異世界病者の灰を踏む
けものさん
プロローグ『灰を踏む』
光の曲線と鉛の直線が行き交っている。鉛は弾かれ、光は俺達を執拗に狙い続けていた。
「私、あと五秒です!」
まだあまり聞き慣れていない焦りが混じった相方の声、緊張で張り詰めているのだろう。声を裏返しながら叫んでいる。
――なら、もう少し近づかないと。
『あんな僻地で魔法使いに出会うなんて無い無い~』なんて笑って俺たちを送り出した大馬鹿にチョップを食らわせてやりたい気分だった。
眼の前で光の槍を撃ってくる彼ら異世界病者――この世界での魔法使いにとって、俺達はただの経験値でしかない。
「そりゃまぁ、自信が無きゃ一人で出歩かないもんな……っ!」
明らかに格上の相手が雑魚狩りをしているという風景だと思った。
俺を殺す為に生まれ続ける光の槍を躱して、とりあえず手に持った銃を撃ち込む。
相手は未知か既知か、魔法を使っているという事実に対して、俺達は魔法なんて使えず、その武器も銃がいいところ、ファンタジーの権化である魔法に太刀打ち出来る程強くはない。
それに、もし当たったとしても場合によっては弾かれるだろう、力の差は明らかだった。
彼らはこの世界を望んだ時点で魔法という奇跡を得られるが、この世界を望まなかった俺達にはどうあがいても魔法が使えない。
だって、そういうルールなのだ。この世界に来た時に、そう聞かされた。
ならば、そうなのだろう。事実使える気もしなければ、使いたいとすら思わない。
――こんな、死地であってもだ。
出来る事も彼ら程多くはない。
だけれど、何も出来ないわけでは、ない。
「俺らなんて、ルーキーなのにな」
偶然俺達と魔法使いがぶつかりあったこの地帯は灰場と呼ばれた戦場の成れの果て。
もう既に荒れきっていて戦いに使われる事すら無い場所のはずだった。
瓦礫すら砕かれ、遮蔽物すら無い。灰が敷き詰められていて、それがこの世界での激戦の気配を醸し出し続けていた。
――つまりは、もう終わった場所なのだ。
それを少し虚しく思うと同時に、この道を使って俺達、『
俺達新人コンビがこの偵察任務を与えられたのは不幸中の"不幸"だと言ってもいいだろう。
「ルーキー狩り……性格は悪いけど、まぁ理には叶ってるよなぁ」
俺の人生が終わりかけて、それでも終わらなかったあの日から、やっと少しだけ戦えるようになった。それでも、目の前には眩い程の死が迫っている。
「
「悪い! もう少しだけ待ってくれ!」
威嚇程度に銃を撃ちながら、俺は魔法使いへと走る。
未だに
――例えその相手がファンタジーに冒され、現実で自死を選んだ異世界病者だとしても、だ。
だが、もうこれは明確な殺し合いに発展している、そんな事で怯えている暇などは無い。
力量の差は歴然、躱したはずの光の槍は方向を変え俺の脳天を狙う。それをすんでの所でしゃがんで躱した瞬間、当たり前だが俺の頭があった場所を光の槍は通り過ぎ、次にそれを視認する前にはもう、光の槍は俺の左腕を貫いていた。
「っっんとに! ズルいよな!」
この魔法がどの等級魔法なのかは分からないが、光の槍が爆発四散しないだけまだマシかとも思った。
俺は左腕の痛みを抑えて、尚光の槍を生成し続ける魔法使いへと駆け寄っていく。
そもそも魔法使い相手に遠距離戦を挑むのはセオリーじゃないことくらい分かっていた。
だからこそ走る、同時に無数の光の槍も俺に向かって飛んでいるのが見えた。
――此処まで近づけたなら、良いよな。
「
とりあえずの相棒『
同時に、視界には俺を経験値として食べる前の下ごしらえには多すぎるような光の槍が見えていた。それと、魔法使いの勝利に満ちた歪な顔も、フードの下から見えている。
俺達の遠距離武装で戦える相手の可能性は薄い。それでも、残り"四"秒もあるなら、もう少しだけ動けるはずだ。
「がってんですよ! "刻景・スロータイム"」
朝日のそんな言葉と共に、俺の左腕から滴り溢れた血液が、空中でゆっくりと停止する。厳密にはそのスピードが、ゆっくりになった。
