第5話 距離感がバグっている件


 瀬菜が去った後、屋敷に上がるとそのまま部屋に案内された。


「ここがおめえの部屋だ。ちなみに隣はおれの部屋だからなんか困ったことがあったら来な」


「いやいやいやいや、ちょっと待ってくださいよ! なんでいきなり部屋を案内されるんですか!」


 ごく自然に部屋が宛てがわれたことに、三太は流石に待ったを掛けた。

 

 しかも家主の隣とか流石に辛すぎる。生活全てを監視されてる状況を受け入れるほどまでは三太もこの猫っぽい何かを信用しているわけでもない。というか、下働きにでもしてくれると思っていたが住居まで世話になるとは思っていなかった。


「なんでい。おれの隣は嫌だってか。ああ、セナの隣がいいってかい?」


「いや、それは違いますっ! そうじゃなくて」


「どうせ、お前さん住むとこもねえんだろ? うちで働くってのにそこらで浮浪者みたいになられても困るんだよ」


 荷物を運び込む時は手伝うからよ、と猫っぽい何かは言った。正直、三太としては何も反論することが出来なかった。いくらなんでも至れり尽くせりだ。親切にしてもらっているのはわかるが、これで怪しさを感じない方がおかしい。なんなら、このまま逃げ出したとしても誰も三太を責めないだろう。


 けれど、それをするわけにはいかなかった。


「わかりました。あの、ありがとうございます」


「おう。ま、詳しいことは茶でも飲みながら話そうや。ああ、それと」


「え、ちょっ……?」



「セナには手ぇ出すなよ。妙なことしたら、許さねえからな」



 突然飛びつかれ、胸元を掴まれた。眼前にある猫の顔には愛嬌よりも野生の肉食獣の迫力が漲っている。


 そんな邪なことは考えていないと否定したかったが、さっきの場面が三太の脳裏に浮かぶ。実際、なんであんなことを言ったのか三太自身まるでわからなかった。ただ、実際に彼女を見てそう思ったのだ。


 だから、


「あの」


「あん?」


「なんで、彼女燃えてるんですか?」


 三太は確信を得るための行動に出ることにした。


 いや、実際、あんな風に同級生が変わっていれば聞かずにはいられないだろう。人間が燃えるなんてことは三太自身理解しているが、いくらなんでもあの姿は常軌を逸している。何かがあったのは間違いないだろうが、その何かを三太は知りたいと思った。


「──それについてはおいおい話す。とりあえず荷物を置いてこい」


 猫っぽい何かはそう言って、三太から離れた。三太は言われた通りにちょっとした私物を置いて、部屋を出る。室内には必要最低限の家具が置かれており、柔らかそうな布団も押し入れの中にあった。無自覚に探索を始めている自分に驚いた後、三太は部屋を出た。


 猫っぽい何かは三太に言葉も掛けずに足を進める。その背中を追いながら、三太はそもそも名前を聞いてなかったことを思い出した。


 まぁ、それもこれから教えてくれるのだろうと三太は後をついていく。



                 ✳︎


 三太が案内された居間には立派な囲炉裏があった。最近では珍しい造りである。


 三太の家も今時珍しい造りをしていたが、それ以上に古めかしい。なのに、手入れや掃除が徹底的にしているのか妙に品がよく感じる。こういうのを格式が高いというのだろうかと三太は感心した。置かれた調度品も明らかに高価な代物だろう。手渡された湯呑みすらどこそこ由来の茶器だとか言われそうだ、と三太は少し居心地が悪くなった。


 湯呑みに口をつけつつ、茶を飲む。味はよくわからない。熱さもちょうど良いというか、なんというか。出された茶菓子も例によってどこぞの老舗菓子屋から取り寄せたような代物で、手をつけようとも思わなかった。というか、どう食べればいいのかもわからない。あれか、この楊枝で刺せば良いんだろうか、と三太は思った。


「あの」


「なによ? 甘いもの苦手なの?」


 三太の言葉に対して、何故か瀬菜が反応した。

 

