第32話 裏切り者

 裏切り者。

 明確な敵意を持った言葉だったが言われたおれはただ困惑するしかなかった。いや、もちろんおれに対して言った言葉じゃないってのは流石に理解している。しているが、この場面でそんな言葉が出るのは予想外だった。


 いや、ここ迷宮だよな? なんで魔獣がいないんだ?

 

 いくつか疑問は浮かんだがそれと同時に疑問が解けたものある。

 

 アスラがこの場所に連れてこられた原因は目の前のやつにあるわけだ。


「なんとか言ったらどうだっ!」


 怒声どせい響くひびく

 

 おれたちが何の反応も見せないことが気に食わないらしい。いや、そう言われてもなんで裏切り者呼ばわりされているかもわからないのにどう反応すればいいってんだ。

 そもそも、主語が抜けた会話ってのがいただけない。

 誰が裏切り者なのかちゃんと言わなければ伝わらないじゃないか。


っ!」


 え。

 さすがに予想外すぎておれは長老を凝視してしまった。

 表情に変化はなく、男の怒鳴り声にもまるで動じていない。動じていないが、だからこそ不自然さがあるようにも思えた。


 というか、あいつ村のやつらか。

 

 あれだけ大人たちがいる場所でどうやってアスラを攫ったのか疑問だったが、なるほど、身内であるなら可能だったわけだ。 

 もしかすると、というか、おそらくおれの顔見知りでもある。


「はいはい。そういうのいいですから。そもそも関係のない村の子供を攫った時点であなたの方が悪者ですからね? 守るべき最低限のルールってわかります?」

 

 伊藤咲奈の急な正論に対して反感を覚えたのはおれだけじゃないはずだ。

 護衛の戦士候補生たちも声を出すことはしなかったが、明らかに呆れた表情を浮かべている。


「貴様が言うなっ! そもそも、貴様が原因ではないかっ!」

 

 何故かおれたちの心境を代弁する誘拐犯。

 仮面で表情は見えないが声から相当ブチギレているのがわかる。


「貴様が、貴様ら大和がいるせいで長老は狂った! 戦士どももだっ! 何のための我らが霞を食ったと思っている! 数世紀、数世代に渡っての冷遇っ! その解放にどれだけの血が流れ、どれだけの屈辱と恥辱を味わったかっ!」


 叫ぶ叫ぶ。

 最後の方は絶叫そのものでかろうじて聞き取れたくらいだ。言っていることもよくわからない。気が触れたとしか思えない様子だったが、何故か空気が異常に重くなっていることだけはわかった。

 戦士候補生達が、何故かおれを隠すように位置どりを変えた。

 その不自然さに視線を向けても、何故か誰も目を合わせない。

 

「なーるほど。そっちですか」


 伊藤咲奈は満面の笑みを浮かべている。

 一度だけおれを見て、一歩進み出た。


「あなた、人間排斥派ですね?」


「当たり前だっ!」



「貴様らは敗北したっ! いつまでのうのうと生きているつもりだっ!」

  

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