第2話 風と共に

「はぁはぁ……っ」

「もう、少し……っだから!あと、少しで……っ」


 深い森の中、青年の荒らしい吐息と少女の苦心の足掻きがぬかるんだ地面を蹴る。

 青年の胸元から雨と一緒に流れ出す血液の赤は濁り、少女の肩には矢が突き刺さったような傷から同じ色のものを大地に流していた。


「どこだぁ!どこに行きやがったァ!」

「二手に分かれるぞ!見つけ次第、殺せぇえええ‼」

「「オォオオオオオオオオオオーー‼」」


 背後、森に反響する野太い男女の殺意の怒声。得物を群れで追い詰め囲い込む狼が如く、野獣のような彼らから少年と少女は逃げていた。


「だ、いじょうぶ!私があなたを守るよっ……!」


 そう微笑んだ少女に、自分よりも幼いそのに青年は――





「へぇー王位継承があるのですか」


 河を優雅に泳ぐ龍のような銀色の長い髪に薄暮に浮かぶ月のような瑠璃色の瞳。見目麗しい齢十代半ばの少女は遅い朝食に立ち寄った食事処で店員の女性からこの国の情勢を聞いていた。


「そうなんですよ。第一王子のクレリヒト様と第二王子のノクト様のどちらかが今週末、明々後日に王位継承権を授与され、王位継承されるんです。貴族の方々は階級社会を重んじる第一王子クレリヒト様を主張していて、わたしたち民衆に目を向けてくださっている第二王子ノクト様は階級社会に反対の人たちで押してるって感じかな?実際、ノクト様って無口で無表情だからよくわかんない人なんだけど、横暴で傲慢なクレリヒト様よりはまだマシかなって」


 お客が少女しかおらず暇なことをいいことに、食事をする少女の対角に座り込み口も止めず話し出した。

 なんだかややこしそうだなーという印象しかもたない少女はスープを飲み切る。


「なにサボってんだい!」

「わぁあああ!い、今仕事しまーすぅ!」


 店長に怒られて店員女性が飛び上がったと同時に少女も完食して手を合わせた。


「ごちそうさまでした」

「うん、ありがとう。そう言えば、旅人さん、あなたは何しに来たの?」


 少女はバックパックを背負いながら、微笑んだ。

 まるで楽しみがそこにあるかのように。


「恋を探して旅してます!」


 少女の名前はルナ。

 物語のような恋を探し旅をする変わり者だ。




 それから二日間、ぶらぶらと国を見て回っていたがどこでも王位継承の話題で持ちっきりだ。

 曰く、第一王子が優勢だの。曰く、ノクト様は王家の地下室に監禁されてるだの。曰く、クレリヒト様はお金で貴族を盾に買ったなど。八割ほどが第一王子の悪口で、残りが不甲斐ない第二王子への愚痴だった。


「みんな暇なのかな?」


 王家のなんたらに興味の欠片もないルナは賑わう中央通りから逸れ、細い隘路へと入っていく。


「本だと、こういう細い道の先に物語が私を待ち受けているはず!」


 物語に憧れる少女はわくわくと見知らぬ隘路を突き進む。右へ左へ土地勘の欠片もないルナは正真正銘迷子の身。だけど、高揚する心臓に恐れはなかった。


「この道の先にきっと王子様が――」


 光り刺す道の出口へとルナは踏み込み――突如現れた黒い影にぶつかってしまった。


「ぁっ、きゃぁっ!」

「なっ――⁉」


 ドサンっ。


「いった、たた……」


 ぶつかった黒い影の方へと倒れてしまったルナは打ち付けた鼻をさすりながら身体を起こす。そこでぶっきらぼうな声が響いた。


「どいてくれないか?」


 よく見るとルナが黒い影――ではなく男の人の上に馬乗りになっていた。


「わぁああ!ご、ごめんなさい!」


 大急ぎで立ち上がる。男性の馬乗りして、ルナは少し恥ずかしかった。


「別に……俺の不注意だったし、こんなとこに人が来るなんて思ってなかった」

「あはは……私旅人なんです。それで、こう歩き回ってたらここに出たって感じです」


 苦笑するルナに男は怪訝な眼差しを向けながら立ち上がり砂埃を払う。

 よく見ればその男性はよく整った顔をしていた。端整な顔形は鋭い瞳と合わせてクールな美青年。ルナよりも二十セルチ以上は高いと思われる高身長に冒険者のルナから見ても鍛え上げられた身体。けれど、衰弱気味なのか手首や足腰が異常に細い印象があった。


「なに?惚れた?」

「違う!かっこいいとは思うけど、私はそんな安い女じゃないんだから!」

「それは俺のセリフじゃないのか?」

「いいの!それよりも怪我とかないですか?その、ぶつかってごめんなさい」

「変な女だな。問題はない。それよりも速くここから離れろ」

「え?ってちょっと待ってよ!」


 そうルナが呼び止める先に青年は去っていった。なんだったんだ?