 三太としては猫っぽい何かに話しかけたつもりだったので、予想外の対応に視線を向けることしか出来なかった。瀬菜の方はと言えば、すこし不機嫌そうに眉根を寄せている。……相変わらず、その双眸と頭髪が赤く輝いているのだが、不思議と気にならなくなってきた。確かに眩しいのだが、太陽を見るのとは違う柔らかい光というかなんというか。


「いや、そういうわけじゃ、ないけど」


「ふん、相変わらずはっきりしないわね。京じゃないんだから、出されたものはきちんと食べなさいよ」


 そう言って瀬菜は楊枝を使って、菓子を平らげていく。切り分け方が慣れていて、どう食べれば良いのかよくわかった。


 けれど、問題はそこじゃない。そこじゃないのだ。


「あの」


「なんだ」


 猫っぽいなにかはお茶にも手をつけず、三太をジト目で睨んでいる。自分で茶を飲めと言っておきながら、そんなことよりも気になることがあるとでも言わんばかりの態度。けれど、その理由は三太自身も納得のいくものだった。というか、現在進行形でその理由が深刻さを増しているのだ。

 三太は緊張で硬直する舌を濡らしてから、聞いた。


「なんで、抱きつかれてるんですかね?」


「本人に聞け」


 左腕に柔らかい感触。三太は視線を猫っぽい何かで固定することで、それが何かに気づかないふりをしている。さっきは不覚にも瀬菜を見てしまったが、眩い輝きのおかげで詳しいことはわからなかった。……いや、見えなくても感触があるからある程度想像はついているのだが。

 

 そもそも、同年代の女子に抱き付かれるなんて初めてのことすぎてどうすばいいのかわからない。それが、三太が緊張している理由であり、猫っぽいなにかが明らかに不信感増し増しで睨みつけている理由だった。

 三太の言葉は聞こえているはずなのに瀬菜は特に反応なし。しばらく猫っぽい何かと見つめ合っていたが、猫っぽいなにかが顎で瀬菜を示した。三太自身どうなってるのか訳がわからなかったので、


「あの、瀬菜さん? なんで抱きついてるんですか?」


「いいでしょ、別に。ああ、食べにくかった? なら、ほら」

 

 瀬菜は悪びれる様子もない。というか、指摘してからむしろ密着感が増し増しで、猫っぽい何かの視線も険しさが倍増し、三太も自分でわかるくらい全身熱くなっているのを感じた。というか、汗だくである。

 その上、


「あーん」


 これである。

 

 何をしていたのかと思えば、三太の分の茶菓子まで器用に切り分け、三太に食べさせようとして来たのだ。猫っぽいなにかの視線に殺意が混じる。三太は照れとわけのわからなさにますます困惑するしかなかった。


 いや、ていうか、本当になんだこれ。


「ちょ、ちょっと待った!」

  

「なによ。やっぱり甘いのダメなんじゃない」


「違うよ! いや、確かにこういう甘さっていうか、慣れてないっていうか……とにかく離れてよっ! 全然話せないじゃないか!」


「いーやーでーすー。いいから、このまま話しなさい。ね、いいでしょ先生」

 

 三太が本気で引き剥がそうとしてもまるでビクともしない。流石にこれはおかしすぎる。三太自身その異常性に気づいていたが、それ以上に照れ臭さが上回って必死に足掻くしかなかった。

 猫っぽいなにかはそんなじゃれ合いみたいないちゃつきみたいな馴れ合いに殺気を向けつつ、深くため息をはいた。


「わかった。もうそのままでいい。三太、まずはお前さんの話をしよう」


「は、はい!」


 猫っぽい何かは居住まいを正し、三太を見つめている。ジト目の時とはまた違う迫力に、三太は背筋を伸ばした。


「さっきも言ったが、お前さんにはここに住んでもらう。その上で、色々と働いてもらいたい」


「はい。えっと、具体的にはなにを?」


「まずは飯に掃除に洗濯、買い物かね。あとは、そうだな。おれの手伝いをやってもらうか」



「──世直しってやつさ」

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