そのスピードは本来進む時間の数十分の一程度といった所だろうか。
――世界が色を失い、俺達の世界が始まる。
いくつも発生していた光の槍の下をくぐり、俺は至近距離で魔法使いへと銃を放った。
だがやはり、鉛の弾はあらぬ方向へ飛ぶ。俺達が持っている基本的な武装は銃の類だが、その中でも俺や相棒の朝日が持っているのは低火力の物だ。現実で人は殺せたとしてもこの世界で魔法使いは殺せない。
舌打ちをしながら俺は床を蹴る。速度は上々、能力の賜物。
たった一人の魔法使い……それも向こうは散歩程度の気分のヤツだ。
そいつを倒す為に、灰にする為に、俺達は命を懸けている。
戦っている以上、命を懸けるいう点に於いては相手も同じなのだろうが、その覚悟の差で、俺達が勝った。
振り返らずとも分かる、朝日は俺を信じて手元のタイマーを見ているだろう。
刻景と呼ばれる奇跡、魔法使いと対等に戦う為の俺達の切り札。
そうして彼女だけが持つ、ほんの数秒だけ展開出来る世界は、生命を削る切り札に他ならない
目の前の魔法使いに向け、俺はモノクロの世界を一直線に全力で駆けた。
たった一人の魔法使いの強襲に、俺達はこんなズルをしてまで対抗しなければいけない。それ程までに魔法という物の凶悪さを知っていた。
俺達とは決別したヤツらの、異世界と呼ばれる空想を信じた果てに生み出しされてしまった奇跡の産物、魔法使い達。
奴らはそれに対抗すべくして命を懸けた切り札だけで動いている俺達など、殺すには安いと言わんばかりの扱いで舐めてかかってくる。
奴らは俺達とは違い、基本的には群れずに行動し、自信に溢れている。
――だから、勝ち目も見えてくる。
「よん……さん!」
命懸けで、朝日が数字を叫んでいく。
この俺達の切り札が限界を迎えるまで残り三秒、それを一瞬でも使い切った瞬間に、俺達の命は灰に変わる。
魔法使いの魔法は既に発動している。光の槍はゆっくりと、モノクロの世界であっても尚光ろうとしていた。俺達を殺す為、そして俺達を灰にして経験値を得る為に、光輝いている。
だから彼女は、命と同等とも言える『命の時間』を犠牲に切り札を使った。
「に!」
たった一つだけの、俺達が使える奇跡。
それは彼らのように犠牲無しで使える魔法と呼ばれる沢山の奇跡ではなく、それぞれに与えられた『命の時間』を削り取って、やっと使う事の出来る
色々と効果はあれど、共通しているのは範囲に対して作用する事と、その時間を使い切った
それぞれが手にする
なりふり構わずに仲間の為に使って時間を使い切って灰になった奴もいたし、溜め込み続けて使い所を逃したまま魔法使いに灰にされた奴もいた。
使い切って灰になるか、使わずに灰にされるか。
魔法使いに出会う度にその二択を迫られる。
だからこそ、今回朝日は良くやってくれたと思う。その距離からは、おそらく距離感を俺に委ねるしか無かったというのに。
でも、それで正解だった。今回は、今回に限っては、俺の目算はギリギリの所で当たっていた。後数歩遅ければ、間に合わなかっただろう。
――だけれど、間に合った。
「じゃあ異世界に、よろしくな」
そう呟いて、俺はニヤリと笑ったまま停止している魔法使いの心臓に、
遠距離攻撃のガードをしていたとしても、まさか近距離戦になるとは思っていなかったのだろう。
朝日が使う『刻景・スロータイム』は一見単純なものに思えるが、時間停止なんてのは上位も上位、類稀なる奇跡だ。
だからこそ相手がこの状況を想像出来なかったとしても、責められないだろうと思った。
俺に出来る事なんて、この『刻景の中を走る事』だけだ。それも、『命の時間』を使って。
俺の刻景に名前は無い。ただ、あらゆる刻景の影響を受けない自動発動の能力。
だから、仲間の能力の上に立っているだけで死ぬような、力。
だけれど、これもまた『スロータイム』という時間をゆっくりにする彼女と俺が組まされた理由の一つだった。