 よくわからなかった。それ以上にルナの心臓はバクバクしていた。


「今のすごく物語みたいで、ん~~~すっごくドキドキしてるよ!」


 彼が誰であろうとルナ的にはよかった。物語の主人公(ヒロイン)との出会いの場面みたいで、その再現ができただけでルナには十分だったのだ。


定石セオリーだと私とあの人が恋に落ちるわけだけど……さすがにないよね」


 そう、満足して笑顔でいると再び足音が迫って来た。そしてあっという間に包囲されてしまった。


「…………え?」


 兜をかぶり鎧を着こんだ兵士の一人が言い放つ。


「第二王子ノクト・ヴァルト・デルマーク様を逃亡させた容疑で貴殿を連行する」

「…………ふぇ?」


 こうして、ルナは牢屋にぶち込まれた。





 女が拘束され連行されていく場面を男は陰で見ていた。まるであらぬ罪を被せられていることに気づかない少女に男はため息を吐く。


「これも天罰か……或いは試練と言うか死んだクソ親父め」


 男は女が連れられた方へと走っていった。





 意味もわからず拘束されて連行されたと思えば、王城に通され「おぉ~」と感嘆も束の間、美麗な城内……ではなく、地下へと続く薄昏い階段を降り、そして今、牢屋の中にいた。


「…………あれ?私の人生、ここで終わり?」


 うん、これもすごく物語っぽい。でも、でも!


「私はっこんな結末望んでなーーぃい!」

「うるせーぞ!」

「ごめんなさぁい⁉」


 見張りの兵士に牢屋を蹴られて委縮するルナ。

 齢十六の彼女がどれだけ強かろうと幼い乙女に違いない。まるで女を貪らん野獣のような男にルナの身体は震えだす。


「ううん。怖がってる場合じゃない。なんとか逃げ出さないと……確か兵隊さんは第二王子を逃亡させたとか言ってたっけ?第二王子?そもそも会ったことすらないんですけど……」


 どこでどうなって私が容疑者になったのか。濡れ衣としか思えない。不運だ。

 あからさまに肩を落とすルナの下に拘束した兵隊さんがやって来た。


「クレリヒト殿下がお待ちだ。さっさと出ろ」

「次は第一王子……どうなるのこれ?」


 不安は最高潮。物語じゃ知らしめるためのモブ役もいい所。そんなのは絶対嫌だと、決して諦めぬ心を持ち、いざとなれば王城を破壊して脱出しようと決意する。

 そうして連れていかれた豪奢な門扉の先、ルナの訪問を待ち構えていた金髪に品性の裏に隠した下卑た瞳の第一王子クレリヒト・ヴァルト・デルマークが大仰に迎え入れた。


「よく来たね麗しき銀の娘。そして急事とは言え不当な対応、誠に申し訳なく思う」

「は、はぁ……それで……えーと」

「クレリヒト・ヴァルト・デルマークだ」

「デルマーク様……」

「クレリヒト」

「…………クレリヒト様は私に何か御用でしょうか?」

「御用?まだ白を切ると言うのかい?証言、証拠、すべてはあがっている。君があの愚図を逃がしたという事実がね」


 そう言われてもルナには身に覚えどころか記憶に欠片ほどもない。そもそも第二王子と出逢ってすらいないのだ。今、ルナにできるのは人違いだと証明することだった。


「失礼ながら、人違いではないでしょうか。私は一昨日この身にやって来た旅人です。もちろん、第二王子様ともお会いしたことなどありません」


 事実だがクレリヒト様は「まだとぼけるか」とイラつきの微笑みを浮かべ近寄って来る。背後には兵士、扉の向こうにはきっと数人待機されている。勝てないことはないが、分が悪い。

 得体の知れない笑みを浮かべ覗き込むクレリヒト。ルナは嫌悪感を隠すので精一杯。


「なるほど面白い。そしていいことを思いついた」


 途轍もなく嫌な予感がするのは物語の読み過ぎだろうか。


「あの愚弟は愛人の子供というの立場を弁えず、第二王子としても自覚もない王家の恥さらしだ。そんな愚弟が表てに出るだけで王家は汚れるだろう。だから僕はあいつを地下室に閉じ込めておいたのさ。僕の王位継承が終われば殺すか、王家から抹消するつもりだったのにっ……君が逃がしたせいで僕の計画もぱ~だ!だから、君には責任を取ってもらう必要がある」


