拾陸 才能喰らいの化け物


 のみこんだものの舌に残る塩辛さに耐えられなかったのか、ワンちゃんはぺっぺとはき出すような仕草をする。

 そんな彼に私は白湯さゆを手渡してやった。


「この厨房って、凌白殿下の母君が生前使ってたんでしょ?」

「あ、ああ。ってか、なんでお前が知ってんだよ」

「この前戸棚を整理してたら、国料理じゃなかなか使わない香味料がいっぱい出てきたのよ」


 その場に残された情報から人々の食習慣を予測するのは私の得意技。

 初めて厨房へ足を踏み入れたとき、胡麻ごまやねぎ、山椒さんしょうなどのほこりをかぶった薬味を大量に見つけたのだ。

 始めは気にも留めなかったが、よく考えてみれば奇妙な違和感に気づく。


 蘇国の料理は素材の味を生かしたあっさりとした味わいだ。

 当然のことながら、食材の味を人為的に操作する調味料はほとんど使われることがない。


 だとすれば、これらの薬味は何のために保管されていたのだろう?

 そこで、以前に厨房を使っていたのが蘇国人ではないと言えばつじつまが合う。

 考えたところもっとも可能性が高かったのが、先帝を美食で落としたという凌白りょうはく殿下の母君だったのだ。


「魯国の舌を受け継ぐ殿下が、蘇国料理に慣れないのもむりはないわ」


 両者は味が根本的に違うもの。

 実際に彼は母親の料理だけを喜んで食したという。


「それじゃ、お前が作ったのは魯国料理なのか?」

「違うわ。私が作ったのは、魯国の料理に似せた蘇国料理よ」


 ここで重要なのが、あくまでも蘇国の料理だということ。

 調味料を大量に使うことから、たぶん国の人は味の濃い料理が好きなんだろうと予想した。

 そこから、私は殿下が好みそうな料理を妄想だけで作り上げるという強硬手段に出たのだ。


 その結果出来上がったのが、畢羅へきらという料理。

 蘇国料理をベースに塩やねぎといった調味料で味をごまかし、何重にもなった生地でひた隠しにする。

 むりやりにとはいえ、ピンと呼ばれる生地で具材を包みこんだれっきとした美食だ。


「正直、成功するかどうかは賭けだったのよね」


 二種類の料理を融合させるという、私にとっても未知の領域だ。

 けれども美食に狂っただれかさんに感化され、私はこれからいっさいためらわないと決めたのだ。

 そうでもしないと、自分のなかの秘められた能力とは向き合えない。一生才人たちと同じ舞台には立てない。


「お前……イカれてやがるな」


 私の話をひと通り聞き終えた汪ちゃんがぽつりと独りごちた。


「そう? ありがと!」

「は?」


 私が破顔すると、さらにわけがわからないといった表情を浮かべる。


「あ、香味料のこと、侍女じじょたちにも言っといて。それじゃ、私は殿下のところにもどるから!」


 待たせているので、あまり悠長にしてはいられない。

 汪ちゃんとの会話を切り上げ、私は山盛りになった畢羅を持って厨房から出ていった。


 ◆ ◇ ◆


 取り残されたろう忠淵ちゅうえんは、慌ただしく離れていく小さな足音を聞いていた。

 完全に聞こえなくなったのを確認してから、にたりと愉悦ゆえつに顔をゆがめる。


「あいつ……あの『奇才』の金晃きんこうの能力を喰いやがったのか!」


 だれも思いつかない斬新な食譜レシピを生み出し、美食に作り変える。

 本来なら『奇才』の彼にしかできない芸当のはずだった。

 しかしあの娘は、それを一瞬で模倣した。再現した。


 本人は恐らく気づいていない。

 まさに今、誰よりも早く覚醒し始めた天賦てんぷの『能力』に。


「名づけるなら、そうだな……『才能喰らいの化け物』にでもするか」


 どこからともなく取り出した筆をくるくると回しながら、言葉の響きを味わうようにつぶやく。