俺が貼り付けた円刃の発動設定秒数は無し、即座にその基盤からは勢い良く刃が飛び出すようにセットしてある。
――ただし、それが発動するのは朝日が刻景を止めた瞬間の話。
「いち!」
カウントダウンが止まる。
俺達が唯一使える、魔法と匹敵する奇跡。それは時間操作という最上級魔法の頁を見ても見当たらない力だろう。
決死の覚悟で自分自身の残り時間を削った彼女の覚悟に応じるかのように、彼女の限界を叫ぶ数字と共に基盤が起動する。
「ズルくて悪いけど、お互い様だよな?」
円刃から、勢いよく魔法使いの胸に刃が飛び出す音がする。
魔法使いは驚いたように目を見開き、自分の胸元を見ていた。
何かを言おうとしていたが、心臓を穿たれたならば魔法使いだとしてもひとたまりも無い。
唱えられる魔法は無く、血反吐と共に唱えられる言葉も無い。
魔法使いは俺を睨みつけながらその全身を灰と化した。
そうして、灰だけが残った。
人がそこにいたという気配ももう既に存在しない。
魔法使いが消えると同時に、無機質な音と共に俺の腕に付けられた腕時計型端末の数字が八秒増える。
「八秒……なら紫か。そりゃあ
魔法使いにも
白から始まり青、黄色、緑、紫、赤、そして黒で終わるらしいが、赤以上なんて滅多に見られるものではないらしい。黒は幻だとも言われている。、
赤と黒に関しては見たら逃げろとすら言われている始末だ。
この魔法使いは紫だったから上位ランクなのは間違いない、だが自らのランクを隠していた。
魔法使い達は本来見える所に色を提示している印象があったが、個人行動なら良いだろうとタカを括っていたのだろう。
あちらさんのルールかどうかは分からないが、色を隠していた魔法使いは初めて見た。
他の魔法使いに雑魚狩りがバレないようにするための見栄だろうか。経験値は俺達のようなルーキーを倒したって積み重なる。
惜しむらくはルーキーだとしても、朝日と俺というコンビだったという事だろう。
皮肉な物だと思った。
現実世界で死ぬ程望んだ異世界に来て魔法を使えても、見栄を張って身分を隠すくらいの力しか得られない。
要は現実だろうと異世界だろうと、最初から持ちうる人間なんていうのは、特別なギフトを与えられただけなのだと、どうして気付けなかったのだろうか。
それでも彼らは俺達を殺し続けたならランクが上がり強くなれるし、奴らを殺し続けたなら俺たちの命の時間は増えて、より強くなる。つまりこの世界――半界と呼ばれる自死者が集まる異世界は殺しが合法化されている。
現実から逃げた罪だろうか、歪な戦いが繰り広げられる世界だった。
朝日の刻景が消え、俺の腕から血液が滴り落ちる。それでやっと痛みを自覚しはじめた。
「ほっときゃ治るっていっても、痛いのは痛いな……」
対魔法用の外装を着ているとはいえ、この世界に来たばかりの俺達に与えられている武装が高級品なわけもなく、自分達よりも格上の相手に槍で穿たれたのでは傷も負うのは仕方が無い。
そもそも彼女が五秒持っていて、その内の四秒を使ってもらえなければ、俺がその四秒で仕留めきれる場所まで近づけなければ、確実に二人揃ってヤツの経験値にされていただろう。
「なんですかあれ!? 平和な任務だって聞いてたじゃないですか! これじゃあジリ貧ですよぉ!」
今回のMVPが俺に近づきながら大袈裟に嘆く。
外ハネの金髪が憤りのジャンプでフワフワと揺れていた。スカートも揺れるが、この痛みに効く程では無い。
「というか
近くで見てやっと俺の苦痛に気付いてくれたのだろう。朝日は心配そうに血が滲んでいる外套を見ていた。
「あぁ……まぁ動くから何とか……けどすぐ帰りたいのが本音だな……」
事実、痛みはあっても動くならばなんとかなる。
命を落として灰にでもならなければ、この世界での傷自体は些細な事だ。
とはいえ痛みもあれば消耗もする。戦闘中に傷を負うのは大問題だが、魔法があるくらいの世界だ、もし動かなかろうが何とかしてくれる。