 ルナは怒っていた。どうしよもない愚かな王子に怒りを抱いていた。愛人の子供だとか、王家の面汚しだとか知らない。ただ、貴賤的、横暴なやり方あり方言い方に不快と瞋恚の激情がふつふつと沸き上がっていた。

 そんなルナの沸点を刺すようにクレリヒトは卑下た笑みで言い放つ。


「だから、君には僕の『愛人』になってもらう」

「…………愛人……?」

「ああそうさ。君はあれだろ。愚弟あいつの恋人だろ。なら、君をぐちゃぐたにすればあいつはもう僕には逆らわない!それ以上にあいつの絶望する顔が見れる!あいつの人生を壊してやれるってことさ!」


 高飛車に笑い声を上げる汚物。私利私欲に他者を殺める能無しの面汚し。権力だけの自尊心で成り上がったクレリヒトはルナに顔を近づけて。


「いい案だと思わないかぁ」


 と、ルナの雪原のような頬に手を伸ばし――パチンっ……ルナはクレリヒトの手を払った。


「…………は?」


 自分が何をされたのかわかっていないクレリヒトが見るは、自分を刺すような怒りの眼差しだった。


「なっ!殿下になんという無礼をッ!」

「貴様ァあああ!有罪ギルティだァ!」


 剣を抜く兵士に怒りを膨らます王に、ルナは怒鳴った。


「ふざけないでっ‼」

「――っっ⁉」

「どうしてっ――っどうしてそんなこと言うの‼」


 ルナの拳は震え声は重く痛く強く空気を振動する。


「愛人の子供だとしても、あなたの『弟』には変わらない!弟さんがどんな人かなんて、私にはわからない。それでも、みんなから聞いた限りあなたが罵倒するような人じゃない!みんなに横暴と言われているあなたの言葉なんて、私は信じない!」


 街を歩き届く声にそれは確かにあった。不満の上がる第二王子への評価として――それでも、慮ってくれる人だと。


 絶句するクレリヒトなんて敵じゃない。こんな噂通りの人なんて怖くなんてない。ルナにはクレリヒトに殺されるノクトの未来の方が怖いのだ。


「出来損ないとかそんなの知らない!きっと影でいっぱい努力して、頑張って、それでもできないことは、ある。それを嗤うだなんて、あまつさえ他人を貶めえるあなたは王に相応しくない!」


 言い放つ。王家を敵に回し手でも言い放ってやるのだ。


「ノクト様のほうが、きっと幸せにしてくれる!私はそう信じる!」


 そんな言葉にクレリヒトが「不敬だぁ!その女を殺せぇぇええ‼」と叫んだ。

 図星をつかれ癇癪を起す子供のように。

 彼の命令に兵士たちが一斉にルナ目掛けて迫ってきた。ルナは密に編んでいた魔力を解放しようとして、刹那、風が吹き込み薙ぎ払った。


「うぁあああああ⁉」

「な、なんだっ⁉」


 兵士の情けない声とクレリヒトの震えた声の合間、どこか喜々を含んだ冷徹な声音が振り落ちた。


「まさか一度出逢っただけの女に啖呵切られるとはな」


 翡翠の風と共にルナを守るように現れたのは黒い外套を着た男。その男の優し気な眼差しに。


「あなたはっ、あの時の⁉」

「その説はどうも」


 端整な青年は路地裏でぶつかった男の人だった。まるで王子様のような彼にルナは見惚れていると、クレリヒトが「なっ⁉どうしてお前がここにいる!――ノクトぉおおお!」と叫び、ルナははっと気づく。


「う、うそ⁉え、もしかして……第二王子……さま?」

「そうだ」


 ルナは絶叫を上げそうな口をなんとか塞ぐ目が訴えていた。そして同時にまるで物語の一幕のようだと、この期に及んでも高揚が収まらない。


「惚れたか?」

「ち、違いますぅ」


 まるでテンプレだ。


「まーこれで借りは返すぜ」

「え?」


 ルナが訊ねる前に風が再び吹き、ルナとノクトを攫う。

 二人のいない王室にて、クレリヒトが号令した。


「――っっ今すぐあいつらを殺せぇぇぇぇッ‼」





 ノクトの精霊術によって王城から逃げ出したルナは手を引かれて走る。


「直ぐに追っては来る。俺の精霊術じゃこれが限界だ。国の外、森まで逃げるぞ」

「わ、私ひとりで走れます!」

「いや、手を握ってるほうが俺の『風の加護』がお前にも影響するはずだ」


 そう言われれば身体がいつもより軽いことに気づく。

 隘路を抜け、ノクトは外套で顔を隠し中央街を通り抜ける、が「いたぞぉおおお!」と横断する前に見つかった。既に姿は言い伝わっているみたいだ。


「くそっ!とにかく外目指して走るぞ!」

「は、はい!」


 何人もの兵士を掻い潜りながら走り抜ける。そうして見えて来た城門……ではなく裏口の小さな門を抜け、外へと出た。


「や、やりました!」

「いや、まだだ。愚兄あいつの執拗さはこんなもんじゃない――っ!」


 突如、城壁から降りて来た大剣がルナたちの道を阻む。そして、大柄の男が大剣の横に降り立った。背後には兵士の軍勢が迫り、気を取られていた隙に城壁から放たれた矢がルナの左肩に突き刺さった。


