第七十三話『飛翔』
気がつけば、極彩色達が目を襲っていた。目が慣れてくるという感覚の、全くの逆。
「……あ?」
思わず、声が漏れる。
目が、壊れていく程の、色の集まり。これが、魔法の正体かと思わんばかりの、色、色、色。
この世界で『色格』という使いだしたのが誰だったのかは知らないが、あまりにも、格が違いすぎる。虹なんて生易しい言葉では表現出来ない程に、それぞれが独立した極彩色が、星らしきナニカの周りに漂っていた。
うめき声が、出ていた。それはもう、決して思わず出たわけではない。そりゃ、そうだろうなと思い込まされる程の、色彩の圧。
灰を探す、灰を探す。
灰を、灰を探さなければ、気が、狂う。
骨すら燃やし尽くされそうな、紅。
この身の血液が凍りつきそうな、蒼。
肉が腐敗して零れ落ちていきそうな、翠。
そんな、暴力的な色が、俺の精神を殺しに来ていた。
灰を、灰を探す。
だが、それは果たして、正解なのだろうか。
「来た……来た!」
もう一度響く、星の声。その声に含まれる感情は、明らかな嫌悪。だからこそ、俺が視線を動かしはじめた時から、コイツは俺を壊しに来ている。
それは、そうなのかもしれない。星が俺を見ていたならば、そうなのかもしれない。
何故ならば、ここは幻想という名の元に構成された世界で、星もまたそれを納得させられたからこそ、この世界は魔法という概念を持ち続けていたのだ。
星からすれば、俺こそ、俺達こそが結局の所部外者だったという事なのだ。
――甘く、見ていた。
話が、通じるのではないかと思っていたのだ。
フィリが言っていた言葉、この星はまだクソガキじゃという言葉を思い出す。 それを聞いて俺は、子供のようなものなのならば、上手く説得出来るのではないかなんて事を、思っていた。
だが、それは間違いでしかなかったのだ。星はもう、駄々をコネていた。子供なのは確かだ。だがもう既に、癇癪を起こされていたのだ。
「なんで……!! 来た!!」
声の幼さから程遠い言葉の圧、目が閉じられない程の、あまりにも強い強制力。
こんな力を持っていながら、どうしてと嘆いてしまいたくなる程に、星は、幻想に取り込まれていたのだ。だからきっと、俺には、俺達には、手を貸さない。
それでも、俺にあるのは、この星の力の、半分。
「少なく、とも……だ」
割れてしまいそうな頭、グシャグシャにされているような気がする身体。
痛みが流れ込んで来るような感覚、閉じられない強制力を持っていると思わされる声。
色という名の、幻想で作られた光の束が、俺を壊そうとしている。
している。
している、気が、する。
気が、するだけ。
「これを、見に来たんじゃ……ねぇ!!」
だけれど、俺が飲み込んだ光は、現実を見る為の光だ。
――眼の前に広がる色の全ては、幻想でしか、無い。
「……あぁ、やっと、見えた」
色が、痛みが、消える。何故ならば、俺もまた、半界の力を持っているのだ。
ならば、対抗だって、出来るはずなのだ。星が幻想の座に居座っていても、謁見しに来たわけではないのだ。俺もまた、現実の座に、座っている。
やっと椅子を用意されたのだ。盤上に立つ前に、机をひっくり返されるわけにはいかない。
カードゲームで負けそうになって、カードをグシャグシャにするのがズルだという事、ルール違反だという事、それをこのクソガキに、教えてやらなくちゃ、いけない。
「そんなに怯えんなよ。ちゃんと、話をしよう」
「……はな、し?」
眼の前に残ったのは、灰色の霞がかった存在だった。
その姿は、人でも、獣でもなく、吹き消してしまえそうなナニか。
それが星だというのなら、そうなのだろう。姿がどうだなんて次元の存在ではないのだと、理解した。その声もまた、いくらでも作り変えられるのだろうが、要はきっと、何でもいいのだろう。
「そうだよ。話をしよう、お前が安心するまで、いくらでもな」
もし、時間の概念がこの瞬間に存在したのならば、どれくらい経ったのだろう。
話す、話す。
話す、話す。
何分経ったかも、何時間経ったかも、何日経ったかも分からないような、そんな永遠にも思える問答が、続く。
そもそも言葉が通じるかだなんて、そんな話から始まったのだ。
一つ一つ、分からないと言われた言葉を噛み砕いて、現実の話と幻想の話を伝えていく。
時折放たれる抵抗のような色には、目を瞑って、落ち着くのを待つ。
疲弊、諦め、そんな感情が数十回頭をよぎった。
だが、笑って灰になったあの人を想えば、諦めるには早すぎる。
「分かって、くれそうか?」
「まだ、分からない」
現実は厳しくて、幻想は楽しくて。
そんな風に、植え付けられた刷り込みを、始めて手品を見てしまった子供に、アレが嘘だと言ってしまうような野暮を感じながら、それでもこの地球という星の中にある二つの世界は、どちらも現実で、幻想に生きる事が逃避だという事を、伝え続けた。
だけれど、俺はどれだけそうやって、異世界病者を変えようとしてきただろうか。
確かに、伝える事自体は慣れてはいる。だが、俺の中にあるのはあくまで俺から見た一般論でしか無い。異世界病が流行って崩壊しかけていた世界で、誰一人として救えなかった俺が、どうしてこの星そのものの意思を変えられるのだろうか。
弱気になりかけた自分を、大将だと呼んでくれたあの人を想って、奮い立たせる。
