」


「こいつは今日付でおれの助手になったんだよ。その挨拶だから、お前さんが出てくる必要はないと思うんだが」

 

 三太がもごもごとしていると文七が助け舟を出してくれた。


 が、


「おいおい、そういうわけにもいかんだろ。月夜野家を蔑ろになど出来るはずがないじゃないか。しかも、嫡男様ときてる。どうしてお前なんかの助手になってるんだ?」


 三太はかちんときた。

 

 この男の物言いが明らかに文七に対して悪意があるからだ。というか、嫡男様という言葉がさらに頭にきた。この男は三太を完全に舐めきっている。


「そんなことをお前さんに話すつもりはないね。おれは依頼があるかと思って来ただけだ。お前さんの悪巧みに乗るつもりもないし、暇でもないんだが」


「相変わらず冷たい奴だ。ま、俺も暇ではないな。依頼については、今、舟形が持ってくる」


 そう言いながら、亮平は席を立つつもりはないようだ。というか会話の間も、明らかに三太の方を見ていることに三太自身気づいている。三太は気分が重くなったが、それ以上に文七に迷惑がかかっていることが嫌になってきた。

 

 だから、


「すいませんけど、おれは勘当された身です。あまり月夜野の名前は出してほしくないのですが」


 単刀直入にいうことにした。


 亮平は一瞬目を見開いたが、


「もちろん知っていますよ。ですが、あなたの腰にある刀は飾りじゃないでしょう? だったら、私が関わらせていただくのも当然ではないですか?」


 そんなよくわからないことを言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る