拾参 ワケあり殿下の専属厨師


 どうやら宮廷きゅうてい厨師ちゅうしという存在は、春桃しゅんとうたち一介の宮女にとっては非常に神秘的で近寄りがたいものらしい。

 だからなのか、彼女は私とすっかり打ち解けるといろいろなことをたずねるようになった。

 料理を始めとしてさとでの暮らしぶりや私自身の趣味嗜好しこうのことなど。


 幅広いジャンルの話を根掘り葉掘り聞かれたが、食仙に関しては特別熱心にまくし立てられた。


俗気ぞくけを嫌っていて、仙獣せんじゅうたちと山奥で住んでるのって本当ですか?」

「うーん、個人差があるかも」

かすみだけしか食べないっていうのは!?」

「食仙ってそもそも料理人にしかなれないしなあ」

「地方で偏見があるっていうのは!? 特別な力を使う料理人が迫害されたり、火であぶられたり、生贄いけにえにされたり……」

「ないない、そんなのないってば!?」


 しかし彼女は食仙をいったいなんだと思っているんだろう。


 うわさに尾ひれどころじゃない。

 背びれ、なんなら立派な角やひげをたくわえ、鋭いつめ龍珠りゅうじゅまでたずさえて、そのまま天へ飛翔ひしょうしていきそうな勢いだ。


 あ、でも。


「あんまりよく思われてないっていうのは、私もうっすら感じてたかも……」


 頭のなかで親友の明蘭めいらんと、彼女に対するさとのみんなのよそよそしい態度が鮮明によみがえる。

 冷たいとまではいかないけど、たしかに両者の関係はどこかぎくしゃくとしていた。


 真っ白な面紗めんしゃをかぶっているつもりでも、どす黒い本性は透けて見えるものだ。

 若い人たちはまだしも、変化を極端にきらうお年寄りや子どもたちから、明蘭は蛇蝎だかつのごとく嫌厭けんえんされていた。

 露骨にいやな顔をされたり、なにもしていないのに逃げられたり。


 恐怖に嫌悪、それと忌諱きい

 彼女を見つめる人々の瞳はいつもべっとりとした負の感情に塗り固められていた。


 『鳳璃ほうりは怖くないんだね、この力のこと』


 初めて私に仙術を見せたとき、伏し目がちにそうつぶやいた明蘭はどんな気持ちだったのだろうか。

 明蘭には同年代の頼れる友だちも少なかった。

 地方に限らず世間一般でも仙術せんじゅつや食仙についてはなにかと誤解されやすいのだと、春桃の話を聞いていれば十分にわかる。


 やっぱり、ちょっとだけ不安になってきたかも。

 だまって郷を抜け出したことを。親友に別れすら告げずに出ていってしまったことを。


 この選択が間違っていたとは信じたくない。

 信じたくない……が、度重なる衝撃と精神的な苦痛のせいで私の心はずいぶんと弱気になってしまっていた。


 ぽっかりと心に大穴が空いてしまったような不安に揺られていた私は、舟首にこつんと硬いものが当たってようやく我に返った。

 どうやらこれ以上先へは進めないというところまで来たようだ。

 気づけば、舟に乗っているのは私と春桃と舟主の三人だけとなっている。


 たどり着いたのは、都の喧騒けんそうからほど遠い森林のなかにある離宮だった。

 本来は皇帝陛下の別荘として用いられていた場所だけど、今は皇弟殿下が療養のために滞在されているのだとか。


 鬱然うつぜんとした場所にそびえ立つ宮殿は見上げるほど大きく、建物そのものが持つ重厚感がおそろしいほどの静寂せいじゃくに溶けこんでいる。

 生い茂る植物の深緑ふかみどりとけばけばしい丹塗りの赤がどこか不釣り合いで、濃い闇のなか不気味に浮かび上がって見えた。


 案内してくれた春桃と舟主にお礼を述べると、私だけが川のほとりに降り立った。

 周囲が河川や森林などの自然に囲まれているせいか、まるで揺らがない水墨画の世界に迷いこんだみたいだ。


 ここが、これから私が仕える相手のいるところ。


 えりを正して門戸を押し、宮廷厨師としての一歩を踏み出す――はずだったけど。

 私はすぐに来た道をもどる羽目になる。

 なぜなら、他でもない凌白りょうはく殿下の侍女じじょたちに締め出されてしまったからだ。


 ◆ ◇ ◆


 厨師というものは一応神官に分類されているが、実際に神事を行うのは年に数回程度なのだという。

 それでは普段なにをしているのかというと、文字どおり宮廷の料理番だ。

 皇帝陛下の食事だけでなく、妃嬪ひひんや宮女、場合によっては官吏かんりたちの給食もすべて一級の厨師たちが準備する。


 朝昼晩の三食に加えてお茶や点心まで。

 宮廷内の食事すべてを司る彼らはいつも大いそがしだ。

 それなのに。


「なんで私は一日に一回しか呼ばれないのよ……!?」


 作りたての料理が冷めないよう、私は離宮の長い廊下を急ぎ足で歩いていた。

 凌白殿下の専属厨師となった(形式的にだけど)次の日のことだ。


 侍女たちから「呼んだときにだけ来ればいい」と言われて離宮から追い出された私は、そのまま約半日を自室で過ごした。

 つまり、そのあいだなにも仕事を与えられないどころか呼び出しすらなかったのだ。

 ようやく呼び出されたと思えば厨房に押しこめられ、指定された献立こんだてをもとに食事を作れとだけ言われる始末。


 仕事が少ないと言えば聞こえはいいかもしれないけど、正直言って不安要素しかない。

 皇弟殿下も人間なので、最低でも一日に二、三食はとらないと空腹でくたばってしまう。

 それなら、私がいない時間の食事はいったいだれが作っているのだろう。