「言ってる事は、分かってくれるか?」
「分かるけれど……」
続く、続く。もしかしたら、もしかしたらを繰り返して。
続く、続いていく。
空腹も無く、眠気も無く、ただ疲労だけが募っていく。悲しみが時折、波のように襲ってくる。
だが、いつも大暴れして自由に闘争を求めていたアイツを想えば、こんな所で折れるなんて情けない。
不思議そうに、灰色のナニカがこちらを見ている気がした。それもまた、幻想なのだろう。
どんな言葉でも揺れ動かない。ファンタジーの呪い。この星は、まだ夢を見ている。
「疲れやしないか」
「よく、分からない」
変わるべきは、俺自身なのかもしれない。
こんな終わりの無いような問答は、俺が折れて受け入れた方が良いのかも知れない。
だが、自分自身を削ってまで道を示したあの人を想えば、まだ、まだ、まだ。
「見方は、一つじゃないだろ?」
「そう、かな」
幻想が、必ずしも悪なのではない。だけれど行き過ぎた幻想は、結果として星を崩壊に招いていくだろうという事は、何となく分かっていた。
焦ってはいけない。いつも冷静に俺達を見ていてくれていたあの人を想えば、尽きる言葉なんて、無い。
愛するあの人を想えば、愛するあの人達を想えば。
――この星を諦める理由なんて、何処にも無い。
「そうだ……! お前は……生きたいんだよな?」
「ん、そう」
やっと問答の答えに近づいた気がした。
俺が、俺が答えに辿り着かなければいけなかった。
異世界病者と違って、星は死にたいわけじゃない。
同時に、俺達だって、死にたかったわけじゃない。
「生きたかったんだ。死にたくなんて、なかったんだ」
真っ暗闇の中で続くような言葉の羅列に、ヒビが入り、光の速度が、暗闇に追いついてくる。
あの日、屋上から飛んだ俺の言葉に、価値なんて無かった。
だけれど、本当に向き合ったなら、俺が俺と向き合ったならば、伝わるのかもしれない。
「だから、お前は正しく生きろよ。まだ、間に合うじゃねえか。少なくとも俺の心は、この世界で生き返ったんだから」
俺の心は、死んじゃいない。
それは、間違いなく。灰と幻想に塗れていたとしても、この世界に来たお陰なのだ。
――だからこそ、最大の絶望に、賛辞を送ろう。
「ありがとな、この世界を作ってくれて。この世界もまた、俺にとっての現実だったんだよ」
「げんじつ……」
決して、あの人達は幻想じゃない。
この世界で経験した、関わった、あらゆる現実が、俺の背中を叩いている。
「だからさ、チャンスをくれよ。俺らが、証明するから」
「……ん」
緩やかで、穏やかな、始めての肯定。
それと同時に、世界にやっと、色がついた。
――星はやっと、俺達に幻想と戦う許しをくれたのだ。
いつかの、あの人達がそこにいる。
懐かしいとすら感じる程、長い時間を過ごしていたような気がする。
考えて、伝えて、考えて、伝えて。
何百回繰り返したかも分からない程の、星に届かない言葉の先の先の先で、やっと辿り着いたのだ。
星に手を伸ばす子供のように、駄々をこねていたのは、俺だったのかもしれない。
「飛べば、良かった。飛んで、良かったんだ」
きっと、現実では数秒程度の時間だったのだろう。
朝日が、こちらを心配そうな目で見ている。
「あぁ……皆、久しぶりだな」
俺の声と言葉、それと表情を見て、誰もが俺の体験してきた事を察したようだった。
俺の掠れた声を聞いて、フィリが笑っている。
その声でロストと叫ぶ彼女を、幾度も想っていた。
「くく、難儀じゃったか?」
「そりゃあもう、皆が懐かしいくらいには。でも、星は許してくれた」
パン! とアルゴスが大曲刀を叩いて肩を回す。
その血気盛んで自由な強さを、幾度も想っていた。
「よし! じゃあいっちょぶちかましてこようぜ!」
「お前はほんと……元気だよな」
春が心配そうにこちらを見ていたが、目が合うと小さく頷いた。
その瞳の心強さを、幾度も想っていた
「大丈夫……でしたか?」
「まぁ、過ぎたるはなんとやら、かな」
仕掛け屋はフィリを抱きかかえたまま、こちらを見て少し申し訳無さそうに笑った。
一番の大人に、大将と言われた嬉しさを、幾度も想っていた。
「……急にやつれたな、大将」
「気にすんなよ、兄貴」
そうして、皆が階段を登り始める中、朝日だけが俺の眼の前で、じっと俺の事を見つめていた。
その表情も、どんな表情も、いつかの声も、今から聞ける声も、幾度も想っていた。
「何か、あった?」
「あぁ、あったさ」
俺は灰を赤刀に纏わせる。
もう聞こえない銃声を、幾度も、そうして今この瞬間ですら、想っていた。
「でも、とりあえずはさ、朝日……」
きっとこの言葉を聞いたアイツは、えらく騒ぎ立てるんだろうなあなんて思いながら。
そっと俺は、眼の前の愛しい人に、小さい声で、愛を告白していた。
頬を赤らめた朝日に思い切り背中を叩かれた後、ふともう一回分背中を叩かれたような気がして、俺は後ろを振り返る。
誰もいないそこには、朝日に叩かれた時に溢れたであろう灰が、ほんの少しだけ残っていた。
それを見て、俺は小さく、だけれど強く微笑みながら、俺と同じような言葉を返して、逃げるように俺の前を行く愛しい人と、愛しい人達の背中を見ていた。
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