第七十五話『序曲』

 幻想まおうの灰を踏み、その中から白く輝く球を取り出す。

 この球もまた、白く輝いているのだと、死の先にすら願いを抱く人の想いの光を思う

 

 各々の幸せそうな声や表情の中で、俺は光球を手に、静かに皆を見ていた。


 響が戻ってきたという事実に嬉し泣きしている朝日がいたり。

 フィリの元の姿を見て、これまた涙を堪えている響がいたり。

 それを見て優しげに頷く仕掛け屋がいたり。

 偉そうに胸を張る神様がいたり。


 寂しそうに微笑む春がいたり。

 つまらなそうに見ているアルゴスがいたり。


 幸せそうな人達の事は、もうきっと、そのままでいいのだと思う。

 だからこそ、俺はこの二人に用があった。

「分かっちゃってるよな、春には」

「買いかぶり過ぎですよ。何も分かってはいないんです。ただ、きっと寂しい事になるんだろうなあって、ことだけ」

 この世界を産み出した幻想を砕いたのだ。

 つまり此処から先の世界は、俺の手にあるという事になる。

 そうして俺が現実を望んだのならば、目の前にある幻想の子はどうなるのだろうか。

「しばらくは、寂しいかもしれない。悪いな、春」

「でも、私は芥さんのこと、信じてますから。また、会えるんですよね?」

 きっとこの子は、この先に待つ自身の未来をなんとなく察している。

 春は、魔法によって強制的に成長を促されたのだ。幻想が無くなった世界で、どのような姿になるかくらいは察しがつくのも当然だ。だけれど、俺が今からやろうとしている事は、姿そのものを消すくらいの、暴挙だ。

「会えるさ、きっと。でも、俺は春の想像以上に悪い事をするんだ。だけれど春はきっと春で、必ず産まれるはずだよ」

 そう言った俺の顔が、あまりにも寂しそうに見えたのかもしれない。

 春は俺の肩に手を当てて、グイッと下に引っ張る。


――そうして、彼女はそっと俺の頭を撫でた。

 温かい手は、まるで最後の魔法のように、誰かを温めた後の、優しい残り火のように俺の心に何か大事な物を残すようだった。

「へへ、実はこういうのもしたかったんです。大丈夫ですよ、芥さん。なんだって……だいじょうぶ。何が起きたって、もう大丈夫です」

 頭を上げて見た春の笑顔に、もう寂しそうな雰囲気は残っていなかった。

 あまり見ないような表情、年相応で、してやったりといいたけに小さく声を出して笑ってから、柔らかく微笑んだ。


「あー!! アクタンズルい! 私も撫でて!」

 響がすっとんできて、頭を出す。

「私もー!」

 響と抱き合っていた朝日もまた、嬉しそうに頭を出して、二人揃って苦笑している春に頭を撫でられていた。


「仕掛けも! ほらこっち!」

 挙げ句の果てには、響が恥ずかしがって嫌がる仕掛け屋までを引っ張って、頭を撫でさせていた。

 思いの外、春は当然といった感じで撫でているのが意外だったが、最年少の彼女としては、色々と嬉しかったのだろう。


 なら、きっと春は大丈夫。


 だから、この世界の答えを、創りに行こう。

「よう、つまんないか?」

「まぁな。だってよ、終わっちまったんだろ?」

 アルゴスは、不貞腐れたように、大曲刀を床に突き刺す。

「結局、お前は戦いたかったのか? それとも、強くなりたかったのか?」

「兄ちゃんよ、そりゃあ両方ってヤツだ。戦いてえし、強くなりてえ。だけど魔法ってのは本当に、ズルだった。清々はするけどよ、つまらねえなぁとも思うんだよな」


――だから、彼が良いと、思った。


 俺は、その手に握っていた光球をアルゴスに開いて見せる。

「純粋な強さを高める為の、戦いの世界。魔法なんてズルは無しで、現実の力と力で、ぶつかり合う世界。そんなのがあった、どう思うよ」

 俺の言わんとしている事が、彼に通じるかどうかは分からなかった。

 だけれど、やっぱり彼も決して馬鹿では無いのだ。闘争が好きだというだけで、それに目がないというだけで、魔法が嫌いだというだけで、決して話の分からないヤツではない。

 さっぱりとしたヤツなのだと、思った。

 