「ぐぅっ!」

「おい!大丈夫か――っ!邪魔するなァ!」


 大男が大剣を振り被り、ノクトを引き留める。風の刃で応戦するノクトだが疲労、あるいは絶食生活のせいか、吹き飛ばされる。


「ノクトさん!」

「さあ、そいつらを殺せぇえええええ‼」


 号令と共にノクトへ駆け寄るルナに攻撃が伸びる。斬撃の雨に剣一つで迎撃する。


「はぁあああ‼――っどいて!邪魔しないでっ!」


 火花散らす中、ノクトはなんとか立ち上がり、「いま、助ける」と、精霊術で風を生み出す……が、その身体に戦慄が走った。

 痛み、痺れ、そんなものに似た感触に突き出した手の下、腹部に銀の鉄が突き刺さっていた。


「はぁはぁはぁ……悪く思うなよ!王子様!」

「ノクトさんっっ⁉」


 ノクトの腹に剣を突き刺した兵士は颯爽と逃げていく。まるで罪から逃げるように。

 そして血をこれでもかと溢れさせる彼はふらりと身体を揺らし、地面に倒れ伏した。


「ノクトさぁあああああああああっっ‼」


 ルナは阻んでくる兵士を薙ぎ払い、溜め込んでいた魔力と剣先に収斂させ剣を大地に突き刺した。


「【月の瞬きリゲル】ッ!」


 銀の奔流が大地を爆ぜすべてを呑み込んだ。





「ノクトさん!ノクトさんっ!絶対に助けますから!私がっ、ノクトさんを助けますから!」


 なんとか彼を抱えて逃げ出すことができたルナだが、ルナ自身も酷い怪我を負い男性一人抱えて逃げるのは困難を極め、追いかけてくる兵士たちの声はすぐそこだった。

 それでもルナは懸命に抗った。彼を助けたい一心に逃げて逃げて逃げて――


「おぉ、おまえは、なんで、俺をこうまでして……」

「そんなの、助けたいからです!優しいあなたを見捨てるなんてっ、私にはできません!」

「は、はは……お前は変な女だな……だが、いい女だぁ」

「そうです!私は良い女なんです!」

「ああ、だから頼みがある」


 それは最後のお願いのようだった。彼は渾身の力でルナに抗い立ち止まり、傍にあった一際大きな聖樹に凭れかかり腰を落とす。


「ノクト、さん……」

「そう言えば、お前の名を聞いていなかったな……」


 そう言う彼の視界はぼやけていた。まるでルナがはっきり見えないみたいに。

 ルナは気づいていた。だけど、頷きたくなくて、それでも答えたいから。


 ルナは微笑んだ。


「ルナ、です」

「ルナか……良い名だな」

「はい……」

「ルナ……最後のお願いを聴いてくれるか?」

「はい……私が、叶えます」

「…………」

「ノクトさんの、最後の願い、叶えます」

「ああ、これを……このペンダントを東にある墓地に置いて来てくれ」

「…………」

「頼んだ、ぞ……っ」

「――。はい。私もノクトさんのこと、忘れません」

「はは……ああ、ありがとう。ふっ……じゃあな」

「さようなら……王子様」


 ルナは走りだす。堪える涙を見せないように。彼を忘れないように。

 そして、風の奔流と共に彼は消え去った。





 東の墓地はすぐに見つかった。森を抜けた突き出る崖の一角に墓石が一つ、世界を見渡していた。

 その墓標には彼の母親と思わしき名が刻まれており、私は彼のペンダントをそっと置いた。


 風が吹き抜ける。優しい風だ。


 私の顔は酷いかもしれない。あの人が見れば笑って呆れられるのかもしれない。それとも心配してくれるのかな。

 私と彼はまだお互いのことを何も知らなかった。そして、知ることもできない。

 それでも覚えていること、抱いた想いは確かにある。


「私はずっと覚えてる。ノクトさんのこと、忘れません」


 優しく強いあなたのことを――




 私は旅をする。


『恋』を見つけるために、本のような物語に出逢うために。


 なにより、誰かを助けれる人になりたい、今日、私は新しい目標と共に歩き出した。


 風が赴くままに。


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少女ルナ 青海夜海 @syuti

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