第20話 異能食い


 客観的に言って、これは不幸中の幸いだった。

 もしも俺が気を失ったことで救助に来た自衛隊の人たちがボスとぶつかっていなければ、蜘蛛のボスがそのまま地上に出ていたはずだ。

 そうなれば自衛隊だけじゃなくて父さんまで死んでいた。被害は減っている。


 ……かといって、どうせ死んでいたから、の一言で片付けるのは無理だ。

 俺のせいで人が死んだ。その事実は消えない。


「……今更、だな」


 俺の力ではどうにもできなかった死が、既にこの世に溢れている。

 ダンジョン出現の警告ができたのは日本だけだ。海外は前回と変わらず大勢が死んだ。

 どれほど目を逸らそうとしても、その事実は変わらない。


「俺にできるのは、戦い続けることぐらいだ」


 DEを放って呼び寄せた魔物をひたすらに殺していく。

 少しでもダンジョン全体のDEを削っておきたい。雑魚を放置しておくと、ボス戦の邪魔をされるだけでなく、DEに変わってボスへと供給される可能性もある。


 彩羽さんは”特殊型コア”だと言っていた。全滅した時の話を聞く限り、異能を吸収して自分のものにする特殊能力を持っているんだろう。

 初期にしては厄介なダンジョンコアだ。少しでも弱体化させなければ。


 ……彩羽さんは、なぜそれを。なんで俺と同じように頭痛を。

 俺だけが過去に戻ったものだと思ってたけど、それじゃ説明がつかない。

 かといって、彼女も過去に戻った、とは考えにくい。それなら何もしないわけがない。


「俺が過去に戻ったわけじゃなく……世界そのものに何か変化が……?」


 頭痛が酷くなる。真実に近づいている証拠かもしれない。

 もう少しで何かが掴めそうだが、考え事はここで終わりだ。

 ボスの気配を感じる。


 薄暗い洞窟の彼方が、真っ赤に明るく染まる。

 次の瞬間、通路を埋める勢いで炎の奔流が飛び出してきた。

 とっさに横の通路へ飛び込む。

 相当なパワーだ。DE不足の状態で無理に出てきた〈リヴァイアサン〉より、あるいは格上かもしれない。

 コイツは本当に初期のダンジョンか? 十年後の高難度ダンジョン並だぞ!?


「……あ……こいつは……」


 鎮痛剤を貫通してくる灼熱の痛みが、俺に過去を思い出させる。

 東京の奥地から出現した炎を放つ大蜘蛛が、全てを焼き払いながら都心へ向かう映像。ニュースキャスターが言葉を失う中、死傷者の数字ばかりが積み上がっていく。

 酷い光景だった。東京大空襲の再来、とまで言われるほどの被害が出た。


 〈異能食い〉。食った獲物の異能を吸収できる、特殊な……”異能を持つ”ボス。

 こいつが都心に与えた被害から、日本の滅びに繋がる連鎖は始まった。

 強くて当然だ。……だからこそ、こいつさえ倒せば、未来は大きく変わる。

 だが、今の俺が勝てるか?


「少なくとも、正面から突っ込んでいくのは無理だ……」


 DEを纏えばいくらか身を守れるが、数秒が限界だろう。

 ならば長期戦を挑むしかない。ダンジョンコアがボス化して活動しているということは、コアがダンジョンの管理をしていないということでもあるんだ。

 時間を稼げばダンジョンは荒廃し、DEや魔物の生産能力は落ちていく。


「……ずっとDE削り役として下積みしてきたんだ。きっとやれる」


 俺は全速力でボスと距離を取り、魔物を探し、ダンジョンに還るDEが最小限になるよう処理しながら殺していく。

 どれだけ全力で走っても、背後から感じる巨大な気配は離れていかない。

 複雑に入り組んだ網の目のようなダンジョンで、全てを知り尽くしたコアから逃げるのは無理がある。このダンジョンの全てを把握している相手だ。


「何時間経った……?」


 とっくに通信の途絶したスマホを取り出す。既に半日近く追われていた。

 バックパックを開き、灰のサンプルを捨てたあと、水と食料を補給する。

 このまま不眠不休で削りを続ければ、十分にボスも弱体化するはずだ。


 そして、更に半日が経過した。

 眠気と疲労感を振り切って、迷宮を駆ける。魔物と出会う頻度が下がってきた。

 ダンジョンにとって、魔物は白血球のようなものだ。意識が白血球の生産をコントロールできないように、ダンジョンコアも魔物の生産をコントロールするのは難しい。

 思考能力を持たない非知性型のコアなら尚更だ。

 魔物を生産するためのDEが不足し始めているんだろう。

 この調子でいけば、戦わずにボスをガス欠まで追い込むのも不可能じゃない。


「……この気配は? ボスが逃げていく……!?」


 ずっと俺を追跡してきた気配が、逆方向に離れていく。


「地上に出る気か!? クソッ、させるか!」


 追う側と追われる側が逆転した追いかけっこの末に、俺は蜘蛛の背中を捕らえた。

 赤い模様で全身を覆った巨大な蜘蛛が、振り向きざまに炎を放つ。


「おおおおおっ!?」


 全力でDEを放ち、炎から身を守る。ただでさえ疲れた体から活力が吸われていく。

 何とか火炎に耐えきって、体内でDEを熾した。

 それでも疲労感が改善しない。

 駄目だ、疲れでDEの最大値そのものが下がっている……まだ戦えるが、何度も火炎を受けるわけにはいかない……!