「専属……って言ってたよね」


 きっと他にも、私と同じような厨師がいるはずなんだけど。


 料理においては何事も効率が重視されるため、宮廷厨師たちはそれぞれの得意分野に合わせて担当を割り当てられることが多い。

 包丁さばきに自信がある人は包丁人に、人並み外れた味覚を持つ人は調味料係に、医学に精通している人は栄養士に。

 もちろん宮廷で務める以上はすべての技術をまんべんなく修めている必要があるので、お互いをサポートしつつ自分の仕事をこなしていくのが彼らのワークスタイルだ。


 どの分野でも最低ひとりは専任の厨師がつくことになると思いこんでいた私は、だれもいない厨房に案内された途端とたん、胸の内でくすぶっていた疑いの念が浮き彫りになった。

 すす汚れひとつないかまど。ほこりをかぶって白くなっている調理道具。

 人の温度というものをまったく感じられない室内に、ぽつんと私だけがさみしく立っている。


 宮廷内の厨房では常に熱気と殺気が渦巻いているというのに、ここの厨房にはびこっているのは荒涼こうりょう殺伐さつばつ

 正直なところ不穏な空気に動揺を隠せなかったけど、仕事は仕事だ。

 私は言われるがままに、ひとりだけで献立どおりの食事を作り上げたものの。


「こんなの怪しすぎるでしょ!?」


 すれ違う人々の反応や職場のようすから、この役職がいわくつきなのは察せられた。

 しかしふたを開けてみれば、厨房になにかしかけがあるわけでもなく、宮廷料理にしては質素だが献立も特別おかしなものでもない。


 逆にそれが、嵐の前の静けさみたいで不気味さを際立てているんだけど。

 唯一の頼みの綱であるワンちゃんは昨日から姿を見ていないし。


「どうしたものかなあ」とぼやきながら石造りの廊下を抜けていく。

 建物と建物をつなぐ道は真っ昼間なのにほの暗く、ところどころ年季が入っているのも相まって幽鬼でも出てきそうな様相をていしている。

 わずかに肌寒いのは近くで滝が流れているせいで、周囲に人気がないからかひんやりとした空気の流れが目に見えるようだった。


 この場所も宮、と言われているからにはそれなりに広い。

 似たような回廊をいくつか曲がり、私はようやく凌白殿下の寝所へたどり着いた。

 大きな扉の前で、できるだけしゃきっと背筋をのばして声を上げる。


「失礼いたします。殿下の専属厨師を仰せつかりました、鳳璃と申しますが……」


 すると、私が言い終える前にぎいっと耳障りな音を立てて扉が開いた。

 一瞬驚きつつも、それを肯定だと捉えた私はおそるおそる室内に足を踏み入れる。


 とても天子さまの弟君のものとは思えない、質素な部屋だった。

 広い室内にはいくつかの調度品と大きな寝台があり、花の蜜を煮つめて練り固めたようなエキゾチックな香りがかすかに漂っている。

 最奥にある窓は大きく開け放たれ、冷たい風と陽光が入りこんでいた。


 外からの淡い光のなか、寝台の上で上体だけを起こした姿が黒く浮かび上がって見えた。

 ひどく小柄な影を見て、私は思わずはっと息をのんでしまう。


 十にも満たないような幼い少年が、うれいげに顔を伏せている。

 長くのびた髪は色あせてしまったような灰褐色で、簡素な白装束しょうぞくに覆われた肌もよく見ると浅黒い色をしている。


 この国の人、じゃない?

 国の人々はだいたい、黒い髪に黒い瞳を持っている。

 けれども目の前にいる少年はそのいずれかの特徴にも当てはまらない。顔つきも蘇国人とはちょっと異なって見えた。


 なによりも私が衝撃を受けたのは、捨てられた子犬みたいにやせ衰えたその体つきだ。

 首も腕も脚も、骨に直接皮がはりついているんじゃないかと思うほどに細い。

 ひどく落ちくぼんだ眼窩がんかのなか、まんまるの双眸そうぼうだけが異様に底光りしていた。


 一瞬その青みがかった灰色の瞳と目が合ってしまい、私はさっと下を向く。

 間違っていなければ、あの方こそ私が仕えるべき主人――蘇凌白殿下だ。


 しかし想像していた姿とはあまりにもかけ離れている。

 病気のため離宮で療養しているとは聞いていたけど、まさかここまでやつれているとは思いもしなかった。

 体が苦しくて、食事ものどを通らないっていうの?


 困惑する私から侍女のひとりがお膳を取り上げ、凌白殿下のもとへ持っていく。

 そのままささっと毒味をすませると、手慣れたようすで殿下の前に食膳が並べられた。

 今回の献立は、体にいい五穀粥と細かく刻んだ豆腐と野菜のあつもの、それから新鮮なこいのなますだ。


 栄養価が高く、食べやすい食材をふんだんに使っているため病人の口にも合うだろう。

 けれどもいざ殿下の食事が始まったところで、私は異変に気づき始めた。


 骨の浮き出た手がおさじをつかみ、お粥をすくう――しかし、なぜかそこから一向に動かないのだ。

 よく見れば、おさじを持つ手がふるふると小刻みに震えている。

 もとからかんばしくなかった顔色が、今は恐怖一色に染まって見えた。


 きらいなものでもあったのかな?

 いや、違う。この反応は……。


 ひそかに抱いていた疑念が確信に変わる。

 状況は変わらないまま、時間だけが吹き抜ける風といっしょに淡々と過ぎていく。


 結局、凌白殿下は出された料理をまったく口にしないまま食事を終えた。

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