――本当に、灰にさえならなければ。
「しかし、強襲は予期してなかったな。アイツらちょっと気が抜けてないか?」
「それはまぁ……あの人達ってより
彼女はたはは……と溜息混じりに笑う。
「あの馬鹿天、雑だもんなぁ」
「雑ですよねぇ……」
天使に拾われたルーキー二人が、悪魔に誘われ今しがた灰になった魔法使いの上で空を見上げる。
曇り空は今日も変わる事が無かった。吹き上げる風が、灰を運ぶのだろうか。
「朝日、時計」
太陽が登っても曇り空にかき消されてしまう皮肉な世界で、俺は彼女の名前を呼ぶ。
それに応じて、彼女は俺とは逆の左手につけた端末をおずおずと目の前に出した。それに俺は自分の時計をつける。
「いいんですか?」
「時間は強い奴が持ってるべきだろ」
俺の端末に増えた八秒から、丸々八秒を彼女に与えた。
「わっ。これじゃ私だけプラスじゃないですか。
「朝日が刻景の線上範囲を覚えてくれりゃあ俺の刻景はいらないの」
刻景の範囲は基本的に円形だが、鍛錬によりその形を変える事が出来る。
つまり刻景の中で動く事で消費される俺の時間は、彼女が敵のみの時間をスローにできれば解決するというわけだ。
「じゃあまぁ、頑張んなきゃなぁ……」
彼女の自分を犠牲にしてしまう傾向は、どうにも心配に思えていた。
だけれど、自分を犠牲にするという点で、俺達刻景使いは似通っているのだ。
――だってそもそもが全員、自殺未遂者の集まりなのだから。
「うーん、魔法かぁ。憧れるのは分かりますけどね……」
「仕方ないさ。アクション映画が好きか、ファンタジー映画が好きかみたいなもんなんだよ」
「私はサスペンスが好きですけどね! SFも好きですよ!」
胸を張って言う物かと思いながら、好みが似通っていた事は言わないでおいた。
時間を分け合うSF映画の存在を何となく思い出したが、吹替派の俺が珍しく字幕版を見た記憶だけが鮮明に残っていた。
「しかしまあ、気楽に映画を見られる世界じゃ無くなっちまったなあ」
「仕方ないですよ、地獄じゃないだけマシってヤツです」
地獄、天国、死ねば行くと言われる場所。そこまではまだ少しだけ遠いこの世界。
天使が住むと主張する天界、悪魔が住むと主張する魔界。
それぞれが陣営を作って争い合い、それらを主張し合うこの世界は、
異世界に憧れを持ち、死を選んだ時に悪魔に問われ、それでも死を選んだ奴ら、魔法使い。
そうして、現実に絶望して死を選んだ時に天使に問われ、生を選びなおした俺達。
そんな死の匂いが充満したこの世界では、今も不毛な戦いが続いている。
悪魔と天使がそれぞれの駒で殴り合っているだけの、歪で、ネジが外れた奴しか来られない世界。
現実じゃないだけで異世界と呼べるのなら、やっぱり此処は異世界なのだろう。
だけれど俺達は、一秒ずつ、一秒ずつを使いながら、そうして一秒ずつを溜め込みながら、あの日の間違いを正そうとしている。
「じゃあ戻ろう。俺はともかくお前の刻景を失くすのは『篝火』にとって大問題だしな」
「んー、自覚は無いですけど……
灰にした魔法使いは名前も知らない誰かだ。
その灰を踏んで、俺は地面を慣らした、これで奴も現実で死ぬ程望んだ異世界の一部。
結局の所、相手は化け物でも無い、ただの人。
思想の違いだけで、彼は俺たちを襲い、そうして灰になった。
何処へ行くのかは分からない、それでも本当に異世界に行けたなら幸せだろうなと少しだけ鼻で嘲笑う。
――魔法使いに祝福はあるのだろうか。
異世界病者の灰を踏む。
現実で、そんな日が来るなんて思わなかった。
この
それでも、魔法使い達は、その殺戮の果てに、自らが主人公となれる異世界に辿り着けると信じている。
そうして、
本当なのかは定かではない。
けれど俺はもう死ぬ事も、死のうとする事にもうんざりだった。
朝日と二人で『残り火』もとい『篝火』とも呼ばれる
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