第七十ニ話『神の怒りの日』
黒球、残り二つ。
目下倒すべき複製体は二体。そう簡単に作ることは出来ないと願いたい。
ここから必要なのは、情報を引き出すという事。
「フィリ、何処も消してないよな?」
「侮るでない。終わった出来事に自暴自棄になる程、堕ちておらん。それ以上にお主の顔が消えかけておるように見えるがな」
どうやら神様にはお見通しのようだ。響の訃報は最悪な形で、すぐに駆けつけた朝日以外の皆に、複製体のミセスから届けられたのだろう。
「おそらくはこの黒球世界のルール、俺が来た事でもう一人が来る。思えば全員……関係者だったよ」
そうして周りを見渡した瞬間に、汗が吹き出した。
ここは、この場所は、篝火。
俺がフィリと始めて会った場所。
――そしてきっと、フィリと響の、思い出の場所だ。
吐き気を催す程の、嫌な予感が脳裏をよぎる。
フィリとの関係が深い複製体が現れる時の光、それが白である事に苛立ちを覚える。
「ミセス、お前の嫌がらせはもうわかったよ。でもよ、お前ら複製体が俺を苛立たせる度に、数が減ってくが良いのか? 本体は逃げ回るのが趣味か?」
「言うじゃないの。アンタ達を直接殺すのを待っててあげてんのよ。まぁ、もう一人はグズグズになったけどね。ほら、また会えて嬉しい?」
光の中に、いつかの響を見た。
堕天する前の、白い羽根を持った、天使であった頃の響。
響の複製体は、無表情のまま、こちらをボウっと見ている。
「アクタ、ヒビは笑っとったか?」
「あぁ、笑って逝った。皆同じような事を聞くな」
フィリは俺の言葉を聞いて、満足気に頷いた。
「ならば良い。ならば良い。ならば……ワシも、笑ってやろうじゃないか」
止める間も無くフィリは真っ直ぐにミセスへと走り出す。
俺は予め赤刀に纏わり付けていた灰を壁にして、壁で銃弾を受けながら響の複製体に突進する。
「笑わねえお前は、つまんねえなあ」
本物の響なら、この程度の小細工で仕留められるわけが無い。だが響の複製体は、俺が赤刀の前に作り出した灰壁に生ぬるい銃弾を浴びせただけで、その赤刀の切っ先に心臓を穿たれていた。
死に顔なんて、複製体ですら見たくもなかった。灰壁となっていた灰が赤刀に纏わりつくのを確認すると同時に、ミセスの複製体へと走ったフィリに目を向ける。
――そこには、灰色の風景が広がっていた。
「ロスト! 右腕!」
フィリへと魔法を放っていた右手がブランと垂れ下がる。
それと同時に、フィリの右手もまた、機能を停止していた。
「フィリ! お前何をやって……!」
「馬鹿じゃの、お主ら。こやつは……情報を共有しとるんじゃろ? ロスト! 右目!」
言いながら、フィリはその右目すらも瞑る。意図したのか、それでも笑顔に見えたのは口がいまだ笑っていたからだ。
「なら、消し飛ばせば、いいだけの事じゃろうが! 愉快で堪らん。 ロスト……タイム!」
もはや、その叫びは止まる事が無く。ミセスの複製体は、両足で立つ事も出来なくなっていた。
同時に、篝火の椅子にモタれているフィリが、こちらを見ずに、笑っていた。
「アクタ、あやつの様子はどうじゃ?」
「……あぁ。見えているのは左目だけ、耳は聞こえてるだろうな。左腕は流石に動いているが、斬っていいか?」
「フン、もう良いか。構わん、やれ」
やはり、フィリもまた、響や俺と同じだったのだ。何処かのネジが外れている。
フィリは少しの後悔も無く、その身体の殆どを、この時の為と言わんばかりに差し出した。
もう既にフィリは自分で両手両足が動かず、味覚も視覚も無い。
それでも、それなのに、愉快そうに笑っていた。
「実は、頭に来てたんだろ?」
「当たり前じゃろうが。馬鹿かお主は」
こちらを見ながら罵詈雑言を放っている無様な格好のミセスに向かって、俺もまた、笑いながら赤刀を振り下ろした。
「あぁ、本当に馬鹿だよ。俺もフィリも、響も、コイツも。どいつもこいつもな」
「じゃから、この世界は愉快なんじゃろうが。さぁアクタ、聞かせろ。勝鬨まで後どれくらいかかる?」
スッと消えていく篝火、あのテーブルで、フィリはプリンを食べていた。
今はもう、見る事も出来ない。味わう事も無いプリンを、美味しそうに食べていた。
そんな頃も、あったのだ。
それはきっと確かに、純粋な幸福のようなものであったはずで、誰も笑いながら戦うような事が無かった頃のはずだ。
だけれど、もう全てが遅い。
「勝鬨か。もう少しなんじゃないか? その前に聞くのは、嗚咽だろうけどな……」
俺はフィリの身体をお姫様抱っこして、黒球世界の崩壊を待つ。
「まぁ、仕方あるまい。だが泣くのも一興じゃったな、しかし涙はとうに捨ててしもうたわ」
