第3話 猫に拾われた 弍

 黒船襲来より幾年月。

 

 幕府の開国により様々な異文化が国内を席巻する中、更なる異分子が世界中に発生した。


 それが異国にてダンジョンと呼ばれる異界。


 そこに生きる生物はこちらの世界の常識を超えた怪物であり、そこにある環境はこちらの世界とは比べものにならないほど過酷だという。三太自身も書物かなにかで読んだ程度の知識しかもたないが、目の前の何・か・を見て思い浮かんだのはそれだった。


 曰く、怪物の中には言語を理解するものも存在すると言う。総じて、そういった怪物は人知が及ばぬほどの高位に座する存在だとも。故に、恐ろしいとも。


 けれど、


「ほぉ。面構えは悪くねえ、しかし、ちいと若えな。なんだ、お前学生か?」


 目の前のもふもふが、そんな存在とは欠片も思えなかった。


 いや、ほんと、なんだこれ。


 猫の愛らしさとどこぞの親分のような威厳が絶妙な塩梅で見て取れる。二足歩行をしている時点でおかしいはずなのに、和服を着こなしている様のなんと愛らしいことか。思わず頭を撫でたくなったが、どうしてかそれをしてはいけない気がした。


「おう。いつまで惚けてんだい?」


「え、あ、いやその、はい、すいません」


 三太はとりあえず返事だけはした。


 それが気に入らないのか、猫っぽいななにかは渋い顔をしてキセルを吹かす。ここは確か禁煙だったはず、いや、そもそもその肉球でどうやって持ってんだよとか余計な思考が三太の脳内を満たしていく。


 と。

 

「文七さんっ! お世話様ですっ! どうぞ、こちらへ! 今日はどうされたんですかっ!」


 三喜夫が三太と猫っぽい何かの間に割って入って来た。


 三太を押しのけるように猫っぽい何かに挨拶し、そのまま奥の方へ案内しようとしている。


 その態度に三太はまた驚いた。どうやら役場にとっての上客らしい。猫っぽいなにかと役場の共通点がまるで見出せなかったが、そんな疑問を抱くこと自体が間違いだと三太は理解した。いきなりぶん殴られたのは納得はいかないが、痛みはないし、そこまで気にすることじゃない。なにより、このタイミングで社会的地位がある人物と会うのは避けたかった。

 

 これからやるべきことを考えれば、少しでも目立たない方がいい。とにかく空気のように場を乱さず、この場を離れよう。


 目標は都会へ向かうこと。時間をかければかけるほど粗が出る。とにかく、無賃乗車で飛び乗ってからそのまま逃げ切ればいい。道中、何かしからの邪魔が入るならば、その時は


「だから、そんな目ぇ、すんなって」


 衝撃。


 今度は見えた。


 蹴りだ。ふわふわのもこもこな足で頬を蹴られたのだ。


 不思議なことに痛みはない。けれど衝撃は大きく、踏ん張ろうとしたが、また尻餅をついてしまった。


 そこで、三太は気づいた。


 この猫っぽいなにかは、どうやってるのか知らないが、三太の心を読んでいる。邪念というか、おそらくは悪感情の類を三太が考えた時点で攻撃しているのだ。


 本当にどうやってかは知らないが。というか、本当にそんなことが出来るのか、未だに信じられなかった。


「そうそう。折角男前なんだから、くだらねえことを考えんじゃねえよ。腰についてるそれは飾りもんかい?」


 三太はまた立ち上がろうとしたが、立てなかった。


 何故か足に力が入らない。指摘されたせいかもしれないが、知らず腰に手を回していた。柄を握る感触が妙に生々しい。普段のそれとはまるで違う感触が、三太の思考を落ち着かせてくれた。周囲の視線や雰囲気までも感じ取れるようになった。


 つまり、三太が刀を抜くか抜かないかを固唾を呑んで見守っているのだ。


 猫っぽいなにかは面白そうに目を眇めている。


 三太は思った。


「……馬鹿みたいだ」


「ほう?」


 柄から手を離し、三太は立ち上がった。さっきまではうまく立つことができなかったはずなのに、今は何事もなく立つことができる。それと同時に周囲の空気まで弛緩していく。本当に阿呆くせえ。三太は自分自身が心底白けているのを自覚した。

 

 元々、こういう場面が嫌いだった。何かにムキになろうとするとすぐにこうなる。腰にこんなもんをぶら下げてるんだから仕方ないのかもしれないが、これを捨てること自体が何かに負ける気がして差している。まぁ、もはや三太自身が刀を差す義務なんてなくなったのだが。


 とにかく、今はここから離れた方がいい。三太は猫っぽい何かを無視して、今度こそ外に向かう。

 

 そもそも、職がないなら他の生きる手段を探すしかないし、阿呆なことを考えたらまた蹴られるだけだ。まずは同級生か恩師に頼るのはどうだろう。三喜夫は公職についている高給取りだから、誰も助けになってくれなかったら、で転がり込めばいい。最悪、親類か女中に頼るのもいいか。土下座の一つでもすれば、一晩くらいは泊めてくれないだろうか。


「待ちな、あんちゃん」


 と。

 

 何故か、猫っぽい何かにまた引き止められた。腰帯を掴まれたのだが肉球でどうって掴んでいるのんだろうと真っ先に疑問が浮かんでしまった。というか、いつ間合いを詰められたかまるでわからなかった。


「えっと、まだ、なにかあるんですか?」


「行くとこねえならウチに来な」


「……はい?」

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