第19話 全滅


- 2024年5月20日 -


 ダンジョンの中で陰野歩が倒れた。

 その報告を聞き、高尾ダンジョンキャンプに駐屯している自衛官たちが一斉に出撃準備を整える。

 彼のダンジョン攻略映像を見た全員が、この救出任務の重要性を理解していた。


『待ちたまえ! 救助の必要はない! 部隊をこのまま待機させろ!』

「あんたは何を言ってるんだ!?」


 編成を終えた指揮官が、鷲田大臣に食って掛かった。

 このキャンプで最も階級の高い彼だけが、唯一、スケジュールの関係で陰野のダンジョン攻略を見ていなかった。


「あんたの連れてきたガキが、迷宮内でぶっ倒れてるだろうが! 見て見ぬふりしろっていうのか!? 救助部隊を編成しないわけにはいかないだろう!」

『危険だ! 彼はかなりの深部に潜っているのだ、考え直せ!』

「そもそもなんでガキをそんな危ない場所に送ってるんだ! 少しは人命を大事にしろ、このクソ政治家がっ!」


 そして、指揮官は部下たちをダンジョンに向かわせた。


 数十名で構成された自衛隊の救出部隊が、陣形を保ってダンジョンを進む。

 彼らは魔物と互角の戦いを繰り広げ、怪我人を出しながらも深部へと急行した。


「……今、なにか?」


 部隊のエースとして炎の異能を存分に振るっていた火田陸士長が、ふいに立ち止まる。


「どうした、火田?」

「気のせい、です。何でもありませんでした」


 はっきりと言葉にならない嫌な予感が、彼の体に伝わってくる。

 まるで、ダンジョンから見られているかのような。


「……いえ、やはり……頭上っ!」


 洞窟の天井に、毒々しい紫色の巨大蜘蛛が張り付いていた。

 自衛官たちのライフルが一斉に火を吹く。効果はない。

 進軍を急いで縦長になっていた陣形の中央へと蜘蛛が降下し、瞬く間に数人の自衛官を捕らえて咀嚼する。

 巨大蜘蛛の口元から、たらりと血が垂れた。


「よ、よくもっ!」


 自衛官たちが魔物素材の近接武器を抜き、巨大蜘蛛へと斬りかかる。

 だが、敵は圧倒的に強大だった。細い足で薙ぎ払うだけで人間が軽々と吹き飛ばされる。そうして叩きつけられた者から鋭い足で刺し貫かれ、蜘蛛の口に運ばれていった。


「こいつはおそらくボスです! 小官に任せてくださいっ!」


 回りの自衛官を下がらせて、火田が歩み出る。

 超成長《レベルアップ》の経験者にして、炎の異能を持つ彼は、自衛隊の中でも最強格だ。日本全体を見回しても、彼より強い者は数えるほどしか存在しないだろう。


 巨大蜘蛛が火田を見つめ、ぶるりと身を震わせて動きを止める。

 その瞬間、自衛官たちは勝ちを確信した。

 火田がどれだけ強いのか、共に戦ってきた彼らは知っている。


「小官の仲間を、よくもっ!」


 火田の体が燃え上がり、炎に包まれる。

 彼は力強く地を蹴り、殴りかかった。

 この炎で倒れなかった魔物など、ただの一匹も存在しない。


 火田の拳が巨大蜘蛛に命中し、巻き起こった爆炎が洞窟を吹き抜ける。

 そうして炎が晴れた後には、普段どおり、火田だけが立っているはずだった。


 ……だが、炎が晴れたあと、火田の姿はどこにもない。

 ぐしゃり、ぐしゃり、と蜘蛛が獲物を咀嚼する。


 自衛官の一人が、失禁しながら地面にへたり込んだ。

 最強だったはずの男が、こうもあっさりと。


「……た、退却すべきでは?」


 じりじりと後ずさりはじめた彼らを、巨大蜘蛛が見据える。

 その口元からちろりと炎が吹き出した。

 毒々しい色の胴体に、真っ赤な模様が刻まれていく。


「み、見ろ! 火田はまだ死んでないぞ! 死ぬはずが……」


 巨大蜘蛛が火炎を吐きだした。その一瞬で、戦力の半分が炎に包まれた。

 真っ赤に燃え上がる地獄絵図を踏み越えて、巨大蜘蛛が迫りくる。