 何故ならば、彼は返事をする前に、目の前に使い魔を顕現させ、大曲刀でバッサリと切り落としたのだ。

「つまり、だ。おもしれぇ話……って事だよな? 兄ちゃん」

「あぁ、お前が歪まないならな」

「その点は安心せい。ワシが見とる。なんせ神じゃしの」

 いつの間にか話を盗み聞きしていたフィリが、こちらにやってくる。

「星の意思がそれを許すのならば、次に偉いのはワシじゃ。アクタ、ようやってくれたの」

 彼女は、ある意味でもうフィリではなく、正しく神であるフィーリスなのだと、その少しだけ大人びた態度を見て思う。とはいえ尊厳口調や性格はあまり変わりもないのだが。

「楽しかったか? 俺は、俺らはお前を楽しめさせられたか?」

「聞くのも野暮じゃろ。ワシはプリンを食いながら、高みの見物じゃ。アルゴスは好きにせい。間違っとったら正してやる」

 その言葉にアルゴスはフンと鼻を鳴らして笑った。

「フィリ、アルゴス。この星を、頼む」

「言うまでもなかろう。ワシを誰だと思っとる」

 俺の言葉に、フィリは胸を叩いて、笑った。


 だから、準備は整った。この世界を、整地する為の合図は、いつ出しても良い。

 だけれど、産まれるべき新たな世界に、いるべきじゃない人間が、まだ残っている。



――俺も含めて。



 ただ、それじゃああまりにも救われないとは、思わないだろうか。

 これだけ頑張ったんだ、俺は救われなかったとしたっても、救われるべき人は、必ずいる。

「仕掛け屋、朝日」

 俺は、四人の名前を呼ぶ。

「聞きたい事がある」

 真剣な俺の顔を、不思議そうに見ている二人。


 春の事は、きっと大丈夫。

 そうして、響も、絶対に大丈夫。


 だけれど、俺は二人も救いたい。

「なぁ、二人は何処に住んでた?」

「「……は?」」

 珍しく二人の声が被さり合う。

 驚くのも不思議ではない。あまりにも素っ頓狂で、場にそぐわない質問。

「仕掛け屋は、名前もかな」

「いや、別にいいけどよ……。なんだ大将。今更改まって」


 俺は二人から出身地と、改めて本名を聞く。


 響は、きっとどうにでも出来るし、どうにでもするから、大丈夫。春もきっとどうにかなる、はずだ。 


 ただ、俺は、それを知っておかなければいけない。

 救世主になんてなれないかもしれないが、それでも、知っておかなければいけない。


 また、二人に出会う為に。

 忘れてしまっていたとしても、あの世界で生きている二人に出会う為に。


――今の俺にしか分かり得ない、俺の刻景でしか、出来得ない一つの奇跡。

 幻想は現実に舞い降りた瞬間に、奇跡に変わる。

 それは偶然なのかもしれない、けれど星の力を手に入れた時から自分の中で使っていない願い事が、あるような気がしていた。要は魔力の充実感、世界をある程度まで意のままに動かせる権利。

 そういった物が、俺の身体にはハッキリと残っていた。

 ただ、それを以て幻想まおうを倒してしまうのは、幻想を以て幻想を制すだけで、何の解決にもならない。

 あくまで俺は、タイムウォーカーという自身の軌跡を戻るという、自身にのみ適応する刻景を使う事に留める以外無かった。

 俺が星と対話した後に、響が灰になる瞬間まで戻ったとしても、そこには多大なる矛盾が生じる。

 おそらくは、俺と対になっている幻想まおうもそれを許さないはずだ。

 だけれどきっと、そういう選択もまたあったのだと思った。結局響は生き返ったけれど、事実俺はこの世界の響について、諦めてしまっていた冷たい人間だった。


 何故ならきっと、俺の刻景であれば、世界の創造を捨ててまで、俺が辿ってきた軌跡を遡る奇跡の力を高めたならば。


――あの日に戻る事が、出来るから。


「この世界は、これから創り変えられる。だからさ、全部無かった事にしようと思うんだ。あらゆる灰も、異世界病者も、俺が刻景を使えば、もし俺が思っている通りに、使えたのなら、間違えてしまった星の運命すら塗り替えられるはずなんだ」