 ふところからおもむろに上質な巻物を取り出し、最後の行に文字を書き記した。


「言ったろ、俺様はお前のだって」


 見ていないと思ったら大間違いだ。

 「余すところなく上に報告させてもらうぜ」と歌うように言うと、ひとりの新人厨師ちゅうしの「記録」を大事にしまいこんだ。


 そのときふと、あることに思い至って彼は動きを止める。


「しかし、もしこれが偶然でもなんでもなかったんなら……それこそとんでもねえバケモンだな」


 じきに、三人の厨師長を凌駕りょうがする料理人が誕生するかもしれない。

 その可能性は、彼のなかに確信に近い予感として芽生え始めていた。


 やがて考えるのをやめ、狼忠淵はくるりときびすを返した。


「ははっ、こりゃ楽しくなりそうだ」


 心からの期待をはらんだ言葉は、人知れず静寂に溶けこんでいった。


 ◆ ◇ ◆


 あれから私はいっとき、宮廷きゅうてい内でちょっとしたうわさになった。

 今まで食事を拒んでいた皇弟殿下が、私の料理だけは食べてくれるようになったことで、それなりに評価されるようになったのだ。

 専属厨師以外の仕事も頼まれるようになり、私は以前からは考えられないくらいいそがしくなった。


 そんな私にとって睡眠の時間は至福のひととき。

 今日も淡い夢を見ていた。


 これはなんの夢?

 真珠みたいな白い光沢を放つ、四角い物体。

 中心部には、色を染めたような真っ赤な枸杞くこの実が乗っている。


 やわらかくてとろっとろの杏仁あんにん豆腐どうふ

 ああ、私の大好物だ。

 スプーンで大きなかたまりをすくい取り、いざ口のなかへ。


『――り、ほうり……』


 そのとき、だれかが私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。

 ちょっと待って、今いいところなの。


『これ、いい加減起きぬか』


 ぺしぺしっとほおになにかが当たり、私の意識は現実の世界へ引きもどされた。

 夢のなかの杏仁豆腐は霧散し、代わりに年季の入った木の天井が視界に入る。

 私はごろりと寝返りを打ち、自身を華胥かしょの国から呼び覚ました声をにくむように低くうなった。


『やっと起きたか。待ちくたびれたぞ』


 やけにゆったりとした、老人のような話し方だ。

 横になったまま顔だけを傾け、がんがんと脳裏に響いてくる声の主を探す。

 それらしきものは、意外とすぐに見つかった。枕元に、小さな蛇が一匹いる。


 ……ん?


「……蛇?」


 上体だけを起こして、私はぱちくりと目をまたたかせた。

 たしかにそこには、夢でも幻でもなく実体を持った細長い体がある。


 青みがかった鱗は黄昏たそがれに染まる水面みなものように光を乱反射し、赤に緑に色を変えてきらめいている。

 口からはちろちろと火をはくように真っ赤な舌が出入りし、時おり見え隠れする小さな牙はにぶく光っていた。

 大海を背負う神秘的な姿に釘づけになっていると、今度はくっきりとした瞳と視線がぶつかった。


『もうとっくの昔に夜は明けておるよ。外を見てみよ。鳥は歌い、花は笑うておる。こんな日には、のんびり散歩でもしたいのう』


 頭のなかで反響する言葉に合わせて、目と鼻の先でしっぽがゆらゆらと揺れる。


 いつかどこかで、同じような白昼夢を見たことがある。

 それはたしか、この百味ひゃくみ大陸へやってくる以前のこと。

 ひどく記憶になじんだ既視感にまさか、と思う。


 まさか、ほんとにこの蛇がしゃべってるの!?


「ぎゃああああああっ!? なになになにこれえええええ!!」

『うおっ!?』


 次の瞬間、私は天をつんざく声で絶叫した。

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