「今の炎……まるで、火田の……」

「さっきまで、あんな炎は吐いてなかったよな……?」


 戸惑い逃げ遅れた数名が、赤い模様を刻んだ蜘蛛に焼き尽くされた。


「……あいつ……火田の異能を吸収しやがった! だ、駄目だ! 逃げろーっ!」


 残りの自衛官たちが一斉に背を向けて逃げ出した。

 彼らを上回る速度で、炎を宿した蜘蛛が洞窟を滑る。

 一人、また一人と蜘蛛が人を食らっていく。

 そうしてついに、救出部隊は全滅した。


 食事を終えた巨大蜘蛛が、洞窟の先を見据える。

 入り組んだダンジョンの中に、まだ一匹、獲物が残っている。

 とびきり巨大なエネルギーを抱えた、うまそうな獲物が。



- - -



「ぜ……全滅だと!? クソッ!」


 無線で戦況報告を受けていた指揮官が、顔を真っ赤にして叫ぶ。


「他所のガキを迷宮に入れるべきじゃないと進言したのに! 畜生、俺は正しい判断をしたはずだ……何もしないでガキが殺されるのを黙って見てるなんて、自衛官失格だろうが……上は何を考えてるんだ! いい加減に問い詰めてやる!」


 彼は怒り心頭でテントに踏み込んだ。ビデオ通話の画面に防衛大臣が映っている。

 上司の上司の上司の上司の上司。遥かな天上人だが、もう遠慮などしていられない。


「鷲田大臣! 救助部隊が全滅しました! 全滅です! 私の部下はいったい何を助けるために死んだのですか! あの子供は何なんですか! いい加減に答えてください!」

『……日本の未来を左右する存在だ。それだけ知っていればいい。出ていきなさい、君にここへ参加する権限はない』

「ふざけるなっ!」


 指揮官が机を叩く。

 

『……全滅?』


 騒ぎを聞いていた陰野歩が、絶望した表情で呟いた。


『別に、救助なんか必要なかったのに……』


 今にも倒れてしまいそうな顔色だ。

 彼の瞳の焦点が合わなくなり、頭を抑えながら遠くを見つめている。


「ナメるのもいい加減にしろおっ! お前が小学校に入る前から自衛隊やってるようなプロが、お前を救助するために命を張ったんだぞ!」

『……分かってるよ』

「分かってるものか! 我々の精鋭を全滅させるほどの強敵だ! お前みたいなガキ一人に何ができる!」

『何ができる、か……俺も、ずっと同じことを考えてる気がするよ……』


 陰野が瞳を閉じて、口をきつく結んだあと、立ち上がる。

 瞳を閉じたまま、彼は四方にDEを放った。青い光が迷宮の中を走る。

 近くに転がっていた火炎放射器が余波で破壊され、ひとりでに燃え上がる。


「な、何だ、今のは……おい、逃げろ! そんな目立つ事をしたら、ボスに見つかるだろうが! 部下たちの努力を無駄にするな、今すぐ逃げろ!」

『俺が仇を取る』

「……っ」


 陰野が開眼する。

 高校生の子供とは思えないほどに、彼は凄まじい迫力を放っていた。

 地上で見たときはごく普通の高校生だったというのに、まるで別人だった。


「……畜生……何だよお前、ガキを助けに行かないのが正解だったってのか……分かるかよ、そんな選択肢……くそうっ、俺のせいで……」

『ボスがダンジョンの浅い層に居た時点でもう手遅れだ。少し前からダンジョンコアがボス化していた。地上へ出る準備をしてる最中だったんだろう。地上が炎上しなかった分、被害はむしろ少なく済んでるかもしれない。まったくの無駄じゃない』

「……気休めにもならない」

『そうだろうな』


 陰野歩が自らのDEで一本の剣を作り出す。

 そして、集まってくる魔物を凄まじい連撃で切り捨てはじめた。


「な……何なんだ、こいつは……化け物か?」


 自衛隊最強の火田と比較にならないほどに、彼は圧倒的な強さを誇っていた。

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