「見えないその両目で、泣けるのか?」
「クク、言いおる。確かに泣けぬな。じゃが、笑える」
ホールに降り立った時には、もう既にアルゴスが不満気な顔をして合流していた。
「……やっぱりか。道理で急に動かねえと思ったんだ。馬鹿な事しやがって」
「つまらんか? なら先陣を進め。どうせお主も泣かんのじゃろ?」
見つめ合ってすらいないのに、神と神の子は、分かりあったように頷き合う。
「当たらんのはつまらん。しかし無抵抗もつまらん、俺が斬れるヤツを斬ってなんぼだからな。アイツが死んだのも……本当につまらん。だがまぁ、気持ちは分かるぜ。気持ちよかっただろうな?」
決して、嫌味なんかではないのだろうと、そう思った。
アルゴスもまた、やはり何処か狂っている。
本当の意味で、響はその生命を落としたとしても、ミセスに一撃を与えられて気持ちよかっただろうと思っているのだろう。
だけれどそれは、俺とフィリ以外には聞かせてはいけない言葉だっただろうから、未だに泣いている春と朝日の声に助けられた。これ以上二人が悲しむのは、見たくない。
見たくないが、結果的に今のフィリの姿を見た二人の顔が、明るくなるわけもない。
「おうおう、泣いとるの。耳も消した方が良かったかの?」
俺の腕の中で、フィリは笑えないジョークを放つ。
仕掛け屋の目が大きく見開いた後、俺の方に手を伸ばした。
「えらい無理をしたもんだ。お嬢」
「泣けぬなら、泣かせてやるまでよ。アサヒ! ハル!」
もう何も出来ないであろうフィリだったが、それでも口だけは達者だった。
大声を出すフィリを見て、朝日と春がビクリと身体を上げる。
その顔は二人とも涙でグシャグシャで、見ていられなかった。
「その顔を見られなくて丁度良い。お主らはヒビの最期を聞いたか? あやつは笑っとった。笑っとったんじゃ。そうじゃろ? アクタ」
「何度も言わせるな。笑ってたよ、本当に、心から楽しそうにな」
「ならば泣くな、ハル。じゃから笑え、アサヒ」
諭すように、優しいその言葉は、何処か泣いているようにも聞こえる程、か細い声だった。
「アルゴスが前を行け。さっさと戦って灰にでもなんでもなるんじゃな。仕掛けはどうせ何も出来んじゃろ。ワシを持って勝鬨を聞かせろ。アクタ、アサヒ、ハル。さっさと、終わらせに征くぞ」
仕掛け屋はフィリの帽子の位置をそっと治して、我先とホールの奥に見える一本の通路へと進むアルゴスの後についてゆっくりと歩き始めた。
「お嬢、俺が大将達に比べて、ロクなこたぁ出来ねえだろうってのは間違っちゃいねえけどよ。お嬢を抱えたまんまじゃ、お嬢が姫になっちまうよ」
「お嬢でも姫でも良いじゃろ。最後くらい丁重に扱え」
今までずっと丁重に扱っていた気もするが、この際もう何だって良いのだろう。
「へへ、言えてら」
仕掛け屋も、まんざらではないまま、お姫様抱っこで神様を運ぶ。
俯いたまま歩く春と朝日の前を俺が歩き、その後ろをああだこうだと言いながら仕掛け屋とフィリが付いてくるという図。
アルゴスはつまらなさそうに一番前を歩いていた。
「……そろそろです」
春の両手が紅く染まり、通路の先の階段を照らす。
「朝日は、春の魔法とセットで動いてくれ」
「……うん」
表情は暗い。ムードメーカーがいなくなったと言うには、あまりにも酷いいなくなり方だ。
そういう所まで含めて、響らしいのかもしれないが。
「……いるぜ」
アルゴスが呟いて、不機嫌そうに見つめる先、そこにはあまりにもボロボロで、簡単には視認出来ないレベルの生物がいた。
「じゃろうな、ワシを褒める状況になっとるか? 見えんから教えろ」
おそらく春の父がいる場所へ繋がっている階段の一番下。
もう、その造形すら分からないくらいに砕けきった、人の名残のような何か。
「ちゃんと、共有されてるよ……助かった」
幻想に対して、幻想をぶつける。
対象をロストさせるという情報の強奪。
「フン、じゃろうな。流石ワシ」
いくらミセスが半界をつくりあげられる程の力を持ち、情報の支配が可能になったとしても、神に食いちぎられては、どうもこうもなかったのだろう。
「しかし、此処にいるという事は、蹴り飛ばされでも、しましたかね」
春が、冷たい目でその人の名残を見据えている。
「父は、そういう人でしたから。それで、誰かやるんですか?」
おそらくは覚悟が決まったのだろう。そうして、春もまた怒りをその身に蓄えているのだろう。
あれだけ泣いていたのに、今や冷酷なまでに、目の前のミセスだった何かを見つめていた。
「本当に見えんのが残念じゃ……な?」
フィリが言葉を言い終わる前に、アルゴスを通り越して、一羽の烏が飛ぶ瞬間のように、空気が動く。
