拾肆 龍鳳燴の真相


凌白りょうはく殿下の母親は異国の姫君なんですよ」


 おしゃべり好きな春桃しゅんとうがお菓子を頬張りながら声を潜めた。


 私が殿下の専属厨師ちゅうしとなって数日ほど経った、ある日のこと。

 初日と同じように命令に従って料理を作るだけという仕事を続けていた私は、あいかわらず暇を持て余していた。

 やることがなさすぎて、自分で作ったお菓子を春桃や他の宮女たちにふるまうくらいには。


 なにもすることがないと、料理がしたくてうずうずしてくるのが私だ。

 どうせだれも使わないので離宮の厨房から材料と道具を拝借し、もとの世界で読んだ食譜レシピをもとにひたすら砂糖を溶かし続ける。

 たまには自分好みの創作お菓子を発明し、お茶をれて休憩中の宮女たちに食べてもらったりしていた。


 茶飲み話の話題になっているのは、もっぱら私の知らない宮廷きゅうていの内情についてだ。

 今日は皇弟殿下のことが話題が上っていた。


「異国って?」

「たしか西のほうから来たんだったんじゃないかな」


 私のとなりに座っていた背の高い宮女があごに手を当ててつぶやく。


 凌白殿下の母君は、もとは百味大陸の北西に位置するの国の王女さまだったのだそう。

 そんな彼女に先帝は胃袋をつかまれたのだ。


 広大な百味大陸は八つの国ごとに、それぞれ独自の文化や風習を持っている。

 例えば、の国は皇帝が天下を統治する君主国であるのに対し、隣国のしょうの国は侠客きょうかくたちによる複数の門派がつどった武術集団から成り立っている。


 一方で魯の国は複数の民族からなる多民族国家だ。

 だから、異民族の血を引く殿下はこのあたりじゃ見かけないような見た目をしていたんだろう。


「殿下の母君ってどんな人? あんまり話を聞かないけど……」


 好奇心のまま尋ねると、春桃たちはお互いに顔を見合わせて困ったように笑った。

 そのまましんと水を打ったように静まり返ってしまう。


 え、なにこの空気。

 なんだか地雷を踏んでしまったような気がする。

 あわてて話題を変えようとしたとき、「それが」とふいに春桃が沈黙を破った。


「ちょっと前に身まかられたばかりなんですよ。病弱死ってことになってるんですけど……」

「三年前に先帝が亡くなられたあとだったかな。床にせるようになって、そのまま後を追うように旅立たれたの。凌白殿下もまだ幼いのに……」


 ふたりはそろって、はあとうれいを帯びたため息をついた。


「凌白殿下って、もとからそんなに食べるほうじゃないんですけど、母君の料理だけは喜んで食べていたらしいんですよ。でもお母さんが亡くなられたせいで、最近はまったく食べ物を口にできていないんだとか……」

「今までの専属厨師も、せっかく作った料理を食べてくれないって言って全員辞めちゃったし……」


 かわいそうですよねえ、と春桃たちは気の毒そうにつぶやく。

 ついでに「鳳璃ほうりも転任したかったら、早めに言うんですよ」とも言ってくれた。

 私は曖昧あいまいな笑みを浮かべながら、お皿の上のお菓子をひとつ口に運ぶ。


 今日作ったのは、引きのばした水飴みずあめで白胡麻ごまと落花生を包みこんだ龍須酥ロンシュースーというあめ菓子だ。

 口に含めば、ほろりとほどけてなくなる幻みたいなお菓子。でも、瞬間的に脳みそに染み渡る甘さがたまらない。


 水飴を糸のように引きのばすとき、風に流される龍のひげのように見えることから「龍のひげ飴」という名前で広く親しまれている。


「うーん、おいしい! 鳳璃、次もこれ作ってきてよ」

「今度はもっとたくさん人を呼んできましょう!」


 いや、それだと本業よりこっちのほうがいそがしくなる気が……。

 鼻息荒くするふたりに私は苦笑する。


 そうしているうちに、ふたりの職場のほうがなにやら騒がしくなってきた。

 今日のおしゃべりはここまでにして、私は春桃たちに仕事にもどるようにと告げた。

 ひとり自室にもどる道筋をたどりながら、これまでに得られた情報を整理してみる。


 宮女たちの話を聞いていたおかげで、凌白殿下に関するこみ入った事情がだいたいわかってきた。


 ずっと引っかかっていた、料理を食べてくれない理由。

 最初はただ単にきらいなものが入っていたり、その日は体調がすぐれていないだけなんだと思っていた。

 しかし数日連続で同じような状況が続けば、話は変わってくる。


「厨師たちが辞めていくのも無理はないわね……」


 本来なら貴人の専属厨師となることは出世への近道だ。

 けれども宮廷厨師たちはみな生粋きっすいの料理人ばかり。

 自分が丹精こめて作った美食を食べてもらえないのなら、腹を立てる人も少なくはないだろう。


 特定の料理だけじゃなく、殿下はいつもすべての料理に手をつけなかった。

 だからたぶん、のではなく、

 そこまではなんとなく感づいていたんだけど……。


 母君に関する話は、まったく初耳だった。

 もしかして、殿下はひとりでは到底抱えきれないような大きな傷を負っているのかもしれない。

 きっと私には埋めることのできないような、奈落ならくよりも深い心の傷が。


 でも、なんとか力になってあげたい。支えてあげたい。

 ストレスや心労などから、食事がのどを通らなくなるのはよくある話だ。


「私は専属厨師なんだから!」


 やっぱり食からなんとかアプローチをかけなきゃ。

 そしてこの宮廷内で生き残っていくのよ、鳳璃!


