第2話 猫っぽいなにかに出会った
「勘当されたっ? お前っ、え、マジで言ってんのかよッ?」
馬鹿でかい声が役場の構内に響く。
普段は机の上に固定されているだけの視線が一斉にこちらを見ているのを感じた。無関心を装う気遣いも出来ない連中に一言言ってやりたい気分になったが、そんなことが出来るはずもない。
大声で叫ぶこと自体が恥ずかしいし、そもそも、相談しに来ているのはこっちの方なのだから。
「声、大きいよ」
ぼそりと。
そんな情けない声を絞り出すことしかできなかった。
「あっと、悪い。いや、でもマジなのか?」
三太の対面に座る職員が大仰に身を乗り出して聞いてくる。声もさっきとは比べものにならないくらい小さなもので、いくらなんでもわざとらしすぎた。それを指摘したくはなったが、昔からこんな奴だったと三太は諦めることにした。
三太にとっては学生時代からの友人であり、今でも交流のある貴重な人間である。
「ああ。さっきそう言われたよ。もう帰ってくるなってさ」
「いや、お前、でも長男だろ? そんなあっさり」
「あいつにとっては、僕なんてどうでもいい人間だったってことだろうね。まぁ、わかってたけど」
三喜夫はそこで言葉を失ったようだった。
三喜夫自身もわかっているんだろう。三太の父親はそういうことを言う人間だったし、実際に三太自身を不要と考えているような行動をする親だった。むしろ、どうでもいいと考えていたのではないかと三太は思っている。
まぁ、碌に言葉も交わしたことのない仲だ。何か用事がある場合も女中を通してしか意思疎通を図ったことはない。物心つく前からそうだったのだから、もうどうしようもない。もしかすると三太が生まれてすぐに母が亡くなったことも関係しているのかもしれないが、今更掘り返す気にもならない。
とにもかくにも、そんな次第で、三太は三喜夫の世話になりにきたのだった。
「あいつの話はもういいでしょ」
「あ、ああ。悪かった」
まだ動揺している三喜夫を三太は無視し、
「職を紹介してほしい。正直無一文なんだ」
そう、単刀直入に切り出した。
✳︎
食うためには仕事をしなければならない。
それはどんな時代であっても当たり前のことだ。貯えがあろうともそれは大抵が有限で、死ぬまで保つなんてのは一握りの人間にしか持っていない。ましてや勘当された人間にそんなものあるわけもなく、三太は生きるための手段を探しに来たのである。
三喜夫が務める役場は村民が暮らす上で必要な社会的な保障を得るための手続きをする場所であり、同時に村民が生きるために必要な手段を提供する場所でもあった。
つまり、職の斡旋を行っているのである。
なのに、
「いや、無理だろ」
速攻で否定された。
「なんでだよっ!」
「だから無理だって。わかってんだろ?」
三太のつっこみに対して三喜夫は困った顔をしたまま再度否定した。三太はそれに対して反発しようかとも思ったが、三喜夫の反応を見て無駄だと悟る。実際、三太もわかっていたからだ。
「僕が長男だから?」
「そうだ。ここは家業を継げない次男坊
次男坊以下。
差別的な言葉だが、これほど今の社会を端的に現した言葉もない。長男は家業を継ぎ、次男坊以下は職を探す。実際、三太や三喜夫自身が社会に出る時に乗り越えた壁でもある。
三太は家業以外を選べず、三喜夫には自身の寄る辺となるものがなかった。
まぁ、結局、三太はそこからも追い出されてしまったわけだから。
「なぁ、なにがあったかわからんが、親父さんに謝った方が早いと思うぞ」
「いやだよ。なにが悪かったかもわからないんだから」
「いや、そんなことはない、とは言えねえか。あー、うん。なんだ。確かにあの人なら」
「どうせ愛人と上手くいってないからとか賭場で負けたとかの理由じゃない? いいきっかけになったとか」
「自分の親父をこき下ろすなよ」
身内だからこそ言えることもある。いや、もう身内じゃなかったと三太は思った。
「とにかく、悪いけどお前に紹介できるとこはねえんだ」
「──そっか。なら仕方ないか」
「そりゃ、お前の気持ちもわかる! わかるが、やっぱり、親父さんにあやま…ん?」
「邪魔したね」
「いや、え、ちょ……おい、待てよっ! お前、いくらなんでもあっさりすぎだろっ!」
三喜夫の呼びかけを無視し、三太は席を立って出口へと向かう。
正直行き先もなかったが、ここにいてもなんの意味もない。せめてもの望みで職を探したかったが、それも叶わないとわかった。そうなるとわかってはいた。かといって日雇いの仕事なんてのはこんな寂れた村では望めないし、となれば都会にでもいくしかない。けれど、列車に乗ろうにも金もない。どころか、飯を食う金もないのだ。
誰かに借りるという選択肢はない。正直返すあてもない金を友人や知り合いに借りるなんてのは屑がやることだ。
なら、どうするか。
いっそ、無賃乗車をやるか。飯は適当な店で食い逃げするか適当な店で盗めばいいか。流石に強盗をやらかすのは官憲に目をつけられそうだから、あまり騒ぎが大きくならない方法がいい。空き巣をするにも敷地が広過ぎて見つかれば逃げるのが難しい。同じ理由でスリもできない。小説の類でやる悪事は、それこそ都会でしかやることもできないような方法なのだ。いや、だったら、その練習を地元でやるのも悪くないか。都会に行く算段をつけて、ここで小銭を稼いで高飛びする。案外悪くないかもしれない。
そこまで考えて、三太は笑いそうになった。やはり、あれだ。社会的な立場を奪われ、追い込まれると容易く犯罪に走る人間の気持ちがよくわかる。けれど、そうするしか道がないのだからそうするしかない。
新聞を賑わすような大犯罪者になれる気は毛頭しないが、それでも生きるためにはなんでもやるしかない。
結局、最後に頼れるのは自分しかいないんだから。
「おう、そこの若いの」
不意に声をかけられた。
「はい? なんです——」
視線を向けても誰もいない。というか、他に役場へ用向きに来ていた人間はいなかったはずだ。不可解過ぎて、一瞬呆けてしまったが、
「嫌な目じゃ。歯を食いしばれ」
衝撃。
気づいた時には床に尻餅をついていた。
殴られた。しかも、見えなかった。
その事実に気づいたと同時に、頭がかーっと熱くなる。無様すぎる格好にも、殴られたことに気づかなかった自分にも腹が立ったのだ。
「いきなりなにするん——っ?」
勢いをつけて立ち上がり、殴りやがった奴を睨みつけようとして──またも思考が停止した。
「おう、少しは目が覚めたか。結構結構。若えのはそうじゃねえとな」
からからと笑う。
不思議と不快に感じなかった。というか、なんというか、そういう話じゃなかった。
——猫だ。
正確に言えば猫っぽい何かである。
身の丈は三太の腰ほど。貫禄がある体つきともふもふが共存している。器用に煙管を肉球で挟み、美味そうに吸う姿が妙に様になっていた。けれどもふもふなのだ。しかも、二足で立っていて、姿勢が妙に良い。だけれども、もふもふなのだ。
毛並みが良く、大きな眼と大きな耳が妙に愛くるしい。
しかも、しゃべる。
目の前にいる猫っぽい何かに思考を奪われ、三太は自分が夢を見ているのではないかと頭を抱えたくなった。
いや、なんだこれ。
そう呟いても現実は変わらず、猫っぽい何かは愛くるしい瞳を細めながら三太を面白そうに眺めている。
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