「絶対に逃がすか……俺の命と引き換えにしてでも、お前はここで殺すッ!」


 ならば短期決戦で決める。

 俺は剣を構え直し、息を整えている巨大蜘蛛へと斬りかかる。

 鋭い足が槍のように突き出された。斜めに剣を当てて受け流し、勢いを止めずに進む。

 接近を防ごうと暴れる足をかいくぐり、顔面へ一撃を叩き込む。

 血飛沫と共に、顎の一部が切り落とされて落ちた。


 視界の外から足が迫り、俺の胸を貫く。

 致命傷かもしれない。無茶が過ぎた……だが、知った事か……ッ!


「がああああああっ!」


 貫通している足を切断し、刺さったまま戦闘を続行する。

 血で血を洗う泥沼の近接戦闘が続く。……予想以上に、俺の体が動いてくれる。

 血矢と積んできた模擬戦経験、そして前世の戦闘経験、さらに身体の強化。

 俺の――を発現させるために彩羽さんが指導したDEの素質。

 鍛え上げてきた歯車が噛み合っていく。


 増えていく傷と裏腹に、俺の全てが冴え渡っていく。

 見える。激しい連撃の全てを捌き、反撃を入れながら前のめりに進む。

 大蜘蛛が後ずさり、ついに大きく距離を取ろうと飛び退いた。

 血だらけの大きな口を開き、顎に大きく開いたボス自らの傷を焚く覚悟で、俺に火炎を放とうとする。

 させるかッ!


「ここなら……火炎は届かないだろッ!」


 トップギアに入った身体能力の全てを振り絞り、蜘蛛の背中に飛び乗る。

 吐き出された炎がむなしく洞窟を炙った。


「トドメだッ!」


 頭部に剣を叩き込む。脳を貫かれた巨大蜘蛛が動きを止めた。

 ……おかしい。コアを砕いた感触がない。なんだ……?


 次の瞬間、巨大蜘蛛の膨れ上がった胴体が破裂した。

 無数の小蜘蛛が親の死骸を這って俺に迫る。


「なっ……」


 あまりに予想外で気味が悪い光景に、一瞬、俺の思考がフリーズした。

 その瞬間に、一匹の小蜘蛛が俺の背中に噛みつく。


「ぐああっ!?」


 慌てて飛び退き、小蜘蛛を振り払う。

 ……その小さな蜘蛛の身体に、新たな模様が現れはじめた。

 真っ白い色の、複雑なパターン。見覚えがある。


「俺が……彩羽さんに”裏技”で体内のDEを引っ張り出してもらった時の……」


 模様が完成した瞬間、小蜘蛛の迫力が膨れ上がった。

 勝ち誇ったように、小さな顎をカチカチと鳴らす。

 ……こいつがダンジョンコアだ! あの巨大蜘蛛は隠れ蓑か!


 蜘蛛の身体に刻まれた白い光が強く瞬く。

 火田さんの異能を吸収したときと同じ現象だ。俺の異能を吸収された。

 ……待てよ? どうして、俺から異能を吸える?

 俺は異能なんか持っていないはずじゃないのか?


「いったい……」


 小蜘蛛から放たれるDEの気配が、爆発的に増えていく。

 今までに経験したこともない、化け物じみたパワーだった。


「何が起きるんだ……?」


 小蜘蛛が身を震わせ、直視できないほどの眩い光で周囲が真っ白に染まり……”何か”を引き起こすのと同時に、パンッ、と弾けて死んだ。

 からりからりと破裂したダンジョンコアの残骸が地面に転がる。


「俺の力に耐えきれなかった、のか?」


 巨大蜘蛛の死骸も、大量の小蜘蛛も、気付けば居なくなっている。

 勝った……?


「ゲボッ、ゲボッ……」


 気を抜いた途端に、口から血が溢れてくる。溺れているみたいに息が苦しい。

 ゴボゴボと血の泡立つ音が、自分の胸元から聞こえてくる。

 俺に刺さった鋭い足は、やはり致命傷だった。


「……まあ、悪くない、だろ。知性型コアと〈リヴァイアサン〉を仕留めた後、大物ボスの〈異能食い〉と相打ちだ。あとは他の連中が頑張ってくれる……」


 足の力が抜けた。転ぶ最中、がつんと見えない壁にぶつかる。

 血が透明な壁に張り付き、空中で浮かんだまま静止した。


「なんだ、これ?」


 ダンジョンコアを中心に、見えない壁が展開されている?

 何をどうやっても外に出られない。閉じ込められた。

 ……まさか、あのボス。あいつも相打ち覚悟で、俺を絶対に仕留めようとしたのか。


「だが、どうやって……俺の異能は、いったい……」


 見えない壁の外側で、何かが起こり始めた。

 残像しか見えないほどのものすごい速度で何かが行き交い、ほんの一瞬で照明や壁が建築されていく。


「この残像……は……人間、か?」


 俺の視線の先に、ポンと大型デジタル時計が出現し、曖昧な残像の輪郭が何かを伝えるように数字を指している。


 2024年5月20日……から先の数字が、物凄い勢いでカウントされていく。

 21日、22日、23日。どんどんと日付が変わっていく。

 その隣に、俺の傷を応急処置するための詳細な医療ガイドが張られている。


「……時間の流れが違う!? 俺の異能を吸収したボスが、力を使おうとしてこうなった、ってことは……」


 それに気付いた瞬間、ずっと脳裏でくすぶっていた疑問が解けた。

 どうして俺は過去に戻ったのか。

 神様が二度目のチャンスをくれたわけでも地獄に送られたわけでもない。


 自分の異能だ。


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