 ぐっと意気ごんでいると、外廷がいていに務める厨師たちが通路をあわただしく行き交う姿が見えた。

 なにかあったのだろうか。


金晃きんこう厨師長はどこにいらっしゃるのだ?」

「さあ……先ほどから姿を見ておりませぬ」


 金晃といえばあの『奇才』だ。

 どうやら、行方不明の厨師長の捜索が行われているらしい。


 そのとき、突然上から小石を投げつけられ、私の思考は弾け飛んだ。


「おねーさんっ、こっちこっち。上見て!」


 恨みがましく天をあおぐと、頭上で枝をのばす木の上にへにゃりと眉を下げて笑う少年がいた。

 この世のありとあらゆる無邪気さをかき集めたような輝かしい笑顔。


 あ、なんか見たことある、と思えばすぐにピンとひらめく。

 任命式のときに私のとなりにいた、あの変わった厨師の少年だ。


「え、あんた!? そこ危ないわよ!」


 しかし少年は、こっちおいでよとばかりに手をこまねいている。

 私はしかたなく近くの木の幹に足をかけ、ひょいひょいっと身軽に彼のそばまで登っていった。


「わお、おねーさん木登り上手だね! 前世は大道芸人か猿かな?」

「……それ本気で言ってるんだったらここからつき落とすわよ」

「にゃははっ、ごめんってばー」


 これでも昔はよく木登りをして遊んでいたものだ。

 田舎じゃたいした娯楽もないし、家の裏庭に生える木の上が子どものころの主な遊び場だった。

 まさかこんなところで童心に帰ることになるとは思いもしなかったけど。


 そんなことより!


「あんた、一応厨師なんでしょ。今、金晃厨師長さまがいないって大騒ぎしてるのよ。こんなところで油売ってないで、さっさと上司の手伝いを……」


 言いかけた私は、途中ではたと口をつぐんだ。

 目の前にいる少年が、あまりにもおかしなようすだったから。


 わざとらしくそらされた顔はほおずきのように赤く染まり、体がぷるぷると小刻みに震えている。

 なんとなく馬鹿にされているような気がして、私はむっとくちびるをとがらせる。

 かと思えば次の瞬間、なにがおかしいのか彼は盛大に吹き出した。


「あっはははっ!! おねーさんってば、やっぱり知らなかったんだね!」


 突然けらけらと腹を抱えて大笑いしだす少年。


 やっぱり? 知らなかったって……。

 意味深な言葉にさあっと顔から血の気が引いていく。


「ま、まさか……」


 ひとしきり笑ったあと、少年はまるでいたずらに成功した子どもみたいにぺろっと舌を出した。


「そ。僕があの『奇才』の金晃さ。おねーさん、僕みたいな才人と出会えてほんとに幸運だねえ。泣いて喜んでもいいんだよ!」


 しばしのあいだ時が止まってしまったように絶句する。

 この少年が、蘇国随一の実力を持つあの厨師長だっていうの?


 あまりの衝撃に、私は目もとを手で押さえて涙をこらえる仕草をする。


「……あこがれの大厨師さまがこんなクソガキだったなんて……」

「え、悲しむのそこ?」


 まっとうな突っこみが聞こえたような気がしたけど、気にしない。


 しかしもし彼の言うことが本当なら、それこそおかしな状況だ。

 なぜ偉大な厨師さまがこんなところで隠れているのかと問うと、「たまには息抜きも必要でしょー?」といってはぐらかされた。


 どうせ時間もたくさんあることだし、私はしばらく金晃厨師長(自称)のそばにいることにした。

 情報収集や観察もかねて。

 あわよくば料理のインスピレーションを得られないかと思って。


 厨師がふたり並べば、ごく自然な流れで話題は食の方向へと弾んでいく。


「ねえ。あんたが仙獣せんじゅうとか龍のお肉で料理を作ったってうわさ、ほんとなの?」

「え? ホラ話に決まってんじゃん」


 私は木の上だということもさっぱり忘れて大声を出した。


「はああああ!? あれうそだったの!?」

「逆に信じてたの?」


 根も葉もないうわさなのに……と、めずらしくクソガキがドン引きしている。


「だって……みんな言うんだし!」

「うわさ話は誇張されるものだからね。このあたりはちょっとフクザツなんだよ」


 彼曰く、たしかに先帝の難題を突破したのは自分だけだが、出回っているうわさ話は虚実相半ばしているのだという。


「あのとき、僕が献上したのは龍鳳燴ロンフォンフイっていう名前がついてるだけのあつものなんだ。当然、本物の龍も鳳凰ほうおうも入ってない。僕は食仙しょくせんでもなんでもないから、そういう神秘的な話はたいていどっかのおばかさんが広めた虚言だね」


 金晃は舌打ちでもしそうな勢いでけっとはき捨てた。

 「だけど」と一瞬でいつものマイペースにもどって続ける。


「それで僕が『奇才』って呼ばれるようになったのは、本当だけどねー」


 得意げに胸をそらす金晃に、ぽかんと口を開けたまま二の句が継げなかった。

 厨師長と俗人のあいだに決して越えることのできない霊妙な一線を感じていた私は、ちょっと拍子抜けしてしまう。

 でも、彼の自信たっぷりな態度はいっそのこと清々しいほどだ。


「……それじゃ、あんたの料理はどこが評価されたっていうのよ。龍でもなんでもなかったって、それこそただの羹じゃない」


 考えていたことが思わず口をついてこぼれ落ちた。

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