その風と、そうして風が纏っている殺意に、フィリですらが言葉を飲んだ。
剥き身の明烏を持った朝日が、駆ける。
「そうか、そうだよな……そういえば、俺が奪っちまったんだ」
思えば、朝日の黒球世界でだけ、俺が一方的にミセスを仕留めていた事を思い出す。
だからこれは、この役目は、朝日がして然るべきなのだ。
彼女だけが、協力という形ですら、響の仇を討てていない。
一撃目、貫き、血が吹き出る。
「朝日さん、魔法と組み合わせなければ、その人の生命は……」
春が言いかけた言葉を止める。
――何故なら、ソレは響を嘲笑ったから。
ニ撃目、パクパクと動いている口を薙ぎ払い、ソレは言葉を失う。
「……キレとるらしいの。片目は残るべきじゃったか」
「意外な事も、あるもんだな」
仕掛け屋と、フィリもまた少し驚いているのが分かる。
だが、二人が朝日を止める様子は無い。
――何故なら、ソレは響を侮ったから。
三撃目、左手を伸ばしたソレを手を斬り飛ばす。
「つまらん、だがまあ、気持ちは分からんでも無い、か」
アルゴスが立ち止まったまま、ボウっと朝日を見ていた。
俺にチラリと視線を送る。朝日は未だにその手を止めない。
――何故なら、ソレは響を模したから。
四撃目、五撃目、六撃目、七撃目、八撃目。
誰もがもう、何も言わず。ただひたすらに灰にもなれず、戦う事も出来ず、朝日に斬り裂かれるソレを見ていた。
九撃目、十撃目。
朝日が、スウっと息を吸って、肉塊になりかけているソレの真上にそっと、明烏の先端を置いた。
春が一瞬進み出ようとしたが、俺はそれを遮る。
振り返った朝日が、縋るような目で、俺を見ていた。
だから、その役目はきっと、俺なのだと、そう思った。
俺は、明烏に向けて、ホールからかき集めておいた灰を纏わせていく。
慈悲など、一つも残ってはいない。それはフィリが、この世界の神が、絶対に許さなかった。
――何故なら、ソレは響を灰にしたから。
「満場一致だ。許さねえってよ」
俺のその声を合図に、ミセスという狂気は、完全に灰になった。
あっけない終わりだと、そう思った。ただ、神の怒りに触れてしまったのだから、仕方がないとも、思ってしまった。
「芥さん、あれを……」
春が指を指したミセスの灰の中に、光る球状の何かが見えた。
大きさは真珠程、だけれど強く発光している。
「物凄い魔力量……あれがおそらく、母が持っていた半界の力の源、のはずです」
春が少しだけ明るめの声を出したと思えば、少しだけ眉を潜めて、光球に近寄る。
未だにミセスへの嫌悪が、見て取れた。
「という事は……」
少しだけ嫌な予感がしたが、その予感は、的中する。
一瞬だけ明るかった春の声も、すぐに真剣なものへと戻っていた。
「これを飲めば、対等って事です、父と」
春は灰から光る球を掴み取り、こちらへと差し出してくる。
「きっと、飲み込む事で摂取するんでしょうね……」
「最悪、だね」
響の仇を討ってやっと少し落ち着いたのか、朝日が少し口を開く。
「でも大将以外に選択肢はねぇわな」
「くそう、片目は残すんじゃった……」
春は冷酷かつ、冷静に。
朝日は少しだけ落ち着き、それでも不安げに。
フィリは悔しそうに。
仕掛け屋は気まずそうに。
アルゴスは何故か愉しそうに。
一斉にこちらを見ていた。尤もフィリだけは見れていなかったが。
「何があっても知らないからな」
「何があっても、死なないでね」
朝日が、そっと俺の手に触れて、光球を撫でて、指で掴んだ。
「……善処はするけどな」
俺の口元まで運ばれた光球を見て、俺はやや困惑しつつも、口を開ける。
「……ん」
そうして、俺は朝日が掴んだ光球をゴクリと飲み込んだ瞬間。
世界が、止まった。
刻景が作り出す、灰色の景色とも程遠い、認識出来ない色の交わり。
灰が生命の情報だというならば、これがきっと、あらゆる情報の色なのかもしれない。
場所が移動したのか、灰の海の時のように意識のみが移動したのかは分からないが、当たり前に仲間達の姿は無い。
だが、目の前には確かに、目には見えない存在がいた。
「来た」
短く響いたその声は、男とも女とも分からない、子供の声だった。
「あぁ、来たさ」
不思議と、違和感は無かった。
何故ならば、絶対に話すのだろうと思いながら、光球を飲み込んだから。
半分を得た俺は、やっと星への謁見を許されたのだ。
星は何を求め、そうして俺は、何を成そうとするのだろうか。
そんな事を考えながら、俺は目の前に並んでいるあらゆる色彩の中から、灰色を探した。
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