「それって……」

 響がいち早く気付いたようで、こちらを真面目な顔をして見つめている。

「あぁ、戻るんだよ。刻景を使って。今の俺はこの世界の半分を作る程の魔力がある。響が俺を連れてきた時にあの世界で刻景を使う事が出来てたって事はだ。俺だって刻景を使う事が出来る。とはいえ魔力そのものが無い世界で、どれだけ保っていられるかは分からないけれど」

「じゃあ私達は……? 私達が此処で過ごした記憶は?」

「どうなるかは分からない。分からないけれど、少なくとも魔法によって作られているこの世界で、魔法の力で生きて、現実として生きてしまった俺達が、灰になるよりは、マシ……だろ」

 酷い事を言っているという事は分かっていた。それでも、それでも、それは俺が自分自身の力を感じた時、最初に思った事で、最後に言うべき事だと決めていた事だった。

「大将……おめぇは本当に……」

 仕掛け屋が俺の肩を抱く、強く、痛い程に。

「アイツに、心を歪ませない為の仕掛けを作っといてやってくれ」

「そうさな、そうなるわな。でも、また会えるんだろ? きっと、会えんなら、俺ぁもう、気にしねぇ。だがよ、そっちはそうもいかねえだろ」

 ドン、と背中を押されて、朝日の前に立たされる。

「はいはーい、私らは向こうだよー! 私はもうなんでもオッケーだから、気にしないでね! アクタン!」

 そう言って響はウインクしてから小さく笑って、皆を部屋の奥へと引っ張っていった。


「最後の話に、なるのかな?」

「分かんないな。でも俺は、何も知らない朝日でも好きになると思う」

「照れちゃうなー、私はどうだろ。好きになってあげられるかなぁ」

「ほんと、リアリストだよな。でもまぁ、幸せならそれでいいんじゃないか? って思う」

「そこはさ! もうちょっとさ! 好きにさせてみせるとか漢を見せるのが……!」

 

――刻景・タイムウォーカー

 刻は、巻き戻る。


「照れちゃうなー、私はどうだろ。好きになってんむ!」

 そっと、その唇にキスをする。

 ズルいなって、思いながら。

「好きにさせてみせるさ」

「急に! そういうの、凄いズルい! ズルいって!!」

「だって、幸せならそれでいいんじゃないか? って言われたらどうする?」

「そこは確かに……もうちょっと漢を見せてほしいなって思うけど……」

 やっぱり、この子はこの子なんだと、思わず笑ってしまった。

「だろ? だって朝日はそう言ったんだから、俺はその、一瞬先の未来から戻ってきたんだよ。そうして、大事で、失敗した過去達を、一つずつ変え……ッ」

 俺の唇が不意に塞がれる。

「……大事な事、大事な事だけどさ、レディの前じゃ野暮だよ芥。あいらぶゆーを日本語に訳す時だって、必ずしも『月が綺麗』で『私死んでもいいわ』って言うのが正解じゃないでしょ? 見えない月も想えば綺麗、私死んでもいいのって言葉もさ、愛と解釈できちゃうんならさ。私の、私のこの世界の記憶が死んでもいいよ。大丈夫、また好きになる。絶対にね」

 朝日の手が、俺の手を強く握った。

 向こうで全員が、俺達のキスシーンを見てはしゃいでいるのが見えた。アルゴスでさえ大笑いしている。

「じゃあ、また"向こう"で」

「ん、塵芥の中でだって、見つけてね」

「もう夜じゃないんだ。朝陽に照らされてたら、大丈夫だろ」


 俺は、朝日に手を握られたまま、皆の前へ戻っていく。

「おあついもんじゃの、ワシはヒビと上手くやると思ったんじゃがなぁ」

「敗者を蹴るんじゃないよ! 馬鹿神め! でも……もう会えないのは寂しいな」

「人生を全うして来ることじゃな、その時は笑える土産話を山程持ってこい。ワシは神じゃからな、そのくらいじゃ、泣かんわ! 泣くな!」

 フィリを抱きしめてポロポロ涙を流す響の頭をフィリがひっぱたく。

「でも……でもぉ……」

「ま、寂しいのくらいは当然だろうよ。へへっ、お嬢。その目ぇ拭いやしょうか?」

 あえておどけたふりをしている仕掛け屋の目も、赤い。


――別れの時は、近づいていた。


 俺はそれを、少しだけ微笑んで見ているアルゴスに、光球を渡す。

「アルゴス、頼むぞ」

「任せろ」

 彼はそれを、俺がしたように口に飲み込む。


 おそらく彼に待っているのもまた、星の謁見。

 それを見届けるのが、俺の最後の役目の、最初の一つだ。


 時間にするならばほんの少し。

 だけれど俺は星との謁見で数えられないくらいの脳内時間を経験した。

 だから、アルゴスが壊れないかという事が、心配だったのだ。

 だが彼はケロリとした顔で、笑った。

「おもしれーやつだな、アイツ」

 疲れも何もない顔、おそらくは上手くいったという顔だった。

「疲れて……ないのか?」

「疲れやしねえよ、ほんの一時間くらい喋ったか? そんくらいだな。小せえ声だから一発ぶん殴ってやったら元気になったぜ? そっからは一発喧嘩して、最後は肩組んで、今よ」

 呆れを通り越して、笑ってしまった。

 底抜けに明るい、馬鹿なんだコイツは。


 俺が真面目に向き合った事が失敗だとは思いたくない。

 けれど結局、こういう何もかもを気にせず生きたいように生きる、良い意味での馬鹿が、世界を救うのかもしれないと、心から思った。


「じゃあ、またな。みんな」


 泣いている顔も寂しそうな顔も不敵な顔も、そうしてきっと、俺の顔も。

 

 全部まとめて、こう表現したかった。


 笑顔、と。


 春が、自分の頭をゴソゴソと触って、そのトンガリ帽子を思い切り空中に投げる。

 それが、彼女なりの、幻想への別れで、俺の旅立ちの、はなむけだったのだろう。


「刻……景!」


 さぁ、此処から、俺の、俺だけの旅が始まる。

 灰景の中で笑う、皆を見ながら、俺は誰の目にも映らないのに大きく手を掲げて、階段を下った。


「さぁって、少し、長い旅になるな。なぁ星! 聞いてるか?」

 どうせこの状態でも、アイツだけは例外なのだろうと、階段を下りながら一人大きな声を出す。

「うん! 聞いてるよ!」

 隣から元気な声がして、アルゴスにしっかり躾けられていやがると、俺は思わず笑ってしまった。

 それに、姿もしっかりと顕現している。もうこの星は、幻想ではなくなったのだ。

「強くなれよ」

「おうよ!」

 子供の声ながらも、男の子が出す、力強い声。

「あと、俺の力なんだけど。全部終わったら持っていってくれ。あの世界での魔法は、ズルだからな。でも悪い、一回だけなら、いいよな?」

「一回も二回も! 構わない! でもお前がそういうなら! 持ってってアルゴスの兄貴に渡す!」

 やっぱり、アイツの方が余程上手くやれそうじゃないかと、自分に反省をしながら星の肩を叩いた。

「おう、そんでいつか。アイツに勝って悔しそうな顔させてやれ。じゃあ、俺は行く。もう、怖がんなよ。少なくとも上の世界は、任せろ。現実は厳しいけれど、人間は弱くねえ」

「……ん!」


 階段の最後の一段を降りたのと同時に、元気良い声と共に、星は姿を消した。

 きっと、大丈夫。


 絶対なんて事はないけれど、もう、この星は大丈夫だと、そう思いながら、俺は奇跡を手に、軌跡を歩き始めた。

 異世界病者の灰を、